第18話 屋敷での戦い

 屋敷の中、もっとも陰湿な空気が漂う子女の部屋で、センタとシエナは驚きに目を見開いていた。


 拘束され動けなくなっているはずのアイリーンが、全ての枷を引きちぎってこちらを睨みつけている。そして封印の護符まで破かれてしまっていたのだ。


「まあ! なんてことでしょう。まさか縛りが解かれるだなんて。た、大変ですわ」

「ご安心下さい聖女様。ここは僕が何とかします」


 アイリーンは順調に魔物としての成長を続けていた。数時間前までから比較して、ひと回りもふた回りも体が巨大化している。

 呻き声からは少女の繊細な声色は消え、まるで熊のような低い音域が漏れていた。


「君達は避難しなさい。ここは僕達で何とかする」


 周囲で体を縮こませて怯えるメイド達を下がらせ、センタは肩を鳴らして前に出る。今の時間は眠りについているはずで、ほとんど危険はないはずだった。大きく予定が狂い始めている。


「大聖女様! 僕がアイリーン様を抑えたら、すぐにその薬を飲ませて上げて下さい」

「は、はい! 解りました。でも、無理はしないで」


 アルストロメリアの聖騎士は、大陸でも有数の実力者ばかりであると言われる。そんな精鋭達の中にあって、パワーとタフネス、根性という面ではずば抜けているのがセンタであった。

 鍛え抜いたその体力は、並の魔物にも引けを取らない。しかし今相対しているのは、想像より遥かに大きさを増した危険過ぎる怪物だ。その容姿はまるで二本足の狼のようであり、熊のようにも映る。


 センタは背中に預けていた大盾を構え、静かにアイリーンと向き合う。距離にして、野獣の足なら一瞬で間合いが詰めることが可能だ。瞬き一つで状況が変わる予感がした。

 彼に庇われるように背後にいるシエナは、いつでも薬を飲ませられるようにバッグに入れていた小瓶に手を伸ばした。


 しかし、細い指先が掴んだ感触は、なにか奇妙だった。小瓶の他に何かが入っているようだ。


「あら、これって」

「聖女様! 来ます!」


 咆哮と共に少女だった怪物が、四つん這いになりつつ突進した。あっという暇もなく、センタは構えた盾に衝突してきた怪物に力負けして大きく吹き飛び、背後に守られていた聖女もまた飛んだ。


「何おおお! こんのおおお!」


 長い爪を持って命を刈ろうとする怪物。その一撃を盾で受け止めつつ、センタは懐に入り込む。逃げるのではなく前に出る。そうやっていつも活路を見出してきたからこそ、彼は二十代中盤という年齢で出世してきたのだ。


 人間の中ではあり得ないほど飛び抜けた怪力が、アイリーンの巨大な腕と拮抗している。


「アイリーン様! 気をしっかり持つんだ! 取り戻せ、自分を!」


 彼の叫び声の意味が、怪物と化した少女にはきっと届いていない。力負け寸前となりつつある状況を、聖女が打開しようとする。


「白光を汝に」


 高く上げた右手の平から、白く眩しい光が発せられる。太陽よりも眩しき輝きに、怪物は目を堪らず瞳を閉じる。


「うおおおおりゃあああああ!」


 力が緩んだ瞬間を聖騎士は見逃さない。更に体を深く潜り込ませ、自らの何倍も太い腰を両手で掴む。渾身の力を込めて、思いきり上空へと巨体を浮かせ、すぐに床に叩きつけた。仰向けになった怪物の頭に体全身で覆い被さり、左手をシエナへと向ける。


「聖女様! 薬を」

「は、はい!」


 薬を手渡そうとした矢先、彼女は怪しい輝きに瞳を奪われた。床に顔を打ち付けられた怪物の瞳が紫の光を発し、ただでさえ巨大だった体がまた成長する。同時に紫の輝きが全身に広がり、衝撃波となって周囲へと爆散した。


