41. もっとも出会いたくなかったもの
「なあ、俺たちずっと歩いてるよな。どのくらい歩いた?」
「さあ……二十分くらいかしら」
「……完全に道に迷ってるよな」
霧の森に入った俺たちは、エレナを先頭にナノ、俺、キュウの順に縦に並んで進んでいた。
足元を確認することすら難しい金色の霧の中を、何とかはぐれないように歩いていたが、それにばかり意識を向けていたせいか、完全に帰り道を見失っていた。
「しょうがないじゃない。こんな濃い霧の中で迷うなって方がおかしいわよ。それより、みんながはぐれないように進まないと」
「確かに、こんな森の中で一人になったら確実に死ぬな。心なしか霧のせいで方向感覚がバグってるように感じるし」
この森がどのくらいの広さなのかは皆目見当もつかないしが、もし三人とはぐれて一人でこの森を彷徨ったら餓死する未来しか見えない。
いくら俺の能力が防御力に優れていても、空腹に関してはどうすることもできないのだ。
「大丈夫です! 自分が先頭にいる限り、皆さんに危険は訪れませんから!」
「へいへい。何回も聞いたよその話は」
相変わらず頼もしいことこの上ないな。頼もしすぎてこれが何かのフラグなんじゃないかと思えてしまう。
「それよりキュウ。お前の直感で霧の発生源の位置を探れないのか?」
俺は振り返り、後ろにいたキュウに質問をした。
もし人狼の直感とやらが高性能なものなら、この霧の発生源の場所まで案内を任せられるかもしれないと思ったのだ。
「人狼の感覚はそこまで鋭くないですよ? せいぜい人より少し視線や危険に機敏なだけです……でも」
「――でも?」
「奥の方から嫌な感じがします。具体的な位置はわかりませんけど、ぼんやりと何か強い力がそこにあるような……」
え? なに? いきなりボス戦突入するの?
よくRPGのゲームとかにある、『この先から嫌な感じがする。先に進みますか?』みたいな感じで、明らかにこの先ボス戦ですみたいなこと言わないでくれよ。
そんなことを考えていると、俺の前にいたナノが振り返り俺とキュウを見て、
「強い力……ね。まあ、私たちにはエレナがいるわけだし、そんなに心配する必要もないわよ。ね、エレナ!」
まあ実際に俺が前に出て戦うわけじゃないし、エレナに任せておけば何とかなるという考え方も理解できる。
余裕綽々と言った感じで、先頭にいるはずのエレナに確認を取るように、もう一度前を向きなおしたナノ。
しかし、
「……エレナ?」
普段なら意気揚々と声を上げ、自信満々に『任せてください!』の一言が返ってくるはずだ。
それなのに、ナノが喋った後に訪れたのは本来あり得ない……あり得て欲しくない沈黙の空気だけだった。
「――ッ!! エレナ!! どこだ? どこにいる?!」
「エレナー! 私たちはここよー! どこにいるのー!」
「エレナさーん!! どこですかー!!」
全員が異変を感じ取り、即座に前の方だけでなく全体を見渡すが、どこを見てもエレナの姿が無い。
大声で名前を叫んでも返答無し。文字通り影も形もなくなっていたのだ。
「どういうことだ?! さっきまで前を歩いてただろ! それがこんな短時間でいなくなって……しかも、声の届かない場所まで移動したってのか?!」
「そんな! まさかエレナが私たちを置いていったの?!」
「で、でもそんなことする意味が……」
エレナの身体能力ならおそらくそれも可能だろう。だが、彼女がそうするメリットがない。
あれだけ俺たちを守ると啖呵を切っていた彼女が、忽然と姿を消すはずがないのだ。
つまり、
「エレナの意志じゃない……やっぱりこの霧何かおかしいぞ!」
今考えられることで一番可能性があるのは、この霧のせいによるものだということ。
この霧には、死には至らないが何か別の効果があるかもしれない。
「とにかく二人とも離れるな! もっと俺の近くに寄れ!」
「ヘージ。言ってることがキモイわよ」
