31. 崩落
誰しもが想像する作業現場と言えば、おそらくヘルメットを被った男たちが作業服に身を包み、骨組みが丸見えの建物の周りに作業用の足場を作り上げ、その上を行き来しながら仕事をする光景が浮かぶだろう。
今回の現場は何を建てているかは知らないが、かなり大きい建物を作っているみたいだ。
ただ、そうなると必然的に作業の難易度も上がり、一つ一つのことに細心の注意を払いながら仕事をしないといけなくなる。
もちろん、現場の人はそのことを重々承知していため、危ない仕事は素人のクエスト受注者にはさせてないし、建物を建てる作業は全てその道のプロが行っている。
ただそれでも、どうしようもないことは起きてしまうみたいで。
「ヘージさん。何か聞こえませんでした?」
「ああ、何か聞こえるな。金属か何かが軋む音か?」
俺の頭上で、耳心地の悪い嫌な音がした。
ギギギと何か、金属と金属が組み合わさっている物が、バランスが崩れるのに耐えているようなそんな聞きたくもない音が確かにする。
そしてふと上を見上げると。
「――ッ!!」
言葉にできない。と言うよりも、言葉にしている暇すらなかった。
なにせ、かなり高いところにある作業用の足場が、大きく傾いているのだから。
ドラマやアニメで見かける、作業現場から鉄骨が落ちてくるシーンがあるだろう。
しかし、ああいうのは実際にはほとんど起こらず、仮に起こったとしても偶然が重なった故のごく稀なケースらしい。
だが、作業用の足場が崩れるのはたまにあるらしく、その多くは強風による自然的なもの。
そして、作業用の足場に張られているネットは、確かに強風の煽りを受けてこちら側へ傾いてきていた。
「おい! 足場が崩れるぞ!? 全員そこから離れろ!!」
危機をいち早く察知したのは、ガチムチタンクトップの親方だった。
足場が崩れるのを見越して、その場の全員を逃げるように促す。
「ふざけんな! 今日は無風のはずだろ?!」
「ああ、建築日和のはずだ!」
「じゃあなんで足場があんなに傾いてるんだ?!」
「俺に聞くなよ!? とにかく離れるぞ!」
現場の人たちの間に混乱が生まれる。
ただそれでも、全員が自分の命を優先するために、各々が持っていた道具や建築材を地面に置き、走ってその場から離れていった。
「キュウ! 俺たちも早く逃げるぞ!」
「は、はい!」
当然真下にいる俺たちも、足場の下敷きにならないように逃げようとする。
しかし、
「――へ?」
その間抜けな声は、おそらく俺の口から出たのだろう。
早く逃げるために持っていた荷物を地面に捨て、急いでその場から離れようとした時だった。
きっと昨日のドラゴン退治と今日の作業現場での仕事で、体が限界のメーターを振り切っていたのだろう。
足を動かそうとした瞬間、俺は何もないところで地面に躓き盛大にこけたのだ。
「ッ! ヘージさん!! は、早く立ってください!」
「……無理だ」
「ど、どうしてですか?! 早く逃げないと」
「……立てない。足が動かないんだ」
自分が自覚している以上に体が疲れており、その影響が最悪のタイミングで現れたのだ。
足は疲れのせいか、それとも恐怖しているのか、ただ震えているだけで一切言うことを聞かなかった。
「僕が肩を貸します! ほら、僕につかまってください」
こんなどんくさい俺でも、純粋なキュウは見捨てようとせずに肩を貸してくれた。
ただ、身長差がかなりあるため、キュウの肩を借りて歩いているというよりは、俺がキュウにしがみついて足を引きずられている構図になるが。
「悪い、迷惑かけて」
「迷惑じゃないです! 僕がやりたいからやってるんですよ!」
その行為がどこまでも心に染み、同時に不思議にも思った。
なぜ出会って数時間の、しかもよく知りもしない俺なんかを助けてくれるのだろうか。
前世の小学生の頃、体育の持久走の時間で、クラスで一番遅かった俺と、二番目に遅かった山田との間で、最後まで一緒に走ろうという約束があった。
そして結局俺はラスト一周で置いて行かれたのを今でも根深く覚えている。
小学校のクラスメイトですらおいていく俺を、なぜキュウは見捨てないのか。
やっべ、思い出したら涙が。
「ヘージさんは僕が助けます! だから安心して涙を流してください!」