「うおおおおぁお!?」

「きゃあああああ!?」


 ゼルトザームとメイソン、ベルカのふりをしていた魔物が聞いた音は、この時のものだった。


 ◇


 ベルカを装っていた魔物は、ゼルが放った闇魔法で吹き飛ばされ、屋敷の壁を突き抜けて広大な庭に地鳴りと共に叩きつけられた。

 しかし、上位にあたる魔物である彼には然程のダメージは見受けられない。


 むしろ、望むところとばかりにすぐさま立ち上がり、いつの間にか屋根の上に立っていた男、ゼルトザームを見上げている。


「戦う前に確認しておきたいんだが。なぜこんなまわりくどい真似をした?」


 なぜかゼルトザームは屋根の上にテーブルを持ってきていた。先程準備していたコーヒーを淹れる作業を続けているようだ。ふざけた野郎だと憤り、巨大な二本足の狼は鼻を鳴らした。


「ふん! 地獄への土産に教えてやるか。育てることが必要だったのさ。あの大貴族の子供が怪物になり、多くの人々を無惨にも殺す。それが王都全体への不安を大きく募らせ、貴族や王族、上位にいる存在への不信感を強める。そうすることで負の力が増し、我々にとって優位な戦場に変えることができる」


 話を聞いているのかいないのか、ゼルトザームは尚もコーヒー淹れを続けている。全てがカップに注がれるのには、意外にも長い時間がかかることを彼は知らなかった。


「いまいち、よく解らないやり方だな。理由も、何とも……。まあいいか。で、誰に頼まれたんだ?」

「俺の独断で始めたことだ」

「嘘だな。君のような欲望まっしぐらな魔物は、そんな面倒で意味わからん作戦は思いつかないだろ。真っ先に全員食い殺そうとか考えるに決まっている」


 狼は喉を鳴らしつつ、静かに歩み寄り始めた。屋根の上にいようとも、自分ならばすぐにその首を刈りにいける。ゼルトザームの発言通り、彼はそういう戦いのほうが好きな性分だった。


「たまにはそんな殺し方も悪くないと考えたのだ。お前には理解できないだろうがな。普通の殺しだけでは飽きることも、時としてあるものさ」

「そうか。命令した奴のことは、万が一でも口外できないってことだな。……ああ!? なんだよこれ。いつになったら全部注ぎ終わるんだ?」


 見慣れない鎧を着た黒髪の男が、滑稽にも屋根の上でコーヒーを淹れることに四苦八苦している。こいつは馬鹿ではないのかと、狼はほくそ笑む。一瞬の跳躍で殺せる位置まで、あと三歩ほどだった。


「俺はこの後魔獣と化したアイリーンを解き放ち、王都で殺しの限りを尽くしてもらうつもりだ。あの子は凄惨な殺人の果てに自らの命を散らすだろうが、十分に役目を果たしてくれる。誰も止められる者はいない」

「無理だろうな。もうすぐ人間に戻る」

「お前はその前に死ぬ。ベルカと同じように俺の胃袋に入るだけだ。今ここでな」

「まず、屋根に上がって来れるのか。なあ、その前にこれ……いつになったら全部注ぎ終わるんだろうな」

「……?」


 不意打ちでの跳躍を開始する直前、狼の背中に冷たいものが走った。屋根上に立つゼルトザームの全身から、まるでマグマのように猛烈な魔力が溢れ始めている。

 もしかしたら、大気中に流れる何かを吸収しているのだろうか。無尽蔵に増え続けるそれは、狼にとって悪夢ともいうべき恐ろしい錯覚を生み出していく。


 狼狽と恐怖のあまり、自分でも気がつかないうちに後ずさってしまっている。自分の体が震えていることを彼は認めたくはない。


「な、何者だ……貴様。さては人間ではないな! なぜ人間側についてやがる」

「働きたくないからだ」

「は?」

「いつまでも待たせるな。上がってくるなら、さっさとしろ」


 ゼルトザームは左手を懐に入れ、何かを取り出している。初動が遅れてしまった狼は、先手を譲らない為にすぐさま跳躍した。


 狼の迫り来る長い爪が、カードに反射して映っている。だがその爪が届く前に、全身が重く硬い何かに衝突し、庭に大穴が空くほどの勢いで叩きつけられてしまう。


 魔王の持つカードには、隕石の絵が刻まれていた。

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