不自由な僕らは 九

 岩やら崩れた壁やらを手で一つずつ取り払っていく。

 昨日も使ったティーカップの破片で手を切った。

 けれど呼びかけると、埋まっていた男性は呻き声をあげたので痛みなんか後回しで瓦礫を退かし続ける。


「ごめんね。僕が手伝えたらいいんだけど」

 トイはそう言って、透け始める自分の体を困った顔で眺めた。

「気にするな。この人は生きているぞ。大丈夫だ。大丈夫だからな」

 トイは「そう」とだけ答える。


「ポ助、トイの骨はどうだ?」

「ほとんど集められたぞ!」

「それじゃあ、バス停まで助けを呼びに行けるか?」

「まかせろ! 槍の穂先だけ借りてくからな!」


 そう言うと、ポ助は器用に穂先だけを咥えて来た道を戻っていく。

 それを見送ってからも瓦礫を退かし続けたシタは、男性の体がすっかり外に出るとひと安心して立ち上がる。


 その足が疲労にもつれた。シタは崩れ残った核に背中からぶつかり、根元から揺らいだ核に押しつぶされるように倒れる。

 そのまま堰き止められた川の中に頭から突っ込んだ。


 しかし体に痛みを感じたのは一瞬で、すぐに背中から重みが消えていく。

 水の中で咽せて気付いた。

 塩だ。彼らの運んだ塩で、ここだけ塩水になっているのだ。

 シタは慌てて顔を上げ、トイを見る。


 トイはもうハラハラと、花弁が一枚ずつ散るように消え始めていた。

 核は、もう少しも見当たらない。


「トイ……」

 もう時間がない。焦るシタの手にコツンと何かが触れた。

 それは塔に隠していた遺物の集霊器だ。それが分厚い皮袋に入れられ、塩から逃れていたのだ。


「書塔よ! お前に意思があるのなら聞け!」

 シタが叫ぶと、まるで返事をするように核があったあたりで光が明滅する。


「このままではお前は消える! だからお前の欠片を吸収したこの遺物をやるから、トイを解放して書塔を残せ!」

 シタは遺物を頭上に掲げた。


 驚き目を見開くトイの横で、光は遺物を飲み込む。

 乱暴なほど真っ白い光はその場から天も地も奪い、山の地鳴りも黒い獣たちの唸り声も聞こえない白だけの空間にトイとシタを連れてきた。


 音のない空間で、シタの目の前に金色で縁取られた契約書が降りてくる。

 そこには何も書かれておらず、いつの間にかシタは手にペンを握っていた。


「署名だけしろと言うのか。とんだ悪徳契約だな。いいか? トイは解放しろよ?」

 そう言って名を書こうと伸ばした手を、トイが掴む。


「これでは、今度はシタが塔を建てた事になってしまう。僕と同じようにね。今なら間に合うから止めよう。契約書を破るんだ」

「いいじゃないか。私はトイの書いた書物を残したいんだ。これが私からの贈り物だよ。受け取ってくれ」


 そう答えてから、シタは契約書に署名をした。

 すると真っ白な空間にその遺物が現れ、たかだかニ十センチほどだったそれはメキメキと成長し、リンリンと鈴の実を鳴らす。


「契約は守られる。僕は解放してもらえるようだ。ありがとう、シタ。今度は君の事が心残りだけれどね」

「気にしないでくれ。私は何も変わらず、金にならない探偵業を続けるだけだ」


 胸から下が消えてしまっているトイが「最後に」と言う。


「ワッカ爺さんを殺したのはウナだよ。自分の記憶を代償にね」

「あぁ、そういう事だったのか」

「彼女には内緒だよ」

「分かったよ。それじゃあ」

「うん。楽しかったよ。じゃあね」


 そして、ハラハラとトイは散っていった。

 それと同時に白い空間も消えていく。


 まるで眠ってでもいたかのようにぼんやりと目を覚ますシタは、腹の圧迫感で自分が枝に引っかかっている事を知った。

 目を開けるとそれは、大木に成長した遺物の集霊器だった。

 今日からはこれが塔の核だ。


 いつの間にかあんなにあった瓦礫の山は消え、地面には傷だらけの男とトイの骨だけある。

 川の方からしか光が入ってこないのを見ると、ぽっかりと開いた洞穴の天井も塞がっているのだろう。

 もしかすると上にはもう書塔が元の姿で建っているのかもしれない。


 本当に彗星石は意思のある生命だったのだな、などと思いながら、シタは駆けてくる足音を聞いた。

 救急車のサイレンに消防車のサイレン、警察のサイレンまで聞こえてきて、思わず賑やかだなぁと笑ってしまう。

 そうして聞き慣れた声を耳元に聞くと、シタは意識を手放した。



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