第15話 久々の訪問(1)

わたしは、いつもディウラートの居る大樹にいく手前の森の中で、立ち止まっていた。

今日は久々にディウラートに会うため、彼の好みそうな魔術書や魔術道具を両手いっぱいに持ってきている。

けれど、それが重くて立ち止まっているのではない。

ディウラートの存在が自分の中で特別になっていたことに、彼を求めていたことに気付いたのは、つい昨晩の話である。

だから、ほんの少しだけ気まずいのだ。

けれどそうも言っていられない。いつも無表情なディウラートだけれど、きっと会えなくて寂しがっているだろうから。

わたしは、意を決して森の中を歩きだした。


いつもの大樹が見えてくると、わたしは首を傾げて辺りを見渡した。

「ディウラート、居ないの?」

目当ての人物の姿が無く、わたしは焦る。

まさか、わたしに会いたくなくてここに出てきていないとか?

ありえなくは、ないかもしれない。

特別だと自覚したそばから嫌われるだなんて、考えたくもないけれど。

わたしは大樹に駆け寄り、大きな幹を見上げた。枝に腰掛けている訳でもなさそうだ。

とりあえず木の周りを一周してみようとして、今まで死角になっていた幹の裏側に、ディウラートの姿を見つける。

いつもは本を読みながら待っているのに、今日は膝を抱え、小さく踞っている。

「……ディウラート?」

声をかけるのは憚られたが、声をかけない訳にもいかず、躊躇いながらも彼の名を口にした。

すると、ディウラートはびくりと肩を跳ねさせて、ゆるゆると顔を上げてこちらを見た。

わたしは、驚きに息を止める。

いつもよりずっと悪い顔色。泣き腫らした瞼。数えきれない程の引っ掻き傷のある喉元。

大丈夫?なんて、とても声をかけられない。

大丈夫でないことくらい、何か大変なことが起こったことくらい、さすがのわたしにもわかる。

「ディウラート……どうして。どうして、こんなことに……?」

しゃがんで視線を合わせ、震えそうな声を必死におさえながらそう聞くと、ディウラートは無表情のままに顔を伏せてしまった。

「あ……」

どうすればいいのかと、わたしは慌てる。

こんな状態の彼を放っておけるはずもなく、けれど何をすればいいかもわからない。

再び声をかけようかと思案していると、自らの膝を抱く彼の細腕に、大きな打ち身があることに気が付いた。

「腕にまで怪我を……?」

思わず口に出して言うと、ディウラートははっとしたように袖で腕を隠そうとした。

「ま、待って!隠さないで。教えて。何故、こんなにも酷い怪我をしているの?何が、あったの?」

わたしが聞くと、ディウラートは膝を抱く手に力を込め、さらに小さくなってしまった。

その肩が小刻みに震えていることに気付き、わたしは胸元を握り締める。

何があったのかわからない。彼に何をしてあげればいいのかもわからない。

そんな自分が、悔しかった。

「ねぇ、ディウラート。お願いよ、教えて」

わたしはそっとディウラートの手に自らのそれを重ねた。

心配しているこの気持ちが伝わるようにと、彼の手を握ろうとしたその時。

わたしの手は、強い力で振り払われた。

「えっ……!?」

驚きに動きを止めるわたしに、ディウラートは一瞬はっとしたような表情をして、後ずさる。

けれどすぐに背中が幹にあたり、それ以上さがれないことを知った彼は視線を泳がせた。

酷く怯えきったその表情は、見ているこちらも辛くなってくるほどだ。

「ディウラート」

名を呼んで、手を伸べる。

今度はこちらからは触れず、彼が来てくれるのを待つ。

「怖がらないで、貴方が心配なの。せめて、傷だけでも診せてくれないかしら?本当は、何があったのかも聞きたいのだけれど」

できるだけ穏やかに、優しく、怖がらせないように気を付けながら言う。

淡い青色が、わたしを映して揺れた。

「……」

唇を引き結んで、ディウラートは様子をうかがうようにちらりとこちらを見る。

「ねぇ、お願い。診せて。痛いでしょう?今手持ちはないけれど、傷の様子を見れば薬を持ってきてあげられるわ。わたし、魔法薬の勉強もしているのよ」

わたしは、さらに彼の方へと手を差し出した。

「ほら、ディウラート」

「っ!……!!」

ディウラートは弾かれたように立ち上がると、何かを伝えようと口を動かした。

けれど、それは声にならない。

訝しく思って彼を見上げると、顔を歪めた彼は覚束ない足取りで数歩後ろへ下がり、どさっと転けて尻餅をついてしまった。

「ディウラート!」

慌てて駆け寄り助け起こそうとすると、ディウラートは嫌々というように首を振って抵抗する。

けれど、怪我のせいだろう。その力はさほどではなく、彼自身もそれに気付いたのか、すぐに抵抗を諦めたようだった。

「もうっ……何をやっているのよ。自分が怪我人だって、わかっている?」

その場に座り込んでしまったディウラートに非難めいて言うと、彼は気まずそうに視線をそらした。

さらにお小言を並べようかと考え、止めることにする。

それよりも気になることがあった。

「ねぇ、ディウラート。貴方もしかして、声が出ないの?」

先程、確かに彼は何かを言おうとしていた。

それが声にならず、気が動転していたように見えたのだ。

話してくれないことに、多少の違和感は感じていた。

普段から無口な少年ではあるし、怪我や精神的なことが原因で話したくないのかもしれないとも思った。

だが、咄嗟の反応で声が出ないのは明らかにおかしい。

ディウラートはしばし躊躇う様子を見せて、拳に握り締めた。

そして、喉元に手をやったり、口を動かしたりしながら、何かを伝えようとしてくる。

けれど、やはり声を出さないために、何を伝えたいのかわからない。

そこでわたしは、本当に声が出ないのだと確信する。

「声が出ないのね?」

わたしが確認すると、ディウラートはうすく血の滲む唇を強く噛みしめ、ゆっくりと首を縦に振った。

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