第4話 幻惑の夜宴


 すらりと高い背。感覚として、ルクレツィアの頭ふたつ分は優にあろうか。左肩で留めたマントの裾から伸びる長い脚。丈長たけながの紫立ったマントはベルベット特有の意味深な光沢の濃淡をたたえ、装飾性の高いブローチの留め具が妖しくきらつく。男らしいつきの肩を少し過ぎてさらりとかかる、金に近い茶の髪。肩  章エポーレットを乗せた濃藍の上衣は頼もしくも痩せ型に入る彼の体格を浮かび上がらせ、胸元を彩る金糸刺繍が目にも鮮やかだ。

 紗のベールに覆われているおかげで、視界は最悪。この不遜な青年の正体がはっきりと見えやしない。ルクレツィアはともすればベールを剥ぎ取りかねない自身の手を抑えた。


「馬鹿にしていらっしゃるの?」

「失礼に聞こえたら申し訳ない。君の勇気を讃えたかったつもりだ」


 ワザとらしい、愉快さを隠しもしない口調が無性に腹立たしい。

 真剣に取り合うなんて馬鹿馬鹿しい。口答えしたい気持ちをこらえてルクレツィアはドレスの裾を翻した。


「っ! 離していただけるっ?」


 が、長い腕に腰を捉えられてしまった。いきなりの大胆な触れ合いが胸をどきんっとすくみ上らせる。


「あの男ではないが。俺は君をしかるべき部屋まで送っていきたいだけだ。またさっきみたいな男に絡まれたくはないだろう?」

「部屋なんてないわ」

「嘘を。なら、もぐりか? 今夜の仮装舞踏会は明け方まで続いて、招待客はそれぞれの部屋に泊まる予定のはずだが」


 そうだったのか。初耳だ。義母たちの歓談から今宵の招待客は錚々そうそうたる面々と聞き拾っていただけで、詳細については一切興味もなく調べずいたのだ。ちゃっかり、遠方からの招待客だけが客室を用意されているものと思い込んでいた。

 ルクレツィアは答えることができなかった。なんて受け流せば良いか分からない。彼女は沈黙を返した。無言は雄弁な肯定と、知ってはいるけれど。

 押し黙る彼女をふっと笑い、青年はじくじくと痛い部分を突く。


「おかしいな。馬車留め場の位置は招待客の家ごとにあらかじめ設定されているはずなんだが――――ああ。裏庭の木陰に小型の馬車が潜んでいたな」

「!」


 ルクレツィアは顔を跳ね上げた。色の濃い仮面に浮かぶ一対の眼差しと交差する。


 この男、どこまで見抜いているのか。


 彼のほのめかす馬車は、まさしくルクレツィアが乗り込んだものである。潜入しても一番目立たなさそうな場所に停留させ、そこから城の入り口でたかる人いきれと合流したのだ。騒ぎを聞かないから、まんまと騙し通せていると安堵していたのに。


「暑苦しい、化かし合いの空気が気持ち悪くてな。庭園を散歩していたらアレだ。所有者は君か?」

「だったら何だっていうのよ! 別に迷惑をかけようと思ったわけじゃないわ! 私はもう帰るの。離してよ!」


 こんなところで油を売っている場合じゃない。バレたなら、さっさと逃げないと大問題になる。ルクレツィアは青年の腕を叩き落とした。


「待って」


 しかし間髪入れず二の腕をやんわり掴まれ、びくりと止まってしまった。反射的に振り向くと、彼のまとう衣装と同じ色合いの仮面が改めて飛び込んだ。おとがいにかけてのすっきりと好ましい輪郭、少し開いた唇は甘やかな色香を漂わせている。


「面白いな。君と話がしたい。一曲、踊ってみないか? ……2人だけで」


 痺れるようなハリのある声。うっとりする低音だ。けれどもルクレツィアは屈する女ではなかった。


「嫌よ。得体の知れない男なんかと」


 断るや否や、おもむろに青年が藍絹あいぎぬの仮面を剥ぎ捨てた。回廊に転々と灯された壁掛けランプの照明の下、濃灰色のうかいしょくの涼しげな双眸が睫毛の影を透かす。

 ルクレツィアは瞠目してしまった。まっすぐな柳眉りゅうび、凛と整ったうら若き風貌。舞踏会場の誰よりも抜きん出た容姿…………とまではかなり無理をしないと言えないものの、非常に見応えのある美丈夫だ。

