第16話 久々の訪問(2)
「何故……そんなことに?」
わたしは訳がわからず、首を振った。
彼の身に、一体何が起こったというのだろう。どうしたら、声が出なくなるようなことになるのだろうか。
普通ではあり得ない。
状況は飲み込みきれないが、取り敢えずディウラートから詳しい話が聞きたかった。
わたしは荷物を漁って紙とペンを取り出すと、ディウラートに渡した。
「筆談なら、できるでしょう?」
わたしがそう聞くと、ディウラートはおずおずとそれらを受け取り、ペンを走らせた。
『できる』
短く一言だけ紙に書かれた言葉を見て、そっと息をつく。
「良かったわ。ねえ、何故こうなったのか、話せるかしら?傷もだけれど、声が出なくなるなんて、普通じゃないもの。心配なの、お願い」
ディウラートは、気まずげに視線を投げてきた。
その瞳を、真っ直ぐに見返す。
「声の出なくなった原因に、心当たりはある?」
わたしの問いに、ディウラートは眉間に皺をよせた。
迷うようにペンを弄っていたが、根気よく待っていると、ふとペンを動かしたはじめた。
そして綴られた言葉を、わたしは息をするのも忘れて凝視した。
『毒』
そう、書かれていた。
見違えでもなんでもなく、確かにそう書いてあるのだ。
わたしの身体は、凍りついたように動かなくなってしまった。
「嘘よ、そんなっ……」
手も、声も、震えをおさえることができない。
何故こんなことに、どうして毒などに犯されることになったのかと、そう考えるそばから頭がぐるぐるとして考えが纏まらない。
あまりの衝撃に震えているのか、強い怒りに震えているのかさえ、わたし自身にもわからなかった。
脳裏に、紅い唇が弧を描いて歪む様子が浮かぶ。
知っている。わたしは、ディウラートにこんな仕打ちができるのは、王弟一家だけだと知っている。
そしておそらく、中心となって事を起こしたのは、ウォルリーカだろう。
確かな怒りを自覚して、そっと目を伏せる。許してなるものか。
わたしは歯噛みして、けれど思考に時間を費やしてなどいられないことに思い至る。
毒の種類によっては、命に関わるのだ。
時間をかけて、じわじわと身体を蝕んでゆくものもある。今は他の症状が出ていなかったとしても油断はできない。
何も、失うのが声だけとは限らないのだ。
さっと血の気が引いていく。
「いつ、いつその毒を盛られたの!?他の症状は?どうして早く言わなかったのよ!」
突然大声を出したわたしに、ディウラートが息を飲んだのがわかった。
怖がらせただろうか?けれどこれは、命に関わる問題なのだ。
『昨晩の夕食だ。それから喉と舌が痺れて、声が出なくなった。今も痺れと痛みがある。他に症状はない、と思う』
ディウラートの書いた内容を見て、わたしは可能性のある毒物を頭の中に挙げていく。
王女という立場にある以上、暗殺などの危険に晒される可能性のあるわたしは、幼い頃から薬学を学んできた。
特に毒物とその解毒薬に関しては、そこらの薬師よりずっと詳しい。
「口を開けて」
わたしは、尻込みして抵抗しようとするディウラートに有無を言わせず、半ば強制的に診ていく。
脈が乱れていないか、症状の出ている口内や喉はどうなっているのか、細かく診ていく。
本人が気付いていない症状や、その毒の特徴などを見極め、最適な処方をしなければならない。
「ルス草の根の毒かしら……」
喉の酷い炎症や口内の痺れ、舌の変色、何より声が出なくなるという特徴的な症状から、すぐに毒の正体がわかった。
特に毒性が強い訳ではないが、この毒は貴族にとっては厄介なことでよく知られている。
と言うのも、魔力を行使するためには、多くの場合呪文を唱える。声が出なくなるとそれが出来なくなり、ほとんどの魔術を使えなくなるのだ。
そして最悪、一生声を出せなくなる。
ひとまず、命に関わるものではなかったことに安堵し、わたしは身体の力を抜く。
そんなわたしの様子を、ディウラートが不安そうに見詰めていることに気が付き、できるだけ優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。それほど危険な毒ではないから、命を落とすことはないわ」
わたしの言葉に、ディウラートも少しだけ表情を緩めた。
けれど、懸念を抱いていることもある。それを彼は、どう受け止めるだろうか。
わたしは、言葉を選びながら口にした。
「けれど、服毒してから時間がたちすぎているわ。だから、声が戻るかは少し怪しいの。最悪、このまま声が戻らないことも考えられるのだけれど……」
言いつつ、ちらりとディウラートを見やり、わたしはそれ以上の言葉を紡げなくなった。
表情の抜け落ちた彼の顔はどこか人形めいていて、けれどその瞳には底知れない強い感情が渦巻いていることに気付いてしまったからだ。
わたしは、今の彼に何を言ったところで届きはしないと、その瞬間理解した。
ディウラートは、ふと俯くとゆらりと立ち上がった。
わたしも急いで立ち上がり、歩きだそうとする彼を呼び止めた。
「待って、ディウラート。待って……!」
ディウラートは、まるで何も聞こえていないように歩きはじめる。
「行かないで!解毒をしなくては」
腕を掴み引き留めてそう言ったわたしを、ディウラートは鋭い目付きで睨んだ。
無言だけれど、恐怖するには十分すぎる瞳だった。
「ディウ、ラート。お願い……。お願いよ。待って、解毒して……。こ、このままでは駄目。声だって、絶対に戻らないという訳ではないもの。ねぇ……」
声が、震えた。
彼からの拒絶を、ひしひしと全身に感じる。涙が溢れそうだ。
けれどわたしは、逃してなるものかと彼の腕に抱きついた。
せめて、解毒薬を飲んでもらわなければ、心配で帰れもしない。
「お願いっ……!」
わたしは彼を望み、求めている。大切に思っている。
けれど、その事に気付かなければよかったと、わたしの心を後悔の念がさいなんだ。
気付かなければ、これほど辛くは無かっただろう。こうして拒絶されても、平気だったかもしれない。
熱くなる目頭を誤魔化すように、わたしは何度も瞬きを繰り返した。
どのくらいそうしていただろうか。
ディウラートが身動ぎし、逃さぬように腕に力を入れると、少し迷惑そうな彼は足元に落ちていた紙とペンを拾い上げた。
『放せ』
「嫌よ。解毒して。薬を用意するわ」
『必要ない』
「ディウラート!」
わたしが叫ぶと、彼は少し表情を取り戻して僅かに眉をひそめる。
『歌えなければ意味がない。声が戻らないなら、解毒する必要はない。放せ』
書きなぐられた文字を指でなぞる。歌の単語だけ、妙に荒れている。
「歌は……貴方にとって大切?」
聞くと、彼は躊躇いがちに頷いた。
『大切だ。命よりも』
「それなら、貴方の大切なものを取り戻すお手伝いをさせて。戻るかはわからないけれど、解毒薬を飲まなければ戻るものも戻らないわ」
いい募るわたしに、ディウラートはかぶりを振った。
苦しげに顔が歪んでいる。
『出来ないくせに、でたらめを言うな!無駄な期待をさせないでくれ。私の声は戻らないし、今後歌うことは叶わない。母上の歌を歌えないんだ。期待をして、上手くいかなかったとき、また傷付くことになる。もう、傷付きなくない。失望したくないんだ』
母上の歌。
その言葉に、わたしはきつく瞼を閉じた。
もうずっと前に亡くなったという彼の母。もしかすると、歌は母の形見だったのではと思うと、胸が苦しい。
「ディウラート。ごめんなさい。確かに、わたしには何も出来ないかもしれないわ。取り戻せないかもしれない。けれど、やらせて。わたしは、貴方が苦しんでいる姿を見たくないの」
彼の心に届くよう、ゆっくりと紡いでゆく。
「わたし、ディウラートに会うのをいつも楽しみにしていたのよ。貴方は、そうでなはかったの?今日、わたしが来ると知っていてここに来たのは、どうして?」
わたしの言葉に、ディウラートははっとしたように顔を上げた。
『私も、楽しみにしていた。会いたいと、そう思っていた。何でも知っていて、沢山のものを私にくれる人だから。一緒に居て楽しかった』
ディウラートは、少し落ち着きを取り戻した。
その言葉に、わたしの胸は高鳴る。
同じ気持ちだったのだと思うと、自然と頬が緩む。
『だから、だろうか。ここに来てマリーに会えば、なんとかなるのではと、どこかでそう期待していた。マリーになら、何でもできるような気がして。歌を、声を、取り戻す力があるのではないかと、思ったんだ。勝手に期待をして、失望して、辛く当たってしまった』
彼はいつもの無表情で、けれどどこか気弱げに伝えてくる。
今度はわたしがはっとする番だった。
そんな風に思われているなど、つゆほども思っていなかったのだ。
期待していたぶん、わたしにも無理かもしてないと知って、絶望させてしまったのだろう。
『すまない』
苦しそうな泣きそうな顔で、ディウラートは謝る。
苛烈な感情を宿していた瞳は、今は濡れて揺らいでいる。
彼の中で大きく膨れ上がっていた怒りが、急速に萎んだのがわかった。そして残ったのは、不安そうに怯えた少年だけだ。
「気にしないで。仕方ないわよ。大切なものを失いそうで、怖かったのよね?けれど、それならなおのこと、わたしに解毒薬を用意させてくれないかしら?期待に応えられるかわからないけれど」
『いいのか?』
ディウラートは、先程まで浮かべていた拒絶の色を消し、申し訳なさそうに問うてくる。
「勿論よ」
わたしは快く受け合って、すぐさま準備を始める。
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