「気にしてる場合か! あと割とへこむからやめろ!」
「あんたも気にしてるじゃない!」
今は緊急事態だ。いちいちそんなことを気にしていたら、エレナの二の舞になる可能性がある。
ここは、三人で肩を寄せ合って……できるなら手をつないで歩かないと絶対に危ない。
勘違いされたくないから断っておくが、これは緊急的なものであって普段からそういう考えを持ってるわけじゃない。
まあ、そもそも俺にそんな機会訪れないんですけど……。
「ヘージさん! エレナさんならきっと見つかります! だから涙を拭いて三人で探しに行きましょう!」
「キュウ。これは違う涙なんだ……」
自分で考えたことで自分がダメージを負ってしまう。
だがまあ、ここはキュウの言う通り涙を拭いて、まずエレナを探すことを最優先に進んだ方がいいだろう。
俺たちのパーティーにとって、戦力の要であるエレナがいなくなるのは本当にマズイ。
ナノは持ち前の不運で攻撃が当たらないし、キュウも戦えないことはないだろうが職業ジョブがクレリックなので攻撃力には期待ができない。
そんな状況で魔物に出くわそうものなら、俺は生物の生存本能に従って二人を置いて一目散に逃げるだろう。
「とにかく、まずはエレナと合流だ。行くぞナノ、キュウ!」
二人の前に立ち、最優先事項を霧の原因究明からエレナの探索へと切り替える。
魔物とはち合う危険性はあるが、じっとしていても何も始まらないのも事実。
一人なら絶対に逃げ出すところだが、ナノとキュウを前にそれもできない。
そう思いながら、二人に前進の確認を取った時だった。
「……ナノ、キュウ?」
返事がない。何も返ってこない。
ギルドでクエストを受けたときのような威勢の良い二人の声が、聞こえないのだ。
振り返るのがものすごく怖い。だが、振り返らないと何も始まらない。
勇気を出して、恐る恐る後ろを振り向くと、
「誰も……いない……」
ナノもキュウも、あんなに近くにいたのに、何の前触れもなく姿を消したのだ。
俺の周りにはもう、金色の霧と森の木々以外に何もなかった。
「――ッ!!」
瞬間、あり得ないほどの恐怖感が俺の背中に覆いかぶさるように降ってきた。
視界が不明瞭で危険な魔物もいる森の中、忽然と仲間が消えたった一人になったのだ。ホラーゲームでもここまでのドキドキ感は味わえないだろう。
「どうする……どうすればいい?!」
頭の中が焦りと混乱で埋め尽くされ、まともな思考ができない。
こういう時、どうするのが正解なのだろうか。
動かずに救助を待つ? いいや来るわけがない! もし仮に来たとしても、その時には俺の息はないものだと考えていい。
歩いて三人を探す? 魔物と出くわしたらどうする! キュウが……いや、最悪ナノでもいればまだ可能性はあったが、攻撃手段が何もない俺がこの森の魔物をどうこうできるわけがない。
だが、さっきの俺の考えの通りに行動を移すなら。
「――逃げる……そうだよ、来た道を戻って街に行けば、救助を要請できる」
この霧の中、来た道を正しく戻れる確証はない。だが、一直線に走っていけばいつかは森を抜けられるはずだ。
森を抜ければ、森の外周に沿って歩いて俺たちが来た道を見つけ出せる。そこから街に戻ればなんとかなるかもしれない。
「そうだ。戻ればまだ何とか……ッ!!」
その時、何か大きな影が俺に覆いかぶさってきた。
今度は恐怖でも比喩でもない。本当に俺の周りが少し暗くなったのだ。
空飛ぶ魔物? またドラゴンか? いや、ドラゴンの時よりは影が小さい。
上を見上げるのが怖い。今回は頼りになるエレナがいないのにどうやって倒す? いや、倒せるわけがない。だったら、何の魔物か確認するよりも一目散にここから逃げた方がいいはずだ。
そう思い走りだそうとするが。
「――痛った! こんな時にこけるなんて……」
走りだそうとした瞬間、木の根に足を取られてそのままこけてしまった。
