第3話 送り狼にご用心


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「どこよここは」


 髪を後頭部でまとめ上げていたリボンをほどく。長い髪が金の粒子を振りまいて背中に零れた。他の貴婦人や令嬢がする結髪は好きでない。堅苦しいし、自分が色気づいているみたいで妙に気恥しい。動きに合わせ自由に遊ばすが一番だ。


 大広間を後にし、幅広な回廊に出たは良いものの、通路は長いしあちこちに曲がり角があるしで、迷ってしまった。何しろ景色が同一なのだ。中身は違うが壁の上方に掛けられた肖像画、等間隔に取り付けられた持 送 りブラケットランプ。立ち並ぶ寄木細工の扉。招待客のものだろう名前を書いたカードがノブに掛けられているということは、泊まり客用の宿泊部屋らしい。きっと、夜通し踊り明かすに違いない。

 どの道を辿れば玄関広間へ行き着くのだったか。ルクレツィアは忘れてしまった。なんせ人だかりにまぎれ、呑まれて大広間に漂着したのだ。曲がり角が左右にあった場合、どちらに進めばなんて、意識してすらいない。


「……えーっと、何階だったかしら、ここ」


 無音。

 にぎやかな大広間とこの回廊の静けさは、落差が激しい。寂しさと不安な気持ちが生まれ、ルクレツィアは自ら音を発してみた。当然ながら、応答は皆無。

 諦めてルクレツィアは出口を探すことに専念した。


 ランプの照明はほのかに明るいだけで、道案内にはあまり適していない。しゃのベールを脱げばマシになろうが、そこで誰かに顔を目撃されると立場が悪い。正式に招待された人間ではないがゆえ。

 壁伝いに歩き回っていると、突然、視界の左側の真っ暗な角から黒い物体が現れ出た。制限された視覚のせいで反応の遅いルクレツィアは、危うくぶつかりそうになる。


「わっ」

「おっと。失礼。……おや、可愛らしそうな占い師だ。流れ者の一団とはぐれたのかな?」


 ぐらついた身体を支えられる。硬質な脈動。男だと察知し、咄嗟に振り切って接触を断った。思いも寄らぬ反抗に呆気に取られた男だったが、壁に背中を預けて動向を監視する小柄な娘にふっと楽しげな息を漏らす。


「初めての夜会なのかな? 初々しいところも可愛いね。安心おし。仲間のところに連れて行ってあげよう」


 男が口を開くと、歯というには異様に尖鋭せんえいな牙がぬめって照りついた。多分、義歯のたぐいだ。目尻と目の下縁したぶちを真紅の色料で強調し、髪は漆黒。大陸では純粋な黒一色の髪の持ち主は滅多にいないから、かつらか染料だろう。前身頃に肋骨状の蒼い紐飾りが張られた黒い長衣は、その仮装をするに伝統的なデザインだ。

 吸血鬼の男は妖しく笑んだ。獣性のにじむ、ぎらつくまなこで。目元の真紅が狂気を訴えてさえ見える。


「仲間なんていないわ。私1人で充分」


 父伯爵と屋敷内の使用人しか身近な異性はおらず、色恋に免疫のないルクレツィアでも本能が警鐘を鳴らした――――ここにとどまっているのは危険だ。


「怖がっている割に気が強いんだね。そういうの、好きだよ」


 どういうのだ。

 さっさと立ち去ってくれと拒絶を込めて突き放す。


「貴方こそ戻ったらどうなの。私のことはほっといて」

「若いお嬢さんを1人で歩かせるわけにはいかないからね。狼に襲われたらどうする」

「狼っ? 公爵様は狼を飼っているの?」


 獰猛な獣を城内で放し飼いにしているのかと、ルクレツィアはびっくりする。彼女の言葉に男も目を白黒させた。だがすぐに笑い出す。


「知らないのかい? ああ、本当に? ……そうだよ。特にこうした夜会ではね。監視の目が緩いから色んなところをうろうろしている」

「しつけはちゃんとしているのよね? 人慣れしているのかしら。噛んだりしないわね?」


 噛み合っているようで噛み合っていない会話。耐えられないとばかり、男がいよいよ噴き出す。男の赤らんだ瞳が細まり、壁に両手をついてルクレツィアの退路を阻む。


「?」

「良いこと思いついたよ。お嬢さん。狼と出会ったらどんな目に遭うか、終(しま)いまで教えてあげる」


 不意に武骨な指がベールの裏に潜り込んだ。払い|除(の)けようとする前に髪を掴まれる。


「ちょっと!」


 男は手首を引き上げ、まばゆいばかりの金の毛先を自身の目の下にさらす。暗がりの中に呑まれようと、ルクレツィアの髪はうっすら光輝をまとっているようだった。


「美しい……。まるでセッダリカ産の絹糸だ」


 セッダリカとは近隣諸国のひとつで、最高品質の絹の産出国として名高い。年中涼しい気候で採れるまゆは耐久性に優れており、選りすぐりの職人の腕も手伝って素晴らしい生地が織り出される。セッダリカ産の絹は上品な発色を示し、手触りも非常に心地良く、王侯貴族の服飾品に利用される。丹念にり上げられた品々は必ず大枚の金貨が支払われており、並みの貴族ではなかなか手に入れるのが難しい高級品でもある。今ルクレツィアが袖を通しているドレスも伯爵当家では数少ない、セッダリカの絹糸が紡いだ逸品だ。

 高値で取引されるセッダリカ産の絹糸はテネーレ貴族の憧れであり、それになぞらえた『セッダリカ産の絹糸のような髪』という表現は女性にとって最高の褒め言葉だったりする。

 光を波打たせるルクレツィアの髪の先を摘み上げ、男はうっとりと瞳に熱をこもらす。


「貴方の白い寝台を、ぜひこの金糸で飾り立てたいものだ」


 そこでやっと、ルクレツィアは男の真意にピンときた。

 こいつ、何をのたまうか。

 頭の中はそれしかないのか。とんだお花畑だ。ルクレツィアは右手を固めた。


「こんなに美しい髪の方だ。顔を見たい。喜ばしいことに、どの扉の向こうも寝室……」

「調子に乗るんじゃ――――」


 拳を振り上げる。聞いていられるか。


「――――ないっ!!」


 一撃必殺。ルクレツィアの鉄槌は男の頬骨を直撃した。鈍い打音だおんが耳を不快につんざく。男は尻餅をつき、ぼんやりと左頬をかばう。さぞ女受けするだろう面立ちは、無様に引きつれていた。

 ザマを見ろ。

 ルクレツィアは殴った反動で痛む右手と、何ともない左手を腰に当て、冷たく睥睨した。


「ああいけない。ダゴネットに『男と2人きりになるな』って言われたのだったわ」


 継母と継姉たちの無理な要望を根性で叶え、時には拳で突っぱねてきた生い立ちである。今さら、ためらいなどない。『慎ましさ』なんて美徳ははるか彼方へ投げ捨てた。どこに落ちたか知らない。


「こ、拳はないだろ! 女ならせめて平手……っ」

「平手なら何発やってもよろしいのですね?」


 おもむろに浮き上がるルクレツィアの手。レースのたっぷり垂れたドレスの袖が白さをさらす。剥き出しになった細腕は花のごとくしなやかに伸び、薄暗い廊下に純白の一閃を投げつける。

 出で立ちだけはやたら見栄えするのに、背負う殺気で台無しだ。男が恐れをなす。漆黒の鬘の下に淡褐色の地毛が一部露出していた。心なしか、薄い。

 男はズレた鬘を押さえ、及び腰ながら一目散に逃げ去った。


「…………何だったの」


 喜劇並みのうろたえぶりと逃げざまであった。そこまで怖かっただろうかと困惑を禁じ得ない。

 ともかく、これで一難去ったと歩みを再開し、


「ははははっ」


 ルクレツィアの後方より、朗らかな笑い声が噴出した。

 今度は何。キッと目つきを強めて振り返る。声の質から、間違いなく男だ。また一難が来たのかとげんなりした。


「助けを呼ぶでもなくこぶしひとつで撃退するとは、いやご立派!」


 よく通る声音を回廊に響かせて、親しげに男は間合いを詰めてくる。照明が長身を照らした。


「見ていらしたの?」


 彼の言いぶりは、ルクレツィアが吸血鬼風情の軽薄男に言い寄られ、寝台へ連れ去られかけていたところを盗み見ていたと告白しているのと相違ない。――――彼は、彼女が危機に瀕していることを理解していながら、助けに来なかったのだ。

 なんて非常識な男。ルクレツィアを助けもせず一部始終を傍観した挙句、笑い飛ばすとは。どこの家の人間だ。ルクレツィアは瞳をすがめた。


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