25. 俺は悪くない

「え、エレナ? 大丈夫?」


「おい、なんか様子がおかしくないか?」


 酒を飲んだ瞬間、彼女の雰囲気ががらりと変わったのがわかった。

 美味しくなかったのか? それとも、何か別に理由が?


 そう思った瞬間さっきまで俯いていたエレナが、まだ中身が半分入っているコップを勢いよく取ると、今度は味わうことすらせずカクテルを一気に胃に流し込んだ。


「――何してるのエレナ! そんな急に飲んだら……」


 こちらの制止が一切耳に入っていないのか、ためらうことなく喉をゴクゴク鳴らす。

 そして、中身のなくなったコップを持った手でドン! っと机をおもいっきり叩きつけた。


 彼女ほどの豪腕が机を叩きつけたらどうなるだろうか? これまでのことを鑑みれば、俺もナノも、机の結末を想像することは容易かった。


「……ヒック」


「――机を……」


「叩き割った!?」


 もし机に意志があったなら、『解せぬ』と言っているだろう。


 エレナの華奢な腕からは理解できない力によって、俺たちの目の前にあった机が真っ二つになった。

 もちろんその轟音は、ギルド内の隅から隅まで響き渡り、中にいる全員が一斉に俺たちの方を振り向いた。


「なんだなんだ?!」


「おい、机が真っ二つだぞ!」


「痴話喧嘩かしら?」


「あの男が怒らせたっぽいな」


「最低ね」


 おい、どんどんあらぬ方向へ話が進んでないか?


 このままでは俺が二人の女を侍らせたクソ野郎として生きていかないといけなくなる。


 せっかくギルドに入ることで、ニートから脱却したというのに、今度は社会的死の制裁を受けなきゃいけなくなるじゃないか。


「お、おいエレナ。落ち着いて話を聞いてくれよ? お前は今、酒を初めて飲んで混乱しているんだ。とりあえず深呼吸をして水を飲もうじゃないか。人様に迷惑をかけるのはお前も本望じゃないだろ?」


 エレナのため、と言うよりも自分の保身のために集中力を最大限高めながら注意深く言葉を選ぶ。


 俺の予想が正しいなら、おそらくこの後大惨事が起こるだろう。

 何とか未然に防ごうと優しく彼女に言葉を投げかけるが、彼女は一向に反応しない。

 そして、


「うぃ~ヘージ殿~。今なんて言ったんれすか~? お話がお耳から逸れていって聞こえませんれす~」


「ヘージ……これって」


「――ああ、やっぱりこいつ酔ってやがる!」


 しかも悪酔いだ。

 酒を飲んだことがないとは言っていたが、まさか下戸だったとは。


「え~酔ってないれすよ~。動きらってほらこのとーり!」


「酔拳になってるじゃねえか!? よくそんなフラフラで立ってられるな!」


 ドラゴンを瞬殺した彼女の動きを見たからこそ、今の彼女からはあのキビキビとした動きが全然できてないのが一目でわかる。


 昼間の彼女は両足とも地に足着けていたが、今は片足を上げ、フラフラしながら器用にバランスを取っていた。


「ヘージのせいだからね! ちゃんと責任取ってよ!」


「ちょ、俺に責任なすりつけようとしてない? ってかその言い方やめて!」


「ヘージが悪いんじゃない! ねえ、何とかしてよ!」


 俺の服の襟を両手で握って頭ごと揺らすナノ。その目は若干涙目になっている。

 確かに飲ませようと勧めたのは俺だが、あくまでも俺は勧めただけだ。


 飲んだのは彼女の意志だし、俺は悪くない……っと言いたいところだが、今のこの状況的にそんな言い訳が通用するはずがなかった。


「まじかあいつ。女を酔わせた挙句、泣かせやがった」


「あの人って特殊職業エクストラジョブ所有者よね? なんか見たことあるわ」


特殊職業エクストラジョブだからって調子に乗ってるじゃないの?」


 ねえなんで俺が全面的に悪い感じになってるの?