「すまん、これは違う涙だ」
人狼である彼女の身体能力は人間のそれを優に超えており、重い荷物を軽々と運ぶ姿を何度も見ている。
だが子供ゆえに力が無いのか、それとも彼女も疲れているのか、単純に俺が重いのか。俺に肩を貸しているキュウは、今まで俺が見てきた中で一番遅かった。
「キュウ。俺を置いていけ。俺なら絶対に死なないから」
「ダメです! 僕が絶対に助けるんです!」
「説明している時間が無いんだ! いいから早く俺を」
「嫌だ! 僕はもう誰かが理不尽に死ぬのを見たくない!!」
声を荒げ俺の意見を断固として拒否するキュウ。
彼女には説明していないが、俺は
ただ落ちてくる物に対して効果が有効かどうかはわからない。
なにせ今回は、誰の意志も関係ない自然的な事象だ。故に、落ちてくる足場を攻撃として認識してくれるかどうかがわからない。
「僕が、僕が助けるんだ……」
なぜそこまで俺を助けるのにこだわるのだろう。誰だって、こんな危機的状況なら自分の命が一番優先度が高いはずだ。
「どうしてそこまで」
「ヘージさん、お昼ごはんの時、僕に唐揚げを分けてくれましたよね。あれすごく美味しかったです」
「おい、今はそんなこと話してるときじゃ」
「ヘージさんにとってはそんなことでも、僕にとっては大切な事なんです。僕はあの唐揚げ一個で、午後の仕事も頑張れました。だから、今度は僕がヘージさんを助けるんです!」
その説明は何の一貫性もない客観的に見たら滅茶苦茶な理論だ。
そもそも、唐揚げ一個で自分の命を天秤にかけるなんて、どう考えても割に合わない。
だが、なんとなくだが理解できてしまう。この感情、どこかで。
「……そうだ」
そうだ。その感情を、俺は知っている。
『真っ直ぐに努力できる人間は、ちゃんとその努力が報われてもいいはずだと思う』
それは以前、ナノに言った言葉だ。
キュウが同じことを考えているかはわからないが、キュウの意志には確かに俺の理念と似た何かを感じる。
きっと彼女の中にあるのは、俺のように屁理屈を並べたものじゃなく、もっと純粋で説明のできないものだと思うが。
「――キュウ。俺は、努力できる奴はちゃんと報われてもいいと思ってる」
「ヘージさん? 何ですかいきなり」
ちらっと上を見上げる。
ゆっくりと傾いていた作業用の足場は、もはや倒れる寸前、限界ギリギリのように見えた。
このままのスピードじゃ、俺もキュウも確実に足場の下敷きだ。
「そして俺は努力が嫌いだ。今も仲間のために働いてるんじゃなくて、半分は自分のために働いてるし、この仕事も俺は努力なんて綺麗事で言い表したくない」
今ここで最善を尽くすなら、それはキュウじゃなく俺がやることなのだろう。
「でもお前は、自分のために純粋に努力ができる。だから、もっと努力しろ。ちゃんとした努力はちゃんとした道に進ませてくれる。間違っても俺みたいになるな」
キュウは俺を仲間思いの善人だと思っているだろうが、おれは自分が自覚できてしまうほどにクズだし、それを変えるつもりもない。
「な、何言ってるんですかヘージさん」
俺はふらついている足を、最後の力を振り絞って何とか立たせる。
「へ、ヘージさん。どこを掴んで」
「思ったより軽いな」
「な、何言って」
「すぅ……おりゃああぁぁあああ!!」
そして、彼女の体を抱きかかえると、渾身の力で彼女を真っ直ぐ放り投げた。
これが火事場の馬鹿力というやつだろうか。キュウが思いのほか軽くて助かった。
「ッ! ヘージさん!!」
全てを出し切った俺は、そのまま地面へと倒れこんだ。
キュウの方は、人狼の身体能力のおかげか、無事地面に着地することができた。
おそらくあそこなら、ギリギリ足場の下敷きにはならないだろう。
「待っててください! 今助けに」
その言葉が終わりかける頃には、足場の傾きは限界を迎え、ゆっくりと動いていたはずの金属パイプの骨組みが一気に崩れ落ちてきた。
人が踏みしめる足場の下敷きになるとはなんとも皮肉な話しだろう。
目算通りキュウには当たらなかったようだが、俺はガラガラと音を立てながら地面に落ちていく金属パイプたちを、背中から歓迎する羽目になってしまった。
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