32. 肉体労働は二度と御免だ
暗い。光がない。手足の感覚がつかめない。
俺は死んだのか? いや、俺の
じゃあここはどこだ? 何か柔らかい……っというよりも、少し筋肉質な何かが頭の下にあるのを感じた。
「――ハッ! お、俺は」
「あ、お目覚めですか? ヘージさん」
目の前の可愛いケモ耳少女の顔があった。
「え? 何この状況」
「膝枕です!」
「うん。そういうことじゃなくってね」
気になるのは現在より過去のことだ。
確か俺、崩れてきた足場の下敷きになったよな?
「あ、ダメですよ! 奇跡的にどこにも傷がなかったっていっても、まだ安静にしてないと」
決して悪い心地ではなかったが、いい大人が少女に膝枕されているのは少し恥ずかしい。
俺はむくっと起き上がると、現状確認のため辺りを見渡し、次に自分の体を確認する。
どうやらここは、昼間に男たちが昼食をとっていた休憩所だった。
俺が寝かされていたのは硬く横長い椅子の上で、寝心地が良いとは絶対に言えない。
「確かに傷がない。っていうことはちゃんと俺を守ってくれたのか」
それは、ちゃんと
そうじゃなければ俺はここにいないだろうし、もう一度神と会うことになっていただろう。
あれだけの啖呵を切っておいて、こんなに早くあいつの所に逝くのは絶対にやだ。
とにかく、これで意志のない事象でも命に係わるレベルのものはちゃんと防御してくれることがわかった。
「キュウ。俺が事故にあってからどれくらい時間が経った?」
「えっと、一時間くらいでしょうか。ヘージさんが救出された後、残りの時間を全部安全点検に使うって言ってました」
「――そうか」
「にしても、みんなビックリしてましたよ! あんな状況で無傷で生きた人を見たことがないって、親方さんも言ってました!」
まあ、普通驚くわな。ほぼ死が確定していた状況。遺体すら原型をとどめているかどうかわからないあの場で、俺は生き残ったんだ。
さて、これからどうしたものか。流石に仕事に戻るわけにはいかないし、もう少しここでゆっくりしていこうと思った時だった。
「――お、あんちゃん目が覚めたか」
「親方さん」
休憩所に入ってきたのは、俺をさんざんこき使ってくれたガチムチタンクトップの親方だ。
「いやぁ今回の件は本当にすまなかったなぁ。今日はずっと無風だったし足場の点検もしてたんだが……」
「あはは、仕方ないですよ。生きてるだけでも儲けものです」
コミュ障故に当たり障りのないことしか言えないが、正直気分的には労災をふんだくりたいところである。
だが、俺にそんなこと言う度胸はない。
「そう言ってくれるとありがてぇ。ここから先は現場の点検だけだからクエスト受注者の仕事はねぇ。少し早いがもう終わっていいぞ。ギルドでクリア報告をして報酬を受け取ってくれ」
「ほ、本当ですか!」
よかった、本当に良かった。これでようやくこの地獄から解放される。
「それと、これはほんの償いの気持ちだ。受け取ってくれ」
そういって親方は俺に白い封筒を渡してきた。正直封筒にはいい思い出が無いんだが。
何かと思い封を開けると、中に十万ルピカが入っていた。
「い、いいんですか? こんなに」
「あんちゃんの命に比べたら安いもんだろ? それに、あんちゃんは命を張ってその子を守ろうとしたんだ。それくらい受け取る権利がある」
確かに、あの時キュウを投げる判断をしていなければ、二人とも事故に巻き込まれていた。
俺は絶対に助かっていただろうがキュウはわからない。
今の『ニート』の範囲じゃ、俺一人入るのがやっとだ。俺が覆いかぶされば助かるだろうが、もし少しでもキュウが範囲から出ていれば、そこをケガする恐れがあった。
「そ、それじゃあお言葉に甘えて」
ここまで嬉しい封筒は、前世でのお年玉以来だ。それでもこれほどの額はもらったことがないが。
家を追い出された時にも同じ額を両親からもらったが、その時とは気分が全然違う。
「それじゃあ俺は現場に戻る。あんちゃんの今日の働きっぷりには目を見張るものがあったから、もしまたクエストを発注することがあれば声をかけさせてくれよ」
うん、全力でお断りします。もうこんな仕事二度としたくない。
地獄のようなブラック労働にもようやく終止符が打たれ、むさくるしい環境から解放された。
「とりあえず着替えるか」
「僕もくたくたです。早くお風呂に入りたいですよ」
「俺も絶対にこの後銭湯に行く。ナノやエレナが待ってようと絶対に行くんだ」
「い、意志が固いですね……」
こんな全身汗でべとべとの状態でギルドに行くのは、それはそれで失礼だろう。
それに、ナノに『臭い』だの『近寄らないでこのニート』だの暴言を吐かれるのは目に見えてわかっている。
だから、あいつらを待たせてでも、絶対に何が何でも銭湯に行く。
着替えや荷物は全て別の場所にある更衣室のロッカーに預けてあるため、とりあえずそこに行くか。
「流石にもう誰もいないか」
他のクエスト受注者は俺が目覚める前に帰ってしまったのだろう。
こじんまりとした更衣室には、むさくるしさを彷彿とさせる男の汗の匂いが漂っていた。
「さて、着替えるか」
「そうですね。ちゃっちゃと着替えちゃいましょう」
「ああ……ん?!?!」
いや待て、おかしいだろ。
なんで女子のお前が男の俺と同じ部屋で着替えようとしてるんですかね? っというツッコミを入れる間もなく、キュウは服に手をかけていた。
「うおおぉぉおおお!!」
「え? ヘージさん?!」
俺はくたくた足に最後のムチを打ち、荷物を全て持って全力で部屋から出た。
まだ腹しか見えてないからギリギリセーフだ。
「はぁ、はぁ。む、無神経すぎだろ!! マジで一瞬ドキッとしたわ!」
何とかダッシュで物陰まで移動してきたが、本当に危なかった。
あのままあの場に居て、キュウの裸を見たことがバレれば、俺は変態の汚名を着せられる。それだけは絶対に嫌だ。
ただでさえ不運のウィザードと外面だけ美人な武闘家に二股をかけてる疑いがかかっているのに、ここにきて少女の裸を見たとなればもう言い逃れはできない。
「仕方ない。キュウとは現場の入口で落ち合うか」
急いで着替え、荷物の最終チェックをした。
俺はナノほど不運じゃないが、また封筒を落としたなんてことがあれば絶対に立ち直れない。
もう一度中身を確認し、辺りを見渡してから懐にしまった。
「さて、それじゃあ行くか」
こうして地獄の肉体労働を終え、もらった十万ルピカをどう使うか考えながら現場の入口へ向かった。
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