 場所が違えば厳めしい感じがするだろう鋭い瞳を、彼はルクレツィアに注ぎ、ベール越しに彼女の頬を撫でた。


「ひゃっ。なに……っ」

「君も」


 優しく、しかし有無を言わせぬ手つきで青年はベールを取り外した。硬質な男の指がじかに触れ、ルクレツィアはなされるまま、固まる。

 うねり、透き通った金の髪。まるでそれ自身が輝いているごとく、微光を散らす。

 生き生きとまたたみどりの明眸が青年を直視した。息を詰める青年の気配。時が止まった気がした。


「……驚いた。こんなにも美しい女性が実際に」


 男は完全に魅入っていた。ルクレツィアから奪ったベールを強く握り、娘の額にかかる長い一筋の金を、そっと耳にかけてやる。

 瞬間、ルクレツィアの目が覚めた。ちょうどそこにあった胸板を押し返し、後ずさる。


「来ないで」


 冷たく言い捨てた。警戒心剥き出しのルクレツィアを、男は首を横に振って諌める。


「そう当たることもないだろう。俺は君みたいな招かざる客じゃない。――――チェスティエだ。レリスタット・ユーイン・チェスティエ」

「チェスティエですって?」


 ルクレツィアは声を裏返らせた。とんだ大物まで仮装に興じていたものだ。

 チェスティエ侯爵家はテネーレ屈指の大貴族だ。王室と縁続きであることは元より、他家との繋がりも深い。諸外国の王族の血も組んでいる。テネーレ建国の王が忠臣にほうじた最初の爵位のひとつであり、その者がはいした肥沃な領地と尽きせぬ権威は数百年経った現在まで脈々と受け継がれている。王家の姫が降嫁するなどの名誉にもあずかり、一時は王家をしのぐ勢力を誇ったという。いわば筆頭爵位ともいえる名家のひとつなのだ。格式高いチェスティエ侯爵家の甘い蜜をすすらんとすり寄る不届き者もいるらしい。


 それは侯爵自身も痛感しているところなようで、並大抵の貴族が催す宴には出席しないと聞く。そんな名門がこのふざけた舞踏会に混じっているとは考えてもおらず、やはり今宵の主催者の偉大さを実感せずにはいられない。


「こちらが名乗ったんだ。君にも名乗っていただきたい」


 青年が近づき、声を落とす。ルクレツィアの背筋にひやっとした感覚が流れた。

 名乗るわけにはいかない。見知らぬ男との醜態を目撃されてしまったのだ。お転婆という自覚はあれ、ヘドウィック伯爵家唯一の直系という面目がある。ないとは思うが、あらぬ噂を立てられたら身の置き場がない。


 貴族社会では権力闘争に勝つべく、対立する一族の醜聞を目敏く掴んで暴露し、追い落とすやからもいると聞く。ヘドウィック伯爵だって腐っても名門である手前、いつどこかの敵対貴族に睨まれるとも知れないのだ。今は好意的に接してくれているチェスティエ侯爵だって、ルクレツィアが正体を明かせば、どう打って出るか。


「閣下のお気に召すような人間ではないわ」


 こういう事態では秘密を貫くのが賢いすべだ。


「充分気に入った。大の男と張り合えるご令嬢は滅多にいない」


 青年は楽しんでいる。余裕ある態度にカチンときた。

 彼は左手に持っていたままのベールのシワを整え、ルクレツィアに差し出してくれる。

 継母たちに姿を見咎められるわけにいかないルクレツィアは、慌ててベールを奪い返しかけ――――


「きゃあ――――!?」


 逆に身体ごと引き寄せられた。手首を取られ、彼に引かれて長い回廊を抜ける。いくつかの階段を下り、角を曲がり、あれやこれやとわめいている間に世界が変わっていた。


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こんなデレラに誰がした イオリ @7rinsho6

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