第14話 美しいひと(2)

座って直ぐに、料理に視線を落とす。離宮内では考えられない、豪華な食事だ。

貴族に生まれながら貴族としての振る舞いを知らない私は、けれど食事の作法だけは知っていた。

量も華やかさも離宮のものと比べるのが馬鹿馬鹿しくなってくるほどに違う料理たちに、さっと目を通す。

飲み物が、他よりも私のものの方が少し濁っていることに気がつく。

ほんの些細な、見落としてしまいそうな違いに、目を凝らしていく。

成る程。今夜は、飲み物と野菜皿に毒が盛られているのか。

けれど、毒と知っても、私はそれを食べる。

生きるためには食べるしかなかった。離宮の食料だけでは、飢え死んでしまう。

慣れているとはいえ、量と種類によっては毒で体調を崩すこともある。

今回は量が少ないようで、何よりだ。

見咎められぬよう、私はできるだけの丁寧な動作でカトラリーを動かしていく。

美味しいのかなどわからないが、とにかく腹が減っている。

「母上」

見るからにいつもより苛々としているウォルリーカに、ゼウンが恐る恐るといったように声をかけた。

「何ですゼウン?」

「あの。先程の話は、本当なのですか?マリエラと、セルバーが……」

そこまで言って、ゼウンははっと動きを止めた。

ウォルリーカの纏う空気が鋭さを増したことに、気が付いたのだろう。

「本当であってなるものですかっ!あの女は、大人しくゼウンと結婚し、わたくしたちの踏み台となればよいのです!」

珍しく声を荒らげたウォルリーカに、ゼウンは戦々恐々としている。

イルハルドはその様子を一瞥して食事に戻った。

ウォルリーカがあの女、と罵ったマリエラという人物の名前に、私は覚えがあった。

以前から、この晩餐の席でよく聞く名だ。

確かこの国の王女で、ゼウンはその夫の立場を狙っているのだったか。

従姉にあたるはずだが、会ったことなどあるはずもない。

「で、ですが。夜会に出た者から、報告が来たのですよね?二人が連れだって個室に入った、と。これでは、我らの計画が危うくなります。何かいい手はないのですか?母上、手を打って下さい!」

駄々をこねるようにゼウンは言い募る。

普段から母親に頼りきった腑抜けた姿しか見ない異母兄なので、不思議はない。

けれど、母親の言いなりになることが多く、ここまで自分の意思を強く言うことはなかった。

「ふん。手を打つに決まっているではありませんか、可愛いわたくしのゼウン。ここで計画を狂わされてなるものですか!何としてもマリエラと結婚するのです!マリエラには、ゼウンが最も王位に近付いた後に、消えてもらわなければならないのですから」

ああ、と私は悟り思わず視線を落とした。

おそらく、王女がゼウン以外と婚約する可能性が出てきたのだろう。だが、ウォルリーカとゼウンには、それが許しがたいのだ。

いずれ女王となった今の王女を殺し、この国を乗っ取る気でいるのだろうから。

「ではどうするのですか、母上?」

ゼウンの問に、ウォルリーカはしばらく考え、にたりと紅い唇を歪めて笑った。

「わたくしたちの邪魔をする者の末路は皆同じです。まずは、セルバーに消えてもらいましょうか。……こんなふうに」

そう言って、ウォルリーカは自らの皿に盛り付けられていた柔らかな果実にナイフを突き刺した。

鮮血のことき赤い果肉と果汁が、ぐしゃりとつぶれてあふれ、皿の上に飛び散る。

「ああ、気分が悪いわ。あの女に、マリエラに、どんどん計画が狂わされていく。もっと使いやすい馬鹿王女なら良かったのに」

ウォルリーカは、苛立った勢いそのままに、私に杖を向けた。

呪文を呟く声が聞こえぬ間に、私の身体は背後の壁に椅子ごと強く打ち付けられていた。

「かはっ……!」

またも私は床に倒れる。今度はしばらく起き上がれそうにない。

けれど、そんな私を気にする者など、この場に存在しなかった。

うずくまって痛みに耐える私を、誰も視界に入れない。

「母上、それは良い考えですね!」

「そうでしょう?おほほほ」

口内の鉄の味と、少しでも動けば激しさを増して背中を襲う痛み。視界が歪む程の激しい頭痛の中、私は気味の悪いウォルリーカの笑い声を聞いていた。

ああ、嫌だ。

セルバーが誰か知らないが、あの果実のように、何の躊躇もなく攻撃され、殺されるのだろう。

こんな気持ちの悪い笑い声など、聞きたくもない。

どうして、こんな時に限ってマリーを思い出してしまうのだろう?

マリーの明るく全てを照らし出すような笑い声を、無意識に求めてしまっているのだろうか。

憎くて憎くて、けれど憎みきれないひと。

何の穢れも知らない、清く澄んだ心と瞳を持った、美しいひと。

彼女の笑い声を思い出し、顔を歪める。

目の前のあの女とは、大違いだ。

そしてふと、腕にできた打ち身に気がついた。

そういえば、明日はマリーに会う日だ。この傷に、マリーはすぐに気がつくのだろう。

そして、空模様のごとくころころと表情を変えて行くその花のかんばせに、今度はいったいどんな表情を浮かべるのだろうか。

見てみたいような、恐ろしいような、何とも言えない思いが胸を渦巻く。

「セルバーを消すための、準備を始めなければなりませんね」

ウォルリーカが、床に伏したままの私に魔術道具を押し当てるのがわかった。身動ぎしようとして、痛みに息が詰まる。

魔力の徴集。

そもそもこのために、私は毎夜この晩餐に呼ばれている。

魔術道具を当てられたところから、どんどんと魔力が吸い出されていく。魔術道具に、私の魔力がたまっていくのがわかる。

貴族は、日常生活の至るところで魔力を使用するため、多くの魔力をためて置いておく必要がある。

夜、灯りを灯すためや、移動の時に転移魔法陣に魔力を満たすためなど、用途は多種多様だ。

もっとも、私の魔力の実際の使い道は、定かではないが――。

私は常に、王弟一家の生活充実のために、毎夜こうして魔力を奪われている。

多くの魔力を持つらしい私は、王弟一家にとって便利な道具という訳だ。

魔力が減っていくにつれ、身体は鉛のように重くなっていく。

魔力は、いわば血液だ。大量に血を失えば命が危険にさらされるように、魔力も失いすぎると危険だ。

いつもよりずっと多くの魔力を吸いとられ、魔力の徴集は終わった。

視界が揺れ、身体に力がはいらない。

いつもならば、身体を動かせる程度の魔力は残してあるのに。

これでは、まともに立ち上がれもしないではないか。

「あら、もうぼろぼろじゃない。汚ならしいわ。これを離宮に片付けてきてちょうだい」

ウォルリーカの言葉をうけ、先程の黒服の男が部屋に入ってくる。軽々と私を担ぎ、さっさとこの場を後にしようとする。

私は、口を開こうとして、けれど違和感に気が付いてされるがままになる。

喉が、舌が、鈍い痛みとともに痺れ、まともに動かすことが出来ないのだ。

まだ、私は毒を口にしていないはずだが。まさか、別のものにも毒が?

全身の痛みと動揺のなか、黒服の男が一歩を踏み出すたび、私の体調は悪化していった。

転移魔術陣に乗せられ、離宮に帰される頃には、意識が朦朧としていた。

「ディウラート様……!ディウラート様、お気を確かに!!」

遠くから聞こえるアリーサの叫び声に辛うじて手を伸ばしながら、私は意識を手放した。


はっと飛び起きると、そこは見慣れた自室だった。

飛び起きた拍子に走った痛みに悶絶する。

全身、特に打ち付けた背中や腕はまだまだ酷く痛むが、動かせない程ではなさそうだ。

外は既に明るく、朝だとわかる。

私はアリーサを呼ぼうと口を開いた。

「……?――っ!――!!?」

どんなに声を出そうとしても、叶わなかった。喉からひゅうっ、と空気がもれ、声にならない。

どうしてだ!?

声を出せない事実を受け止めきれないまま私は考え、意識を失う前の喉の違和感を思い出す。

あれだ。ウォルリーカの、毒のせいだ。

答えにたどり着いた私は、激しい怒りに目が眩んだ。

――歌が。歌が、歌えない。

母上が教えてくれた、沢山の歌たちを歌うことが叶わない。

歌は、心の支えとしていた何よりも大切なものの一つだったのに。

私の声を特別なのだと、何よりも美しいのだと、そう言ってくれた母上。

その声で歌い続けて欲しいと遺言を残し、逝ってしまった母上。

大好きだった母上の願いを、もう叶えることが出来ない。

そのことに気付いた途端、絶望が心身を襲い、全てを覆い尽くす。

ウォルリーカ。あの女は、あの悪魔は、いったいどれだけの物を私から奪っていくつもりだ。

生まれ落ちた瞬間から、私はほとんど何も持っていなかった。自由も、権利も、何も。

それでも、片手で十二分に数えられるほどしかない、けれど両手で抱えるにはあまりにも大きな宝物たちを、私は必死に守ってきた。

母上の笑い声。母上の宝物だった歌たち。私たち母子を慈しんでくれるアリーサという存在。

私にはあまりにも大きく温かすぎた宝物たちを、私は守りきれずにいる。

一等大切だった母上を亡くし、もう何も奪われてなるものかと、どんなに辛くとも必死にウォルリーカの言いなりになってきた。

それなのに、また失った。歌を、歌声を。

次は、アリーサかもしれない。

怖い。恐い。もう、何も失いたくない!

知らず知らずのうちに、嗚咽ともいえない、詰まった息が喉から漏れる。

奪われてなるものか!

けれどもし、アリーサさえ奪われてしまったら?

その次は、何だ?何を奪っていくつもりだ?

ふと、マリーの姿が脳裏をよぎる。

まただ。またマリーを思い出す。

何故、彼女の姿を思い出してしまうのだろうか。

それだけ、私の中でマリーの存在が大きくなっているのかもしれないと思いつき、その可能性を否定する。

そんな訳はない。ただ、会えていないぶん気がかりなだけだ。

それに私は、これ以上大切なものを増やしたくはないのだ。きっとまた、失ってしまうだろうから。

沈みきった思考の中で、私は考える。

ウォルリーカの言ったとおり、私は悪魔の子なのかもしれない、と。

私に関わるもの全て傷付けられ、壊され、消えていく。

どうすればいい?何をすればいい?

救いを求めて、唇が紡げない音を紡ごうとした。

傷付いた心をいつも癒してくれたあの歌を、今は歌うことが叶わないのだと、再び絶望する。

喉をかきむしり、無我夢中で息を吸い込み、声を、歌声を、出そうとする。

駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。失わない。失いたくない。

まだ、可能性はある。毒が抜ければ、声が戻るかもしれない。

部屋に入ってきたアリーサが、私の様子に顔色を変える。

喉をかきむしる私の手を押さえ込んで止め、溢れる涙をそのままに、私を抱き締める。

「駄目……!ディウラート様、いけません!」

アリーサの声が、ひどく震えている。

私の吐く息も、頼りなげに弱々しく震えていた。

そこでやっと、私は自分が泣いていることに気が付く。

ああ。こんなにも弱い自分は、大切なものを守れない自分は、いらない。

大切だと思うものを守るために、私は何をし、何を手にすればいいのだろうか?

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