カラスの依頼 三

 しばらく飛んで小さな窓が一箇所開いているのを見かけると、二人はそこから社内に侵入した。

 そこは廊下の突き当りで、左右にガラス張りの部屋が並んでいる。


「丸見えだぞ、どうする?」

 ボスが心配そうに聞く。

「大丈夫だ。みんな今にも倒れそうな表情で机に向かっていて、周りの事なんて見ていないじゃないか」


 きっと酷い仕事をさせられている人たちなのだろう。ある者は無表情でパソコンに向かい、ある者はコピー機の前に呆然と立ち尽くしている。


「確かにそうだな」

「とはいえ、さすがに近くで見られるとアバターだという事がバレてしまうので、その時は上手く私を隠してくれ」

「まかせとけ。で、まずはどうするんだ?」

「彼の言っていた地下倉庫に向かおう」


 二人が歩き出しても、子猫とカラスを気にする者はいなかった。

 五階、六階と目立たないように降りていく。足音が聞こえれば風呂敷に隠れ、その上にボスがズシンと乗っかる。


 そうして辿り着いた一階の喫煙室前で、五人くらいが連れ立って入ろうとしている所に出くわした。

 シタはやり過ごそうと鉢植えの陰からそれらを見ていたが、急にその五人がバッと端に避けた。


「お疲れさまです。社長、若社長」

 五人はそう言って頭を下げる。

 やって来たのはよくCMで見かける光信社の社長だ。その後ろを仏頂面で歩いているのは先日の団長、サキだ。


「まずいな」

 シタは呟き、風呂敷に身を隠す。

「なぁ。オッサンの方はもう俺たちに気付いてるぞ」


 そのボスの言葉通り、社長はじろりとこちらを見た。社長はカメラこそ構えていないが、眼鏡をしている。もしその眼鏡が心霊を見る事のできる商品だったら?

 シタは冷や汗を流す。

 社長はこちらを見下ろし、触れもしないまま「捨てて来い」とサキに言った。


「はい、はい」

 サキは軽く返事をし、風呂敷ごとシタとボスを抱えてその場から歩き出す。

 しかし向かった先は外ではなかった。

 薄い灯りしかない廊下を奥の方へ、ダンボールが積み上げられた狭い通路をその先へと歩いて行く。

 シタは周りを警戒してから、小声で呼びかけた。


「おい、サキ」

「あ? お前誰だ?」

 サキは眉間に皺を寄せ、威嚇するような声で言った。

「私だ。シタだ」

「先生⁉」

 サキが思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を閉じる。


「こんな所で何やってんだよ?」

「ちょっとした仕事でな。このカラスはただのカラスだが、今は仲間だ」

 サキが足を捕まえているカラスに目をやると「よぉ! 知り合いか!」とカラスが言った。

 それを聞いて溜め息を吐きながらサキが教えてくれる。


「親父の捨てて来いって言うのは、殺して奇物の材料にでもしろって意味なんだよ。本当に外に捨てるだけなら俺に言わねぇからな」

「なるほど。ではお前がここで黙って私たちを捨ててくれれば、私たちは仕事が続けられるという事だな?」

「勘弁してくれよ、先生。そんな事がバレたら俺の方が殺されるっての」


 サキは本当に怯えた顔で、ズルズルと廊下に座り込んだ。

「前の時にも思ったのだが、お前はあくどい事をしている割に気が小さいんだな」

 シタの言葉にサキは怒る事もなく「好きでやってんじゃねぇし」とだけ呟く。


「なぁ、サキ。逃げたいか?」

 シタの言葉に、サキはほんの一瞬だけ目を見開いた。

 けれど「無理に決まってんだろ」と感情のない声を吐く。


「そんな事はやってみなければ分からないだろう」

「先生は親父の恐ろしさを知らねぇんだよ。やってみて、もし失敗したら奇物として永遠に飼い殺しにされるんだぞ」


 お前がやっている事じゃないか、とはシタは言わなかった。

 事情なんて考慮してやる事ができないくらい、奇物サーカスは酷い商売をしている。けれど、それをまだ十五歳の少年が先導できるとは思えなかったからだ。


「怖いんだ……」

 サキが言葉を漏らす。

「そうか。でも忘れるな。逃げてもいいんだぞ。そして、今なら私が手を貸してやれる」

「ありがとう」

 サキはそう言ってから立ち上がり、なだらかに続く下りの廊下を無言で歩き続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る