謀略は渦を巻き


「お前の存在を俺達に教えたのはあのガキだ。要はお前、裏切られたんだよ」


 そう告げられた瞬間、思考が途切れた。

 燎一族の男、燎儀の言葉が理解出来ず、呆けたままに固まる小幸。そんな彼女の肩をポンと叩いた燎儀は、冷淡な瞳を伏せ、歪んだ厭らしい笑みを浮かべる。


「まぁ俺達も、あのガキがここまで素直に嬢ちゃんを売るたぁ思わなかったけどなァ」

「……靖央が、私を?」


 ――理解が追い付かない。

 ――靖央が彼ら燎の者達と通じて、私を陥れた?

 ――では、私が襲われ、こうして攫われてきたのも、靖央が関与している?

 ――いや、そもそも何故、靖央は私を?

 ――彼は以前から、私が神の巫であることを知っていた?


 小幸が深い思考の坩堝に嵌まり込み、呆然としたまま黙り込んでいると、微かに漏れ聞こえる声があった。


「ち、違う……」


 靖央である。

 貧相な装いに身を包み、小柄な身体を絶えず震わせている少年は、二人の大男に囲まれながらも必死に声を荒げた。


「ぼっ、僕は小幸ちゃんを売ったりなんかしてない! 裏切っただなんて、そんな訳ない! それに、はっ、話が違うじゃないですか燎儀様! 小幸ちゃんには何も手荒なことはしないってやくそく――」


 言葉は続かなかった。

 何かが靖央の頭上を通り過ぎたかと思えば、刹那の後に彼の背後で盛大な破砕音が鳴り響いたためである。

 燎儀が、先ほど腰かけた崩れかけの木箱を靖央目掛けて思い切り蹴りつけたのだ。

 直撃していれば間違いなく大怪我を負っていたであろう事実に、靖央の身体が更に竦み上がる。


「……小僧ォ、甘ぇこと抜かすのはその辺でやめときな」

「ッ……」

「お前は俺に何かお願いできる立場にいんのか? お前が払拭しなきゃなんねぇ ″けじめ″ ってやつを忘れてねぇよな? それが分かってねぇんなら、次に俺が取る行動も理解してるよなァ?」


 あくまで声音や物腰は穏やかなのに、滲み出る圧が靖央を侵食する。

 それなりに距離は空いているが、燎儀の……燎一族のみが持つとされる顔の和彫りが、彼の威圧を一層濃厚なものへと変質させている。


 近迦と呼ばれる街に住む燎一族は、古くより神への信仰を基盤に成り立ってきたハワグに於いて、その加護に背き続け、やがて神を喰らう鬼の一族となり果てた家系である。

 故に彼らは身体の一部に必ず血の和彫りを刻み、それを人外の証としている。その和彫りが大きければ大きいほど、その者は強大な力を有していると言われ、まさしく力の象徴と謳われているのだ。――故に彼らの持つ《鬼の紋》は、見る者の意識を縛り付け、根源的な恐怖を呼び起こす。


 燎儀が一歩近付けば、靖央はびくりと身体を震わせた。

 決して燎儀と目を合わせないよう、彼の視線はじっと足元の地面に落とされたままである。

 左の腰に佩いている刀の柄へとやんわり手を掛けながら、燎儀は鋭い眼光を収めぬままに口を開く。


「お前の "大切" は俺が握ってるっつーこと、忘れんじゃねぇよ。それとも何か? お前の "大切" みてぇに死なねぇよう気ぃ付けながらとことんまで痛めつけられてぇのかよォ」

「ひっ……ご、ごめんなさい……!」


 燎儀のあくまで穏やかな声音に、けれど靖央は震えを一層強くさせる。

 そんな彼の様子を見て口許を歪める燎儀が、更に一歩近付こうとした瞬間、飛んできた声があった。


「やめなさいッ!!」


 小幸である。

 後ろ手に縛られたままの彼女は、だが立ち上がれないまでも必死に身を乗り出し、燎儀を強く睨みつけていた。


「靖央に何かしようものなら、私が許しません! 私が神の巫だと知っているのならば、自ら私の怒りに触れることが如何なる意味を持つか、知っているでしょう!」


 その叫に、燎儀ははたと足を止めて少女の方へ振り返る。

 絶えず脈打つ和彫りに囲まれた瞳が小幸を正面から捉える。だが小幸もまた退かず、凜と澄んだ瞳を以て対抗する。

 数瞬の後、男が嗤う。


「……くはっ、箱入りのくせに気丈なこった。だが嘘はいかんなぁ、嬢ちゃん?」

「嘘?」

「確かに俺は嬢ちゃんが、神への供物である神巫だって知ってるさ。だがら当然、使。さっきの嬢ちゃんの牽制がはったりなのはお見通しってわけよ」

「……ならば確かめてみますか。私の言葉が果たして本当に嘘なのかどうか」


 動揺を気取られぬよう表情は引き締めたまま、相対する姿勢は決して変えぬ小幸。

 しばらく彼女の目を見つめていた燎儀は、だが直後に再び笑い、ひらひらと両手を振った。


「くはは、やめとくわ。なにせ俺も神巫ってやつがどんな存在なのか、全部を知ってるわけじゃねぇしな」


 少しでも危険な賭けは御免だ、と肩を竦めた燎儀は、今度は靖央へと向き直り、先ほどから彼の左右に控えさせていた大柄の男二人を下がらせる。


「それに、さっきも言ったろ。俺は自分の言葉に責任を持つ男だ。実際、嬢ちゃんには傷一つ付けてねぇし、このガキとは最初の段階でコトが終わるまでは何も手を出さねぇって決めてっからなァ」

「……あなたは、靖央とどんな関係なのです。何故あなたのような者の言うことを、靖央は素直に聞いているのですか」


 先刻から燎儀の言動の端々に、靖央との何らかの関係性を伺わせるものがあると小幸は思っていた。それは燎儀に対する靖央の反応からも明らかである。

 その点について言及した小幸に、燎儀は心外だとばかりに両手を大きく広げた。


「おいおい、なんもコトを聞かねぇで悪者扱いかァ? 早とちりはお前の命を危険に晒すぜ」


 そう言ってさりげなく刀の柄をちらつかせる燎儀に、小幸は瞳に鋭利な光を宿し、ぎり、と歯噛みする。彼女のそんな反応をも面白がるように笑った男は、軽快な足取りで靖央へと近付くと、その低い肩に腕を回した。


「お前の幼馴染、マジで良い性格してるな。もうちょい大人だったら、"一族の悲願" をほっぽって口説いてるとこだ」

「……、」


 燎儀の冗談めいた言葉に、だが少年は何も言わず俯いたままだ。

 先ほどから彼の胸中に何が渦巻いているのか知らないが、それでも燎儀が彼に「何らかの形で脅迫をしている」と捉えるのが妥当か。

 靖央のように気弱で無邪気な少年が、燎儀達のような連中と好き好んで関わり合う筈がないからである。


「まぁいいさ。大切な幼馴染だってんなら、小幸ちゃんも知っとかねぇとなぁ? こいつが付けなきゃなんねぇけじめってやつをよォ」

「……けじめ?」

「おうさ。ま、あくまでこいつは他の奴の落とし前を肩代わりしてるだけだっつーから、不憫な話だけどなァ」


 男の話に小幸は眉を顰めた。

 燎儀が語る話に先が見えない。のうのうと相手の言葉を鵜呑みにしたくはないものの、現状、神力の一切を己の意思では扱えない小幸に、出来ることは無いに等しい。

 ともなれば、この危機を突破する手段を思いつくまで時間を稼ぐしかあるまい。

 小幸の沈黙に、話を聞く意思を認めた燎儀は、にぃと口端を吊りあげて言葉を続ける。


「嬢ちゃんも知ってるだろうが、俺達燎の一族は北辺にある近迦っつー街を根城にしてる。そこはまぁなんつーか、空気は不味いし土は悪いしで、ロクに食いもんが育たねーんだわ。だから外の街や村から頻繁に商人を呼んで、最低限生きるのに困らねぇ程度に物資や食糧を確保してんだが……」


 そこまで口にして、燎儀はチラリと背後に立つ靖央へと視線を振る。


「こいつの両親も商人でな、馬車も使わず健気に歩いて来ちゃ懸命に商売してくれてるみたいで、まぁそこは俺達としても感謝感激っつーわけよ」


 その話を聞いて、小幸は「そういえば」と思い出す。

 靖央の両親は二人とも商人であり、頻繁に北の街を訪れているのだと。

 彼の家は決して裕福とは言えず、御者を雇うだけの余裕も無いため、いつだって苦労して商売に行っていることを、いつだったか靖央が心配していたのだ。


「……だがそれはそれとしてだ。ある日、こいつの親は絶対にやっちゃいけねぇ失態を犯した」

「失態?」


 ――ぞわり、と。

 正体を掴めぬ嫌な予感が、小幸の脳裏を過ぎた。


「単純な話さ。。それだけだ」

「っ!」


 男の言葉に、小幸は思わず言葉を詰まらせた。

 燎儀は軽い口調で言っているが、それは非常に深刻な事態ではないか。靖央の両親からしても、それは商人である以上致命的な罪になるだろうし、その相手が近迦の……燎の一族であるならば尚更だ。

 咄嗟に、幼馴染へと視線をやる。靖央は変わらず俯いたままで表情は窺えないが、その両拳がぎゅっと握りしめられているのは分かった。


「どえらいコトだよなァ? 毒入りの食いもんを売りつけて相当数の人間を死なせちまったんだから。ほんとなら即刻首を刎ねて処刑もんだ」

「……ち、違うん……です……」

「あァ?」


 消え入りそうなほどに微かな声は、靖央のものだ。

 ずっと沈黙を貫いていた彼は、変わらず怯えた様子のまま、だが確かに意思を以て口にした。

 燎儀と小幸、二人の視線が少年へと向く。


「ぼっ、僕のお父さんは言ってました。自分達は、あの野菜に毒なんか、入れてないって……。本当に何も、知らないって……!」


 懸命に告げられた靖央の言葉に、だが反して燎儀はにやりと口角を歪めると、鷹揚に頷いた。


「あぁそうだ。事実、こいつの親どもは毒なんか入れてねぇんだろうさ。だがある地方の野菜ん中には、一定環境下になると毒素を生成するもんがあるらしくてな。街の連中が死んだのもそれが原因だろォ」


 それは小幸も耳にしたことがある。

 ハワグの一部地域で栽培されている根菜類には、長時間日光に晒し、そのまま放置すると決して無視出来ぬ量の毒素を生み出すものがあると。

 そしてそれが、不運にも靖央の両親が売ろうとしていた商品の中に紛れ込んでおり、徒歩による長旅の中で徐々に毒物へと変容してしまったのだろう。

 それだけ聞けば、靖央の両親を罪人と一概に断定するのは首を捻る話である。

 ――しかし、


「しかしだ。今回ばかりは罪を犯した場所が悪かったな。近迦は俺達燎の一族が統治する武門の街だ。そんなとこで大勢の人を殺したとあっちゃあ、お天道様は許しても "鬼" は許しちゃくれねぇわなァ」

「……燎一族の長、燎祗様ですか」

「その通り。自分の街に生きる人間を殺された俺達の鬼様は大層ご立腹でなァ。二人を捕らえ、今も屋敷の地下牢に幽閉中だ」

「なんですって!?」


 驚愕に声を上げた小幸は、厭らしく笑みを浮かべる燎儀に詰め寄りそうになり、両手を縛られていることに気づいて踏み止まる。対する燎儀は余裕のある振る舞いで靖央の下から離れると、カランカランと下駄の音を響かせながら小幸へと歩み寄る。


「安心しな。別に殺しちゃいねぇよ。ただちょっとキツめのお灸ってやつを据えてやっただけだ」

「ッ……この外道めが」


 当然、小幸は靖央の両親とも面識がある。二人とも非常に心優しく、靖央も含めた親子三人のやり取りを眺めるのが密かに好きだった。靖央と同様、小幸にとっては彼らもまた大切な存在であり、そんな人達が捕まっていると聞かされれば、平静ではいられない。


「ははっ、怖ぇ怖ぇ。だが安心しろ。何も命まで取ろうってわけじゃねェ。拷問はしたが殺すまではしねぇさ」

「何を以て信じろと。下劣な者の言葉など信用出来ません。今以上に彼らを苦しめようものなら、我らが神があなた達に神罰の雷を下しましょう」

「染まってんねぇ、やっぱ。さすがは神巫、信仰心も一入ひとしおってかァ?」


 だが、と。

 声音の色をわざとらしく変え、どこか脅すような口振りで燎儀は続けた。


「生憎と神の道理に背くのが鬼なもんでなァ。――――歯向かう奴は神だろうが殺す」


 あくまで飄々と、だが鋭い眼光に血の和彫りを脈打たせながら、獰猛に笑う燎儀。彼は小幸の一歩お前でしゃがみ込み、面白そうに小幸の端麗な顔を覗き込む。


「とは言え、生きてんのは嘘じゃねぇ。なんせ、あいつの親どもが殺されるかどうかは、全部あいつ次第なんだからな」

「……靖央?」


 燎儀が親指で少年を示したため、小幸は怪訝そうに眉根を寄せる。


「それは一体、どういう意味ですか」

「燎祗様がな、あいつにこういう条件を出した。『江鷹という街には愚神への捧げものとして育てられた神巫と呼ばれる特異な存在がいる。その者を刻限までに見つけろ。それが果たせぬのなら、容赦無く二人を処分する』ってなァ」


 恐らく燎祗の口調を真似ているのだろう様子で言いながら、燎儀は小幸のこめかみから流れる黒髪を一房、無遠慮に撫でた。


「だが、いつまで経ってもあのガキは神巫を見つけられやしねぇ。仕方なく俺がわざわざこんな辺境まで来て人探しを手伝ってやってたんだが、その過程であいつにはお前っつー幼馴染がいると分かった」


 男の武骨な手が自身の髪を撫でていることに若干の不快さを覚えながらも、小幸は彼の話を聞く。


「気紛れにだが、お前について詳しい話を聞いてるとな。どうにも燎祗様から教えられた神巫の手懸りに当て嵌まってんのが分かった」

「……手懸り?」

「あぁ」


 ――曰く、その者は幼少期に親元から引き離され、周囲から隔絶された環境で育てられた。

 ――曰く、その者は穢れを知らぬ無垢な心と透徹した美貌、素晴らしい黒髪を持つ。

 ――曰く、その者は尋常からかけ離れた力を持ち、その力は神より授けられし奇跡であるとされている。


「とは言え、一つ目と二つ目の条件はともかく、三つ目ばかりはガキも知らねぇみてぇでな。まぁとにかくロクな情報も掴めてねぇもんだったから、モノは試しだっつってお前に暴漢でもけしかけることにしたんだよ。犯されるような目にでも遭わせりゃ少しはその力っつーのが見れるかと思ってなァ」

「……、」

「幸いこの街にゃ、金チラつかせただけで何でもやる近迦のはぐれ連中がわんさかいるだろ? あぁいう連中はバカで扱いやすいからなァ。お陰で手っ取り早く人海戦術に打って出れたっつーわけだ」

「……では、あのとき私が夜盗……北夷の民に襲われたのは、あなたが仕組んだことだったのですか」

「おうとも。まぁ連中にゃ神巫のことなんざまるで教えてなかったもんだから、お前の神の力ってやつを見てビビりまくってたなァ。いっそ小便でも漏らしてくれりゃあ傑作だったのによ」


 そう言って品無く笑う燎儀を、小幸は険しい目付きで見据える。

 彼の言葉を聞くに、どうやらあのときあの場に燎儀もいたのだろう。何処か物陰に身を潜め、小幸が神秘の力で夜盗達を撃退する場面を観察していたのだと思われる。……だとすれば。


「では、あの場に靖央が居合わせたのも、あなたの手回しのせいなのですか……?」

「あん? あァ、ありゃまったくの偶然だせ。もしも嬢ちゃんが本当に神巫だって分かったら、その後にあのガキを接触させるつもりだったからなァ。まぁ不意の出来事だったが、結果的に目的の神巫を見つけられた。加えてあのガキがお前さんと馴染み顔だったお陰で、無意味に危ねぇ橋を渡ることもなくこうして嬢ちゃんをここに連れてくることが出来たつーわけだ」


 小幸の黒髪から手を離した燎儀は、うっすら涙を浮かべながらこちらを見やる靖央に愉快そうな視線を投げる。


「良かったなぁ、靖央ァ。お前が頑張って働いたお陰で、父ちゃんも母ちゃんも無事に生きて帰れそうだぜ? また平和な日常を家族で迎えられそうで何よりじゃねぇの」

「……で、でも燎儀様……それなら小幸ちゃんは、これからいったい……」

「おいおい、人間そう欲張るもんじゃねぇなァ。親どもの罪を帳消しにする代わりにお前はこの街の神巫を見つけることに尽力する。それがかしらから頂戴した命令だっただろ」

「それは、そうですけど……でもっ、その神巫が小幸ちゃんだって知ってたら、こんなこと……」

「くはは、お前の罪悪感なんざ知ったこっちゃねぇなァ。恨むなら、たった一人の大切な幼馴染にずっと隠し事をし続けた小幸ちゃんを恨みな」

「……そん、な――」

「気にすることないわ、靖央」


 涙を浮かべながら身体を震わせる幼馴染の名を、小幸は気丈な声音で呼んだ。

 自分のしたことに後悔をして顔を歪ませていた靖央の視線が、現状にあっても揺らぐことの無い小幸の真っ直ぐな瞳と合わさる。


「あなたは何も気にしなくていい。この男の言う通り、靖央に本当のことを言わずに嘘をつき続けた私が悪いんだもの。だからこれは、私が付けなきゃいけない落とし前よ」


 そう言って、靖央の左右に立つ大柄な男二人を鋭い視線で以て見据える。

 それは牽制だ。

 もしも靖央に危害を加えようものなら、只では済まさない。そういう威を込めた、本来であれば無力な筈の少女の視線は、けれど歴戦の武人である近迦の男達を萎縮させるには充分であった。