幸いどこかにケガを負うようなこけ方はしていない。
だが今ので気づかれたのか、それとも元々気づいていたのか。俺を覆う影は、徐々にその色味を濃くしていった。
確実に近づいてきている。だが、もし攻撃をするようなら、俺の特殊職業エクストラジョブで止められるはずだ。何もできないだけで死ぬことはないはず。
せめて、どんな魔物かこの目で確認しようとした時だった。
「――ッ!!」
眼前まで黒く鋭い鉤爪のようなものが迫ってきて……そして止まった。
恐らくその行為は攻撃だったのだろう。だからこそ、オートで止めることができた。
止めることはできたが、次をどうするか。やはり逃げるしかないのだろう。
「あっれ~? なんで当たらないんだし~」
次の行動として闘争よりも逃走を選択しようとした矢先、聞こえてきたのは気の抜けた女性の声だった。
そこに立っていたのは、目の前にいること自体があり得ないものだった。いや、それはきっと前世の価値観で彼女を見ているからそう思うのだろう。
あの姿は、この異世界だからこそ成り立っているのかもしれない。
体と顔は人間。しかし下半身と腕は完全に鳥のもの。
その黄緑色の髪をなびかせた彼女の全体像は、ゲームや漫画の世界でしか見たことのない『ハーピー』と呼ばれる怪物そのものだった。
とっさにうつぶせの体をひっくり返し、立とうとする。しかし、腰が抜けて立てず、上半身だけを両手で起こしている状態になってしまった。
これでは逃げることもできない。
「じゃあこれはどうだし『アイス・ニードル』」
次に俺の前に出てきたのは、鋭く尖った氷塊だった。それも一個だけでなく二、三個ほど空中に浮いている。
殺傷力の高そうな巨大なつららの先端は、全て俺に向けられており、攻撃する気満々である。
そして、何を言うでもなく氷塊は俺めがけて飛んできた。つまり攻撃をしてきたのだ。
だったら俺がすべきことは一つ。何もしないことだ。
「あっれ~? 今度はウチの魔法が粉々になったし~」
俺に近づいてきた氷塊は、俺の顔を潰す直前で止まり、そのまま砕け散った
どういう原理かわからないが、俺の特殊職業エクストラジョブを使うと、氷の攻撃は綺麗に砕けるらしい。
「う~ん。じゃ~あ~」
「――ちょっとまった!」
「ん? なんだし人間。遺言とか言ったらすぐにぶっ殺すし」
「殺意高すぎない?!」
このままやられっぱなしは性に合わない。だからと言って俺に何かできるわけでもない。
だったらせめて、会話で延命を試みる。
明らかに人ではないが、人型ではある。そしてコミュニケーションが取れる。
俺に対して殺意がむき出しだったのはこの際どうでもいい。どうせ攻撃してきても絶対に通らないし。それに逃がしてもらえなさそうだしな。
だったら、恐怖に打ち勝ってでも彼女との対話を試みた方が光明を得られるはずだ。
「あんたは何者だ? どうしてこんな森にいる? それにその体は一体……」
「質問が多いし~。めんどいからサクッと殺してもいいけど......まあ今は気分がいいから答えてやるし」
俺が感じている緊張感からは大きくかけ離れた適当な返事。
完全に俺のことはどうでもいいと思っている様子だ。これで彼女の気分が悪ければどうなっていただろうか。
彼女が自身の両腕の翼を大きくはためかせると、その髪色と同色の羽が、辺りに舞い散った。
黄金の霧と相まって、不可思議で妖艶な雰囲気を漂わせた人外の彼女は、俺の顔を見ながら余裕綽々の笑みを浮かべる。
そして、
「ウチはキーテジ。魔王軍幹部が一人。キーテジ・ノームだし」
ただ軽く、そう自己紹介した。
だが、今の俺にとってその言葉は何よりも重く、もっとも聞きたくない言葉の最有力候補でもあった。
「残り数十分の短い人生、ウチで埋め尽くしてやるし。ありがたく思えし、にーんげん」
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