 確かに客観的に見れば痴話喧嘩に見えないこともないだろう。でも流石にこれは酷くない?

 何とかして弁明をして勘違いを正さないと。


「――おい、お前ら何か勘違いを」


「って言うかあれってナノよね? 不運のナノ」


「ああ、運が悪いことで有名だが、まさか男運まで無いとは」


「今回ばかりはナノに同情するしかないな」


 ナノが元々不幸なことが災いして、完全に俺が悪い空気が出来上がってしまった。


 確かに、元ニートの俺と関わりを持ったことは、世間的に見れば不運なのだろう。

 今だって現在進行形で『女性二人と関係を持った浮気者のクソ野郎』という実績が解除されようとしている。


 こっちはもう取り返しがつかない……なら、まだ何とかなりそうな方から片づけないと。


「――クソ! エレナ落ち着け! いい加減にしないと力ずくで抑えるぞ!」


「なんれすか? 自分と一発ヤろうってんですか? その勝負受けて立ちましょう!」


「その言い方やめて?! どんどん誤解が量産されていく!」


 酔ったエレナの爆弾発言によって、周りの疑惑が確信へと変わるのを感じた。

 振り向けば、氷点下より冷たい眼差しの数々が、俺の方へと一斉に向けられている。


 ゴブリンキングやドラゴンの時みたいな悪寒とは比べ物にならないような、別の意味での嫌な予感がする。


「最低ね」


「最低だ」


「クソ野郎ね」


 あぁ、どんどん俺のイメージが悪くなっていく。

 こいつらが何か言葉を発するだけで、俺のガラスのハートがえぐられていくのだ。


 しかし、そんなことは彼女にとっては関係なく、酔っ払い故に人の話は聞かないため、どんどん展開が進んでいく。


「いきますよ~ヘージ殿!!」


「――は? ちょ、まっ!!」


「はあぁぁああ! 空衝波!!」


 俺には不可侵の絶対防御がある。そんなことわかってる。


 それでも、生まれながらに人間に備わっている反射の機能は、安全を理解してなお恐怖の本能が勝っているために、意志とは関係なしに発動してしまうのだ。


 俺は彼女から遠慮なしに放たれたパンチを、なんとか右に避けきった……というより、避けてしまったのだ。


「――あ、やっべ」


 その言葉が出てくるころには、辺りに埃が舞っていた。


 彼女の技である『空衝波』は、パンチで空気の大砲を飛ばすという、至極シンプルで人間離れした技。つまり遠距離技なのだ。


 放たれた空気は、俺の職業ジョブ『ニート』の防御範囲に入ってなかったのか、俺の横を通り過ぎていき、振り返ったころには後ろの壁が無くなっていた。


 幸い……と言っていいかわからないが、俺の後ろにあった机は無事で人もいない。壊れたのは壁だけだ。


「――おいエレナ! お前これ!」


「うぃ~……」


「ね、寝たのか?」


「寝たわね……」


 その言葉を最後に、彼女は地面に倒れこみ寝息をたてた。

 たとえ酔っ払いでも、文句の一つでも言わなきゃ気が済まなかったが、もう文句を言える状態ですらない。


 彼女の服ははだけ、肩や足がかなり露出しており、このまま置いておくなんてことできない状況だった。

 それに、今すぐにでもここから逃げ出したい。


「ナノ。肩を貸せ。宿屋に行くぞ」


「え? 二階に泊まればいいじゃない」


「俺は一刻も早くここから逃げたいんだ。頼む……」


 周りの人々は、今目の前で起こったことに呆気を取られて、全員壊れた壁を一点に見つめて何も言わなくなっている。


 完全に注意が俺から壁に移ったのだ。その間に、何としてもここから立ち去らなければ。


「わ、わかったわ。行きましょ」


 ナノは倒れたエレナを担ぎ上げると、俺とナノでエレナに肩を貸し、そそくさとギルドから出ていった。

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