「……一つ聞かせなさい」


 燎儀に向き直り、低い声色で問う。


「あなた達燎一族の長、燎祗様は、何ゆえ私を探していたのでしょうか」

「くはっ、お前の利用価値はお前が一番よく分かってんだろォ」


 わざとらしく乾いた笑いを溢した燎儀は、小幸に一歩近付き、彼女の身に付けている着物の合わせ目を唐突に掴んだ。

 襟元を乱暴に引っ張られ、燎儀の眼前ギリギリまで小幸の顔が近付く。乱れた着物の隙間から白い柔肌が覗き、それは降り注ぐ紫銀の月光を受けて淡く輝いて見えた。


「神巫ってのは、彼岸世の住民を常世に呼び出すための道具っつー話じゃねぇか。それ以外に何の使い道があるってんだ」

「……神を現世に降臨させるのですか? 神を奉じる心を持たない鬼の一族であるあなた達が」


 夜空に浮かぶ月をどこか忌々しげに見上げ、燎儀は応じる。


「勘違いすんな。神に祈り奇跡にすがるしか能のねぇお前等と違って、俺達は連中に何の期待もしてねぇ。ただ証明してぇだけだ」

「……証明?」


 怪訝な表情を見せる小幸の前で、彼は鬼の紋をドクドクと脈打たせながら、獰猛な笑みと共に続けた。


「お前等は神を絶対の存在として崇めてるが、そりゃ眉唾だ。ただひたすらに力と強さを求め、神すら喰らう鬼の血族……つまり俺達こそが、ハワグの頂点に君臨する本当の支配者なんだってことをなァ!」


 ジャリィィンッ! と、音高く刀が抜かれ、襟元を掴まれたままの小幸の首筋にそっと刃が触れた。

 虚ろな光を湛える燎儀の目と、気丈を貫き光を失わない小幸の目が交錯する。


「だから俺達は神を呼び出し、自分達の手で殺すんだ。誰もやったことのねぇ神殺しを成し遂げれば、燎一族の名はこの皇国を越えて大陸中に広まる。そうすりゃ、今よりもっと名前に箔が付くってもんだろォ?」

「……そん、な……下らないことを成すために、神を呼び降ろすつもりなのですか……?」


 皮膚に伝わる刃の感触に緊張を走らせながらも、小幸は怖気に染まることなく問い返す。


「あなた達の下らない力自慢に利用されるほど、神々は易い存在ではありません。……いいえ、そもそも神を手に掛けようと思うその考えが不遜もいいところ。そのような下らない妄執を掲げるあなた達の思いに、神が応えて下さるはずがありません!」

「くはは、んなこと誰が決めたんだァ? つかそれを言うなら、そうやって神を神と定め、神格化し、手の届かない天上の存在として祭り上げることもお前らの "妄執" に過ぎねぇんじゃねぇのか? もしかしたら神様っつーのは、そんな大層な連中じゃねぇのかもしんねぇのになァ?」


 堂々と神を侮辱する発言に、小幸はぎり、と歯を噛み締める。

 ハワグの民であれば決して口に出来ない神への愚弄は、彼が畏れ深いまつろわぬ者、鬼の一族であるが故だ。

 神を奉じる皇国の人間と、その列島の中にありながら神に背く近迦の民。両者の間に広がる不和は皇国建国以来から続くものであるからして、ここでその軋轢に関してとやかく言うつもりはない。

 それでもやはり、彼ら近迦の民と自分達は決して分かり合えぬのだと改めて分かり、小幸は薄く息を吐いた。


「……ならば、連れて行けばよいでしょう」


 そうして静かに告げる。


「そうやって私を使って神を招聘し、存分に自分達の力を証明するのですね。かつてこの皇国を救った存在が、いかにあなた達よりも強大で、自らと比べることが烏滸がましい存在なのか……その証明がきっと為されるはずです」


 挑発するように、燎儀へと言い放つ。

 本来、神の招聘には神巫という贄を、体系化された複雑な儀礼で以て天に捧げる行程が必要となる。儀礼の内容はハワグが建国されて以降の四百年間、国の密事として厳重に秘匿され続け、今では皇都を始めとする一部の有権者にのみ明かされてきた。

 衛正が神巫に関する数多の秘密を知っていたのは、彼が己の悲願のため、秘密裏に皇国建国時から続く書物の尽くを蒐集していたからであり、いくら名家の者と言えども、そう易々と神の巫に関する密事に辿り着ける筈がないのだ。

 であれば、神への背理心が強い燎祗が、神を招聘する儀礼について知っている訳がないだろうと小幸は考えた。


 加えて、燎儀は重大なことを見落としている。

 もし仮に燎祗が招聘の儀について知っていたとしても、それで儀礼が成立するわけではない。数十年周期で巡ってくる《神喚かむよびの夜》―――常世と彼岸世の境界が僅かに薄れるとされる夜に儀を行ってこそ、神は招聘に応じるのである。

 そしてその神喚の夜は、明日にまで迫っている。江鷹から近迦まではどれだけ早く馬を走らせても十日はかかるため、絶対に間に合わないのだ。

 だからこそ、ここで小幸が燎儀に付いて素直に近迦へ赴いたとしても、結局儀礼は失敗に終わる。

 小幸に利用価値がないと分かったとき、燎一族の長がどのような行動に出るかは分からない。

 自分は殺されるかもしれない。

 それでも、靖央とその両親の命は助かるのだ。

 その理由があるだけで、小幸は平気で己の命を賭けの材料にできる。

 ――そうやって自らを易々と差し出せるのは、彼女が齢十の頃から来るべきときに備え、神への供物として育てられてきたが故か。


(……衛正様や鴛花様が聞いたら、きっと怒るだろうな)


 彼等にとって小幸は、奇跡でなければ成し遂げられない悲願を果たすために無くてはならない存在。

 そのために衛正は神巫の資質を持つ小幸を幼い頃から育て、神喚の夜に向けて途方もない苦労と祈りを積み重ねてきた。

 そんな二人の日々を、いま小幸は自らの意思で捨て去りかけているのだ。


 神の巫は、皇国の民が願う奇跡の体現者。

 その運命を呪い悲観したことは、一度としてなかった。

 神供であることだけが己の存在価値として教えられ続けてきた小幸は、しかしこのとき、たった一人の幼馴染のためにその宿命を放り投げようとしていた。

 横目で靖央を見る。

 涙と鼻水にまみれてぐしゃぐしゃの顔でこちらを見ている少年にそっと微笑みを返し、再び燎儀の双眸を見据えた。


「……、」


 刃を小幸の首筋に当てたまま、至近から彼女の瞳を覗き込んでくる男は、不思議なほど静かだった。

 異様なほど虚ろな目が、まるで小幸の内側を何もかも見通しているかの如く揺れる。その揺蕩いは何か言い知れぬ不気味を孕んでいるかのように思えた。

 燎儀の口端がニヤリと歪む。


「あァ、そういや。いっこ聞きてぇことがあったんだわ」


 その言葉と同時、刀が僅かに小幸から離れる。


「常世に神を呼びつけるには、ややこしい儀式みてぇなのが必要なんだろ? さすがの燎祗様もそればっかりは知らねぇみてぇでなァ。嬢ちゃんは知ってんのかい?」

「……生憎と。私はただ神へ捧げられるだけの供物。余計なことは教えられていません」


 表情の機微に気を付けて、小幸は答えた。

 彼らが知らない儀礼の内容は、現状で彼女が盤上へと出している賭け札の一つだ。

 故に自ら情報を明かすことは絶対にしてはいけない。

 純粋無垢な少女の色をほんの少しだけ醸し、無知を装う。そんな小幸を見て片眉を上げた燎儀は、「ふぅん……」と唸りながら顎を擦った。


「参ったなァ。儀式のことについても調べてこいってかしらから言われてんだが……」


 そこまで言って、彼はチラリと横合いを見やった。

 側近の男二人に視線を配り、続けて彼らに挟まれる形で地面に伏す靖央に薄目を流す。

 ――その目配せに、小幸は不穏な意図を感じた。


「仕方ねぇ。こういうときに取るべき行動ってなぁ決まってるよなァ」


 途端、小幸の眼前で燎儀の右手が霞んだ。

 何かが空を切り裂く音が、やけに鮮明に耳へ届く。

 その音の正体を考えるより早く、小幸の視界に鮮烈な赤色が写り込んだ。


「……え、」


 その色を見た小幸は、息を詰まらせた。

 視線の先。

 地面に跪く靖央の胸に、一本の刀が深々と突き刺さっていたからだ。

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