04

 ボス部屋……と言っても洞窟に廃品のソファや机を並べただけのように見える。

 ただ他の場所と違うのは部屋中に魔力が張り詰めているということ。これがボス級魔物の力なのだと思うと、今までの魔物との実力差につい後ずさりしてしまいそうになったと思う。あとは見た目さえそれらしければ。


「かわいいですね」

「こりゃ猫だねカワイイ」

「二人とも油断しすぎ……あ、でも確かにこれは猫……」

 部屋の真ん中で転がっていたのは猫。黒猫。確かに魔力は奴から放たれている。けれどこの猫でしかない見た目じゃボスだと身構える気にはならない。

 猫はその水色の丸い目でこちらを眺めながら小さな声で鳴いている。

 いや、別の意味で無理だよこれと戦うとか。今すぐ家に連れて帰りたくなる可愛さなのに、火で焼いたり水をかけたりするのはあまりにも酷だ、こっちの精神的に。ましてや倒すなんて……や、あ、でもこれって魔物なんだよね。どうしよう。

「賢者、この猫って魔物だよね……?」

 賢者は完全に猫から目が離せなくなっている。

「はい。図鑑に載っていたのと少し雰囲気は違いますが、ケットシーですね」

「魔物でも何でも可愛いからいいと私は思うよって、あ! 逃げた猫待てっ」

 猫は美女に撫でまわされるのを迷惑そうに頭を動かし手から脱出すると、賢者の方に向かってトテトテと歩き出した。歩き方までかわいいとか、これじゃいつ攻撃を仕掛ければいいのか分からない。もう本当にこのまま連れて帰ろうかな。

「ズルいズルい賢者君ばっかり」

「賢者は何かいかにも動物に好かれそうな感じだから……あ、魔物だった」

 口をとがらせる美女には目もむけず、猫は賢者の足に手を置いた。

「馬鹿な奴ら、見た目で油断するなんてザコ確定だな」

 そして見た目からは想像もつかないような低い声で呟くと目を見開いて片口角を上げ……ゲス顔だ。あんなかわいい猫には似つかないようなゲス顔。




「えっ」

 咄嗟に杖を向けたときにはもう猫、ケットシーの鋭い爪は賢者の顔めがけて振り下ろされていた。

 その場でくるりと一回転して床に着地したケットシーは二本足で立っている。四足歩行は普通の猫に見せるための演技だったのか。猫らしい見た目はそのままに表情と素振りだけが完全な悪党に変貌していて何と言うか気味が悪い。

 大きく引っかかれた賢者は下を向いたまま顔を上げない。

「賢者っ!」

「残念だが俺様の爪には猛毒が染み込んでるんでな。これだけの攻撃を食らったなら、もうとっくに全身に回ってるはずだぜ」

 それなら解毒魔法で……そ、そうだ魔力が限界だったんだ。


 どうしてこんな安易な罠にはまってしまったのだろう。見た目で騙されるなんて奴の言う通り雑魚確定じゃないか。

 猛毒とはいえ即効性のある毒ではないらしい。ならケットシーを倒してから気絶覚悟で解毒魔法をかければ間に合う。いや、今ここで使ってしまうべきかもしれない。けどどちらにせよ私も賢者も魔力が限界、ここは美女に頼るしかない。

「美女、ケットシーの腕を狙っ」

 まずい。

 いつの間にかケットシーは美女の後ろに回っていた。

「無様だな人間! 二人目も引っかいて………………ん?」


 ふとケットシーは言葉を止めると、爪の小さい方の手でしっぽをかいた。どうやらそっちには毒が無いらしい。ノミだろうか。ていうか今そんなこと気にしてる場合じゃない。ケットシーに攻撃するなら今がチャンスだ。

「美女! 早くケットシーの腕を切って!」

 しかし美女は不思議そうな表情で体をかきむしり始めたケットシーを眺めている。

「魔女ちゃん……なんかこの猫の様子おかしくない?」

 言われてみれば確かにおかしい。ケットシーは床に転がってのたうち回り始めた。いかにも片手じゃ足りないという様子で全身を引っかいている。

「い、いやそれ猫じゃなくて魔物だから、今のうちに攻撃を」

「駄目ですよ攻撃したら。せっかくの検体なのに」

 賢者の声だ。良かった、まだ毒のタイムリミットはあるよう……


 振り返ると彼は普通に立っていた。あ、あれ? 

「毒は……?」

「そんなもの初めから受けてませんよ。むしろ盛りました」

 なんだ、じゃあさっきのは驚いただけだったのか。俯いたまま動かないから攻撃を食らったものだと勘違いしてしまった。私は昔から早とちりがすぎて困ったものだ。でもそれなら早速今のうちにケットシーを倒して

 ……ん? 

「ちょ、盛ったって……まさかこれ」

 ケットシーは毒のある方の手で床をバンバン叩きながら呻き声をあげている。さっきからどんどんエスカレートしているように見えるけど、まさかこれは賢者が盛った……

「お、おい早くっ、これを治せっ!」

「新作の毒です。どうやら痒み成分があったみたいですね」

 あの一瞬でそんなえげつない物を盛ったといのか。あれに。あの猫に。怖いよこの子、あんなかわいい猫にこうも凶悪な毒を盛るとか悪魔だよ。

「賢者君それでいて表情がいつも通りなのが尚のこと怖いよね。ところでケットシーって食べられるかな」

 さすがの美女でも怖いと思ったらしい。あんな無邪気な顔でこんな恐ろしい物を試すなんて誰だってそう……いやちょっと待ってこれ食べるのか。美女も十分怖いよ。

「やめた方が良いと思います。爪とさっきの、二重の毒があるので」

「あ、そっか。ていうかよく考えたら魔物じゃ食べても灰になっちゃうか……」

 二人はもう暴れ回るケットシーを完全に敵として見ていない。駄目だ、この先付いていける自信が無い。

「ごちゃごちゃ言ってないで早よ解毒しろ!」

 外道な手を使った奴とはいえ、なんか段々可哀そうになってきた。かなり息も荒いしこのままじゃ過呼吸でも起こすんじゃないだろうか。

「賢者、そろそろ解毒剤を使ってあげた方が」

「そうですか? まあ、確かに少し効き目が強すぎて……」


「……あ、作り忘れてました」

 床に転がったケットシーは、猫ってあんな表情するのかと思うくらいの絶望を顔に浮かべた。どうしよう。これを見て解毒魔法を使わないほどの冷酷さを私は持ち合わせていないらしい。

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