夜風

 食事を終えて、外に出ると既に日が落ちていた。

 辺りはすっかり暗くなり、商店の軒先に灯されたランプの明かりが辺りを照らしている。

 大通りに出れば、魔道灯が設置されているけれど、こんな下町にはそんなものはない。

 とはいえ、郊外のように星は見えない。帝都の空は夜でもちょっとうすぼんやりと明るいのだ。

「お屋敷まで、お送りしますね」

「いや、逆じゃないのか?」

 バーナードが苦笑する。

「ふつうは、男性が女性を送るものだろう?」

 それは、若い男女の話なのではないだろうか。

「私は、かよわい女性ではありません。それに、もうそんな年でもありませんし」

 魔術に関しては、私は国内でも指折りだと自負があるし、体術だって多少は出来る。

 それに。やっぱりもう若くないので、男性が欲情することもないだろう。

 つまり、性別的な役割めいたルールは私とバーナードでは成立しない。

 そういったことを考慮すると、夜道の危険度は、バーナードのほうが危険だと思う。

「かよわくはないかもしれんが、デートリットは今でも綺麗だぞ」

 バーナードの言葉に、思わず顔が熱くなる。

「慰めていただかなくてもいいんですけど」

 バーナードは紳士だから。

 まだ、私を『女』として扱ってくれる。

 仕事では、私より年上の幹部だって、もう、私を『女』だと扱わない。まあ、下手な男より戦闘力が高いから、ある意味仕方ないんだけど。

「慰めではないんだがな」

 バーナードは首を振った。

「ではこうしよう。私の屋敷までデートリットに送ってもらい、そこから私が、屋敷の馬車でデートリットを家に送ろう」

「ええと」

 なんかすごく手間な気がするけれど、バーナードを安全な所へ送り届けたい部下としての私の気持ちと、男として女の私を送りたいというバーナードの気持ちに折り合いをつけると、そうなるのかもしれない。

「わかりました」

 ゴネてもしかたない。バーナードが安全なら、私はそれでいいのだから。

 人通りはだいぶまだらになっていた。勤め人は既に家に帰った時間なのだろう。

 せまい道を抜けて、私たちは大通りへと出る。

 魔道灯の整備された道に出て、私はほっとした。やっぱり暗闇というのは、視界が効かないから安心できない。

「やっぱり、暗いところだと緊張するか?」

 ほっとしたのがわかったのかもしれない。バーナードが苦笑した。

「はい。やっぱり、バーナードさまと一緒なので」

 なんと言っても、この国の将軍である。何かあったら大変だ。

「そうか。私も一応、紳士であろうと思ってはいるのだが」

「へ?」

 何を言われたのか、一瞬わからなかった。

 自分の言った言葉を思い返して、私は血の気が引いた。

「すみません! 別にバーナードさまに緊張したわけではなくて」

 慌てて、私は弁明する。

「そうではなくて、バーナードさまに何かあったら大変だということで!」

「いや、そこは否定じゃなくて、少しは警戒したほうがいいと思うぞ」

 バーナードは笑う。

「……そういう冗談は、愛しいかたとなさってください」

 私は思わず肩をすくめる

「愛しいかた、か」

「そうですよ」

 バーナードには、自白剤(とは知らなかったけれど)を手に入れてまで、欲しいと思った女性がいるのだ。

 今日の私は、あくまでもアドバイザーである。

 その立ち位置は絶対に忘れてはいけないものだ。

「どんなかたなのですか?」

 何度目かの質問をする。

「美人だ。でも、たぶん、美人だと本人は気づいていない」

 バーナードは優しい笑みを浮かべる。まるで、目の前にその人がいるかのような、優しい瞳だ。

 胸がチクリと痛い。

「そんなことってあるもんですかね?」

 私は首をかしげる。そんな美人が私と同じくらいの年まで独りでいるなんて。もっとも今独りだからといって、ずっと独りだったとは限らない。

 モテすぎて、かえって選べなかったって可能性もあるのかもしれない。

「美人で有能だったから、男が声をかけにくかったのだろうな」

 バーナードは笑う。バーナードもそのひとに声を掛けにくいってことなのかもしれない。

「軍のかたですか?」

 バーナードは一瞬、驚いたような顔で、私の顔を見た。図星だったのだろう。

 軍には女性もそれなりにいる。ひょっとしたら、砦でいっしょだったひとなのかもしれない。

 私は魔術師だから、あまり一般の騎士たちと行動することは少ないので、誰なのかと見当をつけることは出来ないけれど。

「うまくいくといいですね」

 バーナードの瞳はやっぱり、初恋の苦さを思い出す。

 彼に罪はない。私の勝手な感情なのだから。

「私も、自白剤が必要なのかもしれんな」

 ぽつり、とバーナードが呟く。

 私はまた何かを引き換えに、自白剤を作ることになるのだろうか。

 今度はきちんと渡せる自信がない。

 吹き始めた冷たい夜風が、頬を撫でていった。

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