後夜祭

 三月三十日 火曜日 十一時――


「次は、猪瀬肇いのせ はじめさんのお宅ですね」

 牧瀬の言葉に大田原、おう、と短く言って肩が凝ったのか頭を倒して首を鳴らしている。立川昭三の話を聞き終えた二人は、同じく近所である猪瀬家の前にいた。一人暮らしである佐々木涼子と立川昭三の家と違い、猪瀬家は活気あふれていた。


「すみませんねぇ。うるさくて」

「いいえ! いいんですよー!」

 大きな声で答える牧瀬の周りを子どもが三人走り回っている。

「今日、警察の方が来るって言ったのに、うちの娘ったら子ども預かって欲しいだなんて言って来て。春休みに入ってからずっとこの調子で。実家の近くに娘夫婦を住まわせるのも考えものですわねぇ」

「母さん、それよりもお茶」

「あらっ。いけない、私ったら」

 猪瀬美由紀いのせ みゆきは慌てて立ち上がり、台所へ消えて行った。子どもが「お腹空いたー」と言いながら、祖母のあとをついていく。リビングが一瞬静かになる。猪瀬家も広さはないが、リビングルームは大きく作っているようで、十二畳ほどのスペースに大きなソファとダイニングテーブルが置いてあった。ダイニングテーブルに男三人が向かい合って座っている状況で、口を開いたのは大田原だった。

「三月三日のことをもう一度お尋ねしたいんですが」

「はい」

「立花さんという方をご存じですね?」

「立花恵里さんですか?」

「ええ」

「家事代行サービスで何度か来てもらってます」

「主に――」

「主に、子どもの世話をしている間の掃除、洗濯、あと買い物ですね」

「春休みで頻度が増えているということでしょうか」

「ええ。いつもは週に一度お願いしてますが、イベント事や子どもや親族が集まる時にはお願いしていますね」

「それで、三月三日は、ひな祭りだったのお願いしたんでしょうか」

「その通りです。家内が、孫の好きななんとかというマンガの――」

「アニメだよ! じいじ!」

「いっつだってー」

 いつの間に子どもたちが戻って来たのか、ダイニングテーブルの周りが後夜祭で火の周りを踊り狂うように、子どもたちが唄って踊って回っている。

「ほら、あなたたち。じいじのお話邪魔しないでね。向こうでお菓子食べましょ」

 お盆でお茶を運んできた美由紀の一声で子どもたちは、ソファへと駆け出していく。美由紀はお茶を大田原、牧瀬、主人の前へと置いていく。

「本当に、すみませんねぇ」

 そう言って、美由紀は警察との会話を主人に任せることにしたのか、キッチンからお菓子とジュースを持ってソファにいる子どもたちのもとへ向かった。

「お前、あまりそういうのやると、また弥栄子やえこに怒られるぞ」

「ふふ……ちょっとだけ」

 主人の言葉に少女のようにお茶目に答える美由紀に、猪瀬は眼鏡を掛け直しながら、息を吐いた。

「まったく、家内は孫に甘くて。いつも娘に怒られるんです」

「弥栄子さんというのは、お嬢さんですか」

「ええ。共働きで今日も仕事に行ってますよ」

「最近はそういうご家庭も多いですね」

「子どもと会えるのは、ジジババとしては喜ばしいことです。娘には無理はしないで欲しいですがね」

「分かります」

 大田原は共感の笑みを浮かべた。

「それでも年老いた夫婦二人では子ども三人は手に余るので、立花さんに来てもらっているというわけです。ひな祭りの時は、限定のちらし寿司をわざわざ取りに行ってもらって。本当に助かりました」

「それで、空き巣の被害に遭われたということですが」

「親族の集まる時なんかに家内が必ず着けるネックレスがあるんです。寝室の箪笥の中にしまっていたんですが、そこに忘れないように、ひな祭りのお祝いも入れていたんです。子どもたちを迎えに娘の家まで往復している時にそれらが盗まれました」

「お嬢さんのご自宅までは往復でどれくらい?」

「車で十分くらいです」

「出た時間と帰ってきた時間は分かりますか?」

「九時に出て、九時半くらいには帰ったかと。そして、庭の窓ガラスが割れていることに気づいて、調べてみたら用意していたご祝儀袋が失くなっていたんです」

「それが十時前だと」

「はい」

「ちなみに、ご祝儀袋にはおいくら入っていたんでしたっけ?」

「十万円です。ひな人形を買う代わりに」

「なるほど、わかりました。ありがとうございます」


 大田原の顔は不満げであった。犯行が鮮やかすぎることもそうだが、立川昭三の時と同様、割れたガラス以外は、猪瀬家でも不審者のゲソ痕や指紋は発見できていない。特定の人物に繋がるような情報がないのだ。


「すみません、もう一点」


 大田原は、思い出したように猪瀬に聞いた。


「立花恵里さんには、何時ごろ空き巣のことを伝えましたか?」

「それは……」

「十一時半頃です」

 ソファから美由紀が答えた。はっきりとした口調に大田原は、口を開く。

「それは確かですか」

「ええ。ちらし寿司を持って、うちまで来てくれたのが十一時半でした。子どもにアニメを見せて欲しいとせがまれて、時間を確認していたので確かです。お昼ご飯まで一時間しかないわ、と思ってたので」


 つまり、立花理恵は十一時半に、猪瀬家の空き巣事件のことを聞き、警察に指紋を採取されるなどバタバタしている中で、ようやく十二時前に立川昭三に電話を掛けて安否確認ができたということになる。


 もし、猪瀬家と立川家の空き巣、居空き事件が同一犯であるとするならば、犯行時刻は九時から九時半ということになるのだろうか。


 大田原は、ズズッとお茶を啜った。

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