第3話

「あの……ここって」


 クレスクントに連れられ、デアがやって来たのは小さな一室だった。


 必要最低限といった、質素な内装。

 薄暗い部屋内を、小型のランプが照らしている。


「訓練所だよ。正確には、訓練所の一部だね」


 そう言いながらクレスクントは上着を脱ぎ、部屋の隅に置いた。


「君も脱いだら?」

「……」


 唇を真一文字に結びながら、デアもするりと薄手の上着を脱ぐ。


(これ、剣術の稽古なんだよね? 私……ひょっとして騙されてる?)


「少し話そうよ」


 壁付けに置かれた長椅子に座り、クレスクントが手招く。

 少し間を開けて、デアは隣に腰を下ろした。


「剣術の経験は?」

「ない……です」

「一度も?」

「はい……」


 さっさとレッスンを終わらせたい気持ちから、デアはそっけない返答を繰り返す。


「意外だね。見る人が見れば、放っておかないよ」

「……っ」


 自分に向けられる熱い視線。

 恥ずかしさで、思わず頬が紅くなる。


「彼氏に薦められたりしなかったの?」

「いえ……一度も」

「勿体ない。彼氏は剣術に興味がないのかな」

「……私も彼も、危ない事は嫌いなんです」

「そっか」

「……」


 顔を背けた続けるデアの横で、衣ずれの音がした。

 クレスクントが立ち上がる気配。


 しかしデアはその場を動かない。

 彼女なりの、ささやかな抵抗だった。


 スッ。


 そんな彼女の目の前に、突如硬い棒状の物が突き出された。


「はい、これ握って」

「っ!?」


 急に見せられたそれに、一瞬ビクリと身を引いた。

 

(えっ……なにこれ……)


 長年使い込まれてきたのだろう。全体的に黒い。

 こびり付いた汗のニオイが、離れていてもツンと香る。


「どうしたの? 早く」

「……はい」


 解っていたことだ。

 始めからそのつもりで来たのだ……と、デアは自分に言い聞かせた。


 そしてようやく覚悟を決め、彼女は差し出された黒い木剣を握った。


「じゃあ、動かしてみて」


 シュッ、シュッ。


 鋭い風切り音を放ち、木剣が空を切る。


「君、ずいぶん上手いね。本当に初めて?」

「……草刈りで、よくカマを握っていたので」


 ふーん、と軽い返事をしつつもクレスクントの瞳はギラリと輝いていた。

 

「少し、ペースを上げて」


 シュシュッ、シュッ。


「いいね。じゃあそろそろ足も加えてみようか」

「え……でも私、やり方が」

「大丈夫。ちゃんと教えるから」


 クレスクントも木剣を持つと、その場で軽く実演して見せた。


「こう、ですか?」


 ズズッ、ズルル。


 足と床が擦れる音が部屋内に響き渡る。


「上手だよ、デアさん」


 ズルル、ズルズルっ。


 すり足と共に、一心不乱に手を動かす。

 少しずつ息も切れ、体が熱を発していく。


「んっ……! ふっ……ぅ!」

「いいね。コツを掴んでるよ」 

 

 クレスクントの言葉に、デアの体が反応する。

 一太刀、また一太刀と精度が上がっていた。


(どうしちゃったんだろ、私……あんなに嫌だったのに。

なんだかいま、気持ちが高揚してる……?)


 今まで感じた事のない感覚。

 戸惑いを覚えながらも、デアは少しずつその悦びに身体を委ねていった。


 二十分後。


「どう? デアさん。自分の才能、感じてる?」

「……感じて、ないです」


 そう言いながらも、デアの身体は高揚感と心地よい疲労に満たされつつあった。


「さっきより斬撃が尖って来てるけど?」

「……っ」

「本当に感じてない?」

「感じて……ない、です!」


 しかし、彼女の変化は明らかである。


「ん? デアさん。そのシミは?」

「っ!?」


 クレスクントに指摘され、デアはドキリと身を跳ねさせた。


「血で濡れてるね。夢中になっちゃったかな?」

「……」

 

 慣れない刺激に、手の皮が擦りむけていた。


「派手にいっちゃったね」


 彼女を座らせ、クレスクントは手早く包帯を巻いた。


「あ、あの……私」


 何かを訴え掛けるように、でもそれを恥じる様にデアは言葉を濁す。

 しかしその瞳の奥にある欲望を、クレスクントは見逃さない。


「止める?」

「……っ」


 口を紡ぎ、顔を背ける。

 その態度にクレスクントは笑みを浮かべた。


「じゃあ、そろそろ始めようか?」

「え……?」

「剣、交えてみたいでしょ?」

「……」


 もはや、何も言わなかった。

 デアは立ち上がり、傷んでいるはずの手でしっかりと木剣を握りしめる。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 心臓が大きく胸打っていた。

 これから未知の経験に踏み出そうとしているのだ。

 期待と不安。

 両方が混じった目で、目の前に立つ男を見つめた。


 ブオン。


 クレスクントが空振りをした。

 一見華奢だが、その剣には迫力があった。


「緊張しないで、ちゃんと手加減するから。ほら、ゴムも付けてるでしょ?」


 そう言い、木剣を指さす。

 吸収材として厚めのゴムが巻かれていた。


「でも、そのぶん太くなるからね。受けるの苦しいかも」

「……っ」


 力を抜き、身体を斜めに向ける。

 相手の剣を受ける体勢が整っていた。


「飲み込みが早いんだね」


 デアは、先ほどまでの練習が受け流しの剣術であることを本能的に理解していた。


「じゃあ、行くよ」


 ズリュッ!


 床を擦る音と共に、打ち下ろされる一撃。


「あっ……! くぅぅっ」


 しっかりと反応し、受け止める。

 だが想像以上の衝撃が走った。


「まだ行くよ」


 バチュッ!


「ふっ……!」


 ズフッ!


(くぅぅぅっ、きっつぃ……!)

 

 連撃を耐えながらも、思わず心の中で弱音を漏らす。

 

「敏感に反応してるね。まるで絡み付く様にこちらを捉えて離さない」


 関心しつつも、クレスクントは手を緩めない。

 それどころか、少しずつペースを上げていく。


 パンッパンッパンッ!


 薄暗い部屋に響き渡る、衝突音。

 息を切らしながら、デアは剣を受け止め続ける。


「クレス……クントさんっ! もう、私……!」


 限界が近かった。

 包帯から更に血が滲み、手もあまり力が入らない。


 しかし訴えも虚しく、クレスクントは手を止めない。

 もはや獲物を仕留める獣のように荒々しく手を動かしている。


 パンッパンッ! パンッ!


「いっ……! いやっ……!」


 思わず短く悲鳴を上げる。

 それでも、なんとか受け止めた。

 麻痺してきて感覚。

 重たい足。

 身体から力が抜け落ちそうになっていた。


「そろそろ、フィニッシュするよ」


 そう言うと、クレスクントは一瞬身を引いた。

 そして次の瞬間、一気に剣を打ち付けた。


 ドチュッ!!


「イヤーーーーーーッ!!」

 


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 夕方。

 仕事を終えたルードスは、デアと連絡を取ろうと魔法具を取り出した。


 魔法具【通信鏡】。

 持っている者同士なら、どんなに離れていても会話が出来るという手のひらサイズの便利な道具。

 先日行った魔法具バザーで、デアと一緒に購入したのだ。


 プルルルル……プルルルル……。


(デア、連絡つかないな。まだ仕事中なんかなぁ……)

 


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 ブジュル、ジュルッ。


「あ……あぁ……」


 デアは流れ落ちる液体を見つめ、唇を震わせていた。


「ああっ……!」


 ズポッ。


 引き抜かれる木剣。

 そこから更に流れ出る血液。

 

 クレスクントは貫かれた自分の肩を押さえながら、デアに穏やかな笑みを向けた。


「やっぱり、君は最高だ」


 最後の一撃の瞬間。

 彼女が一か八かで放ったカウンター。

 それが見事にクレスクントに決まった。


 デアにとって思ってもいなかった、まさかの勝利。

 しかし彼女の心にあるのは、他人を傷つけてしまった事への罪悪感だった。


(ルードス……ごめんなさい……)


 汚れてしまった自分の手を、じっと見つめた。

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