第7話 真っ赤

 瞬きの後、俺はコロルフエーゴ宮殿から野外闘技場へと戻っていた。


「よっしゃ! 戻って来れた!」


 危ない賭けだったが、なんとかなった。これでアランも悪夢から覚めているはず――と押し倒していた赤毛の少年を見る。


「……っ」

 髪の毛と同じくらい真っ赤になったアランの顔がそこにはあった。表情は苦痛なのか歪んでいる。もしかして悪夢から覚めていないのだろうか?


「アラン?」


 ガスッ!!!


「いってえ!?」

 小さな拳で左頬をクリティカルヒットされ、俺は思わず地面に転がる。

「お前! なにしてくれんだ!?」


「俺の台詞だ!」

 俺を殴った勢いそのままに華麗に立ち上がったアランは、怒声を上げる。

「よくも……」

 顔を真っ赤にして口をゴシゴシと擦る。

「初めてだったのに……」


 左頬を押さえながら、俺は姿勢を変える。初めてって――

「口と口を合わせたことか?」


 ボンッと音が聞こえそうなくらい顔が赤くなるアラン。


「えー? 息吸い込んだだけで、あれはキスじゃないだろ。童貞か――」

 そこまで言って、俺はさっきまで共有していた悪夢の内容を思い出した。あれは、ナイトメアがアランの記憶から学んで見せていた夢だ。つまり。

「あ、お前……女なんだっけ?」


 アランの顔が、今度はサーッと心配になるくらい青くなる。


「あ、これは言っちゃいけないんだっけ?」

「……っ」

「えっと。とにかく……すまなかった」


 女の子にとっては、唇を奪われるというのはショックに違いない。ましてや初めてで、こんなよく分からん冒険者にだ。


 俺は黙り込んでしまったアランを観察してみる。スッと通った鼻筋に切れ長の瞳は、孔雀緑色に輝いている。赤い髪と同じ色の睫毛は長い。白いシャツからのぞく首も、手も、とても細い。身体のラインも、声の高さも、まだ成長していない故の少年っぽさと思っていたが、違ったようだ。


「……ジロジロ見るなよ」

「いや、将来有望だなと」

「もう一発殴るか」

「落ち着けよ。俺はお前を悪夢から救ったんだぞ。一応」

「……」

「それに、まだ終わってないんだからな」


 そうだ。アランを悪夢から救ったけれど、まだ最大の懸念は残っている。

 俺は、呆然と立ち尽くす白髪の女に目を向けた。


「信じられない……」

 グウェンが苦々しそうに吐き捨て、なにやらブツブツ呟いている。


「レクス、一体……?」

 アランがようやく冷静になったようで、俺に話し掛けてきた。

「あの女は……」

「『リャティースカの使者』だ」

「あいつが!?」

「ああ。今はゆっくり話してる時間はない。まずはエリスを起こすのが先だ」


 グウェンがエリスを操ってしまう前に、アラン同様に起こさないといけない。


「俺はエリスのところへ走るから、お前はグウェンの気を逸らしてくれ」


 アランが眉をひそめる。


「おい……それってつまり」

「ん?」

「エリスに、キ、キス……するってことか?」

「キスというか、まあ、そうだな」

「お前! 寝込みを襲うなんて最低だぞ!?」

「本当に人聞きの悪いこと言うなよ!?」

「お、俺が行く!」

 アランが、グイッと俺に詰め寄る。なんでこんな必死なんだ、こいつは。


「いや、行くって言ったってな」

 俺はアランの肩に手を置きながら、淡々と答える。

「今のところナイトメアを追い払えてるのは俺だけなんだよ。お前がもしエリスの夢に入れたとして、悪夢に飲まれちまったらおしまいなんだぞ?」

「うっ……」

「まあ、俺も絶対ではないけどな。確率は上がるはずだ。いざとなったら逃げろ」

「レクス……」

「行くぞ」


 俺の言葉にアランは頷き、いつもの身軽な動きでグウェンに向かって行った。思考の海を漂っていたグウェンは、咄嗟に象牙の杖を構える。


 アランはグッと屈んでブーツからダガーを取り出し、下から上へ杖をはじく。


 ジャラン――カランッ。


 先端についた金属の棒が高い音を鳴らし、杖は地面に転がった。


「あいつ、あんなの隠し持ってたのか」

 さっき応戦した時、ナイトメアに操られている状態でなかったら、軽く負けていたかもしれない――そんな面白くもない予想に背中を冷たくしながら俺はエリスのもとへ駆け寄る。


「エリス」


 小さな身体を抱え上げ、顔に掛かったすみれ色の髪を払いのける。

 深い眠りについているのか、長い睫毛は行儀よく倒れている。透けