第19話 黒衣の城

 屋敷は魔獣と化したアイリーンによって大きく形を変えられ、メイド達は逃げ惑っている。


 三階の部屋が破壊され、床が抜けて落下したセンタはすんでのところでシエナを抱き抱えていた。客室と思われる部屋の中が破片と石だらけになっている。


「ご無事ですか、聖女様」

「え、ええ……。もう大丈夫ですわ。それより、彼女は?」


 真っ暗になってしまった屋敷のどこかで、何かがぶつかっているような音が響いている。次第に大きくなっていくそれは、廊下から聞こえているようだった。


「まだ屋敷にいるのかもしれません。僕がなんとかしますから、聖女様は隠れていてください。それと薬を」


 聖騎士は先ほど、自分が周囲を危険に晒してしまったことを恥じている。想定が甘すぎたことで、何より守るべき大聖女に危害が及んでしまう寸前だった。薬を貰い、自分一人で決着をつけるしかないと考え始めていた。


 しかし、聖女は首を横に何度も振る。子供っぽい仕草ではあったが、彼女は必死に勇気を振り絞っていた。


「いいえ! わたくしも行きます。自分の身は自分で守りますから、同行させてください」

「し、しかし!」

「センタだけでは、きっと上手くいきませんわ。それに、このまま何もしないなんて我慢できません。わたくし、」


 言いかけて、強い衝撃が屋敷内に響いて体が強張った。


「これは! 行きますわよ」

「あ! 聖女様! お待ちを!」


 我さきに駆け出したシエナを、センタは必死で追いかけるしかなかった。扉を開いて廊下に出たところで、すぐに答えは待っていたようだ。廊下の先で何かがいる。そう遠くない先に、魔獣の気配がふんだんに香っている気がした。


「アイリーンちゃん!」声を上げつつ、彼女はバッグから小瓶を出した。すぐにセンタが彼女の前に立ち、背中に手を伸ばす。


「すまない。僕としてもこんな真似は、したくなかったんだが」


 彼はブロードソードを鞘から抜いた。センタは自分がしようとしている行為に目頭が熱くなる。少しでも加減すればこちらが殺されてしまう。だからこそ、死なない程度に斬りつけるという選択肢以外に考えが及ばない。


 怪物のシルエットが近づいてくる。しかし、真っ直ぐにではなく、壁にぶつかりつつだった。違和感を覚える仕草に、大聖女と聖騎士は身動きが取れずにいる。その姿が露わになった時、思わず声が出た。


「まあ! お姿が、戻ってきていますわ」

「こ、これは!」


 あの大きな熊のようだった体が縮んでいる。しかし、まだセンタと同じくらいの体格は保っていた。怪物そのものだった顔も、人間とのハーフを思わせる半端さがあった。どうやらこちらにも気がついていないらしい。


「あれは……お札ですの? もしかして!」


 いつの間にか体の至る所に札が貼り付けられている。あれは確か、ゼルトザームが魔族の店で購入していた時のものだ。一体どうやったのかは分からないが、彼が何かしらの方法を用いて貼り付けたということか。


 今こそチャンスだと、聖女は駆け出した。追い抜かされたセンタは、はっとして後を追う。


「危険です! 聖女様」

「今しかないのです!」


 よろめく怪物は意識が朦朧としているようだ。魔獣を封じ込める札はなかなか破けない。近く影に気がつき、焦る気持ちから全身を振り回すように暴れる。


「こら! 大人しくしないか!」


 センタが思い切り体当たりをして、アイリーンを押さえ込みにかかる。先程までの巨大さなら部が悪かったのだが、今なら彼のほうが上手だった。仰向けにして動きを封じると、すかさずシエナが瓶の蓋を開け、開いた口に薬を流し込んだ。


 怪物が咆哮を上げて抵抗するが、どうやら飲み込んでくれたらしい。暴れる両腕の力はすぐに衰えていき、体全身が萎んでいくようだった。気がつけば、年相応の少女の姿まで縮んでいる。髪も顔も、体全身が元通りになって、そのまま目を閉じて動かなくなった。


「や、やった!?」センタが半信半疑の間抜けな声をあげる。

「やりましたわ! これで、これで元通りです!」


 シエナは彼女の呼吸を確認すると、すぐに回復魔法で治癒を始める。怪物へと変貌させる病は、とうとうその小さな体から消えてなくなったのだ。


 ◇


 メイソン邸の広大な庭に、大きな穴が開いてしまった。巨大な鈍器で殴られたような錯覚を覚えつつも、狼はよろめきながら立ち上がり周囲を見渡す。


「隕石……だと?」


 大きな石が粉砕されて転がっている。並の攻撃では傷一つつくことがない体が、確かに痛みを覚えている。


「ここまで登ってこい。俺はコーヒーを淹れなきゃならん」


 隕石魔法を放ったと思われる男は、屋根の上で呑気にもコーヒーを淹れる作業を続けていた。余った右腕でカードを取り出し、自らの足元に落とす。


 小さな魔法陣と共に、赤い剣が召喚されていた。テーブル脇に剣を立てると、ようやくこちらに視線だけを向けてけてくる。


「登って来れたなら、この剣でお相手しよう」

「ふん! 舐めるなよ小僧」


 狼は苛立ちを隠さず、前のめりの姿勢になり全身に力を入れる。青い光に包まれた体には、いくつもの魔法壁が展開されているようだ。

 狼はその俊敏かつ鋭利な物理攻撃に加えて、魔法により自らを守ることもできる。


「ふざけた態度も今のうちだ! てめえだけはぶち殺してやる!!」


 魔力と気合が充満した体が一気に加速する。爆発するような勢いと共に、狼は駆け出して跳躍した。しかし、すぐに横から何かが迫っていることに気がつく。魔法壁で固められた全身が衝撃に飛んだ。またいても隕石か。


「ふん! この程度がなんだ!」


 狼は一度屋敷のそばに着地すると、周囲を警戒した。夜の空に、見慣れない灯りがいくつも見える。恐らくは隕石魔法が接近しているのだろう。愚かな奴だと狼は思う。このような魔法は、事前に行動がわかっていない限り全て空振りに終わってしまうものだ。それにどうしても発動から到達まで時間がかかってしまう。


「ははは! この馬鹿が!」


 狼は今度こそ自分の勝ちを確信する。この牙が、爪が届いてしまえば一瞬で終わりだ。夜の星々を眺めつつ、落下してくるであろう地点を予測、すぐに予想どおりの隕石がこちらに降り注いできた。


 人間の三倍以上も巨大な体は、身軽さでも常軌を逸していた。正確にこちらへと降ってきた隕石を横っ飛びで交わすと、そのまま屋根へは飛ばず、周囲へと移動し続ける。跳躍が屋敷を包囲しているようだった。


 狼が自らの俊敏さを鼓舞する間に、隕石は次々と庭へと落ちていく。ゼルトザームは夜空の元、今もコーヒーを淹れる作業を続けていた。


「くそ! まだ終わらないのかこれは」


 なんと間抜けな男だ、と狼は目にも止まらぬ跳躍を続けながら失笑する。くだらない行為をして余裕を見せつけようとするから、最も哀れな死に方をする以外になくなってしまう。


 もう一度周囲を確認する。夜空の星々とは異なる破壊の輝きは、もう両手で数えるほどしか残っていない。落ちてくる軌道も見えた。全てが手を取るように解る。狼は一度屋敷から離れ、ゼルトザームと相対するように庭の正面に立ち、四本足の姿勢を取る。


「行くぞ、痴れ者めが!」


 真っ直ぐに駆け出した。右から左から落ちてくる隕石達。中には屋敷を貫通して飛んでくる物もあった。そんな当たれば死が確定する連鎖を、すれすれで避けつつ前へと進む。時には右へ左へ、瞬時に移動しながらも、とうとう跳躍した。


 最後の隕石と思わしき赤い光すらも、紙一重でかわして。とうとう正面に、あの憎たらしい顔が。


「死ねえ! この若造めが!」


 大口を開けて頭から被りつく。

 しかしその歯が捕らえたのは、味気ない木の感触だった。テーブルに思いきり食らいつきながら、狼は目を丸くして固まる。


「そこだ。そこで止まれ」


 はっとして左に目を向けると、ゼルトザームがコーヒーを片手に涼しい顔で立っている。


「これ、結局最後まで淹れられなかったんだけど」

「な……きさ———」


 言いかけて側頭部を中心に、猛烈な衝撃が突き抜ける。気がつけばまたしても自分は庭へと叩きつけられている。何が起こった? 何が。


「がああああ! く、なんだ。なんで?」


 痛みに踠き、立ち上がることができない。屋根の上に立っている男を瞳だけで捕らえて、狼は理解した。最後の最後で、自分のところに隕石魔法を張っておいたのか。

 ということはつまり、最初から最後まで、思いどおりに動かされていた?


 月明かりが男を照らしているようだった。彼は最後のカードを光らせ、少々不満げな顔でコーヒーを口へと運ぶ。


 何かが召喚されているようだ。奇妙な圧迫感を上から感じる。ようやく動けるようになった顔を上げた。黒い何かが迫っている。貴族邸よりもずっと巨大で、全体が分からないながらも威厳が漂っている。


「俺の別荘。ブラックパレスだ」

「な……ま、待ってくれ。待って——」


 黒く巨大な城が、小さな存在を勢いよく踏み潰す。周囲には猛烈な揺れが発生し、規模は王都全体にまで及んだ。


「……いくらなんでも、派手にやりすぎたな」


 ゼルトザームは、盛大にやらかしてしまったことに今更ながら気がついた。コーヒーを飲みつつ、とりあえずはすぐに黒衣の城を元の場所に送還したのだった。

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魔創遊戯の王 〜やっと魔王軍から追放されたので、いよいよ人里でニート生活を謳歌するぞ! ……ん? 大聖女とやら、最近よく会うな。……なに? 魔王討伐に付き合えだとー!?〜 コータ @asadakota

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