第6話 血塗られた一族

 コロルフエーゴ宮殿は広い。


 カティエバ王国の王の住まいは、七王国分立の際の小競り合いの歴史もあり、城塞と言っても過言ではないくらいに堅牢である。広い宮殿の中には、王族、使用人、兵士、奴隷――その数、ざっと数千人程度――が暮らせるだけの住宅がある。そして彼らの働く官庁、軍事施設。祈りの場や学校、浴場、厩舎きゅうしゃや農地など。

 宮殿は街の中心にありながら、少し小高い丘のような立地に建っている。こうしてみると、宮殿だけでも一つの城塞都市のようになっており、その周囲にあるカルマ・ノウァの街は有事には庇護対象ではないことが伺える。


 王国で最も裕福な商人、アルドフェ=パルゴの館を宮殿のようだと思ったが、実際にコロルフエーゴ宮殿を間近で見て、中を散策してみると間違っていたことが分かる。城塞さながらの壁の中には、いくつもの壮麗な門があり、いくつもの中庭や噴水がある。王の散歩道は宮殿内だけでちょっとした旅をしている気分になれるくらいだ。四つの塔に囲まれた最も大きな中庭――エスぺホの中庭には縦長の池があり、鏡のように空を映し出している。貯水の役割もある池の周囲は緑で溢れており、大理石の床と池の水との対比は美しい。

 中庭の北側、鍾乳石飾りのアーチを抜けた先が、カティエバ王フェルナンド十世の居室となっており、側面はの部屋が連なっている。


 エスぺホの中庭から北西の部屋を見上げる。アランの生まれ育った部屋だ。妾の子として部屋から出ることは殆どなく、この中庭を眺めて育った。


 この記憶は俺の頭の中に、確かなものとして流れてくる。池に顔を映すと、そこにいるのは赤髪の美少年。


 俺は今、アランになっている。


「……どうやら、うまくいったみたいだな」


 アランからという荒業が成功したのは良かったが、これはアランの悪夢だ。アランを恐怖させ、憎悪させているものの正体を突き止めて、この夢は見せるだけなのだと示すしかないだろう。


「アラン」


 背後から声を掛けられる。すぐにそれが、母親であることが分かる。アランの記憶が流れてくるのもそうだが、これほどまでに美しい、燃えるような赤い髪の女性が血縁者でないという方が難しい。年上だが、丸みを帯びたシルエットに柔和な表情の中にある整った顔はどこか少女のようにも見える。


「こんなところにいたのね」

「お母様」


 なんとも愛らしい声が、俺の口から飛び出す。アランのものだ。俺は今アランだから当然なのだが、違和感しかない。母――アナベル=エストレイア=メディオラ――は、ギュッとアランを抱きしめる。


「わらわの可愛いアラン」


 柔らかな感触、温かい抱擁に身体の力が抜けそうになるが、彼女の声は冷たい。


「……なぜ、ここにいるのかしら? あなたは奴隷の子どもらしく、奴隷として船に乗っているはずでしょう? それとも、わらわに復讐をしに来たのかしら」


 両手をまわした母親から伝わる体温は高いのに、アランの血の気がどんどん引いていくのが分かる。身体も小刻みに震えている。


 ――これが、アランの悪夢。


 メディオラの民、アナベルは十歳で故郷の地を離れてカティエバ王国へと連れてこられた。そして、若きフェルナンド十世の側室となった。アナベルは側室としての教育を受け、王の寵愛を受けることだけがすべてなのだと思うようになった。

 子を成すことは女の役割であり、子を宿した時こそがアナベルの幸せの絶頂であった。王の子であるならば、男児でなければならない。女児であれば、最悪、己と同様の美しい赤髪とメディオラの民特有の顔立ちが、王の心を奪ってしまうかもしれない。


 だから、アナベルはのだ。


 ふたりきりの時、母親はアランをこう呼んだ。

「可愛い――わらわのアン」

 アナベルの身体が離れ、白魚のような指がアランの顔を撫でる。

「分かっているわ。あなたも所詮は血塗られた一族の末裔。破滅から逃れることなどできないのよね」

「お母様……!」

「カティエバ王国はリャティースカに奪われ、カティエバの王族は息絶えるの。国外に出された王の子たちもすでに『始末』されているはず。大丈夫よ、アン」

 アナベルが少女のように無垢な笑顔を向ける。

「わらわとともに、逝きましょう」


 次の瞬間、アナベルの身体に刃が立ち、中庭の池が赤く染まった。倒れたアナベルの背後に立っていたのは狂い切ったカティエバ王フェルナンド十世だった。


「くっそぉ……!」


 アランが怒りと恐怖に震えながら、ただ絶望を持って剣を振りかぶる。


 ――だが、アラン。これは夢だ。


 俺はアランとなっている自分に言い聞かせる。これは夢だ。そして、目の前にいるフェルナンド十世こそが悪夢ナイトメアだ、と。


「目を覚ませ!!!」


 振り抜いた剣は、王を切り裂いた。そして、身の毛もよだつ悲鳴とともに世界は崩れ去った。

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