第5話 試す価値

夢魔ナイトメアは悪夢で恐怖を喰らうだけでなく、恐怖で人を操れる――」


 グウェンは微笑を浮かべて象牙の杖を撫でている。


「つまり、アランが倒そうとしているのは悪夢の中の敵。あなたが、どれだけ呼び掛けようが無駄なのです。アランには今、あなたが敵にしか見えていません」


 アランのダガーを鞘で受けたまま、俺は楽しそうに話している白髪の女を見る。気がついたら、その姿を見て頭によぎったことを、俺はそのまま口にしていた。


「お前、友だちいないだろう?」

「……なんですって?」

「性格悪そうだもんなあ」

「そうやって軽口を叩き、時間を稼ごうという作戦ですか? 浅はかな」

「そんなつもりはないがな?」

「では――」

 グウェンは目を閉じたまま、口元だけを左右に引いて笑顔を作る。

「どうやって、アランを倒すのです? 彼が優勢のように見えますが?」


 確かに、身軽なアランと戦うのは分が悪い。自慢じゃないが、俺は剣も使えない。そもそも剣も折れてるし。だが――


「こういうことはできる」


 ガランッ。


 アランの足を素早く払い、地面に押し倒す。その勢いのまま上から鞘を押し付ける。ついでに落ちたダガーを遠くへ蹴った。


「この! 離せっ!」

 夢に操られているアランは憎しみたっぷりの顔で俺を睨みながら暴れるが、大人と子供の体格差がある中で、上から乗っかられた少年に勝ち目はない。


「お見事です」

 グウェンが笑顔を見せる。もちろん素直に褒めているわけではなく、続けて小馬鹿にしたように言う。

「で、どうするつもりです? ずっと押さえつけるのですか?」

「そんなことしてても、お前がまたなんかやるだろ」

「そうですねえ……はもうひとつ、ありますしねえ」

 目は閉じられていて、その視線は追えないが、グウェンの顎が微かに動く。豪奢な椅子の近くに倒れているエリスのことを指しているようだ。


 ――エリスを使役されるのは勘弁だな。


 俺は下で力の限り暴れ続けるアランを見る。


 ・・・


 、飢えに飢えた何かが威嚇するような音とともに宝石から溢れ出た黒い霧。パルゴ老人によって境界から呼び出された悪夢ナイトメア。それは、地面を這うように野外闘技場内を広がっていった。


『レクス! それを吸い込むな!』

 エリスの言葉で息を止めた俺は無事だった。


 だが、次の瞬間。黒い霧を吸い込んだ人間が人間を襲い、暴れていた。


 パルゴ老人は暴れまわる人間のことを『わしのペット操り人形たち』と言っていた。アランが彼らと同じ状態にあるのは確かだ。

 だが、あの時パルゴ老人に操られていた人間は、一様に虚ろな目に、言葉にならないうめき声を上げていた。意思や理性、知性すらなさそうな感じだった。俺の下で暴言を吐きながらちゃんとした意思を持って暴れるアランとの違いは、なにか。


『あれの術式は不完全であった』

 と、エリスは言った。老人のとは反対に、グウェンの術式は完璧なのかもしれない。


 調子に乗ったパルゴジジイは、エリスの『崩壊コラプス』の魔法によって不完全な術式を崩されたために自らが呼び出した悪夢に喰われた。同じように『術式』を崩せばいいのか?


 ・・・


 ――どこだ。


 俺は睨むようにグウェンを見るが、身にまとっているのは薄い身体にぴったり沿ったレースのドレスだけ。あの時エリスが壊したパルゴ老人の首飾りに配された魔法石のようなものは身に着けていない。あとは愛しそうに握っている象牙の杖だけだ。金属の棒がついているが『術式』のようなものには見えない。


「ふふふ」

 グウェンは、この状況を楽しんでいるように笑う。


 そもそも、完璧な術式だったとしてそれを崩すことはできるのか? いや、エリスが悪夢を見ている状況では厳しいだろう。俺にできることは、魔術や黒呪術の領域で戦うことではない。

 あの森を抜け出したように、悪夢モンスターと戦うことだけなのだ。


 ――アランを喰らう悪夢と戦うには……。


「はあぁ」

 盛大なため息を吐いた俺に、グウェンがわざとらしい声を上げる。


「おやおや、にっちもさっちも、いかなくなりましたか?」

「いや」

「……この期に及んで、まだ負け惜しみを?」

「残念ながら思いついたんだよ。アランを止める方法」

「ほう?」


 ――そう、。確信はないし、やりたくはないが……ひとつだけ。本当に賭けのようなものだ。だが、試す価値はあるのかもしれない。


 鞘をグイッとアランの顎下に押し付ける。

「ぐっ……!」

 アランが短くうめく。


「なにをしているのです?」

 グウェンが眉をひそめる。


 もう一度、俺は深く息を吐き出した。エリスの言葉を思い出しながら。


『レクス! を吸い込むな!』


 アランの苦しそうに開いた口に、俺のそれを近づけて、思い切り息を吸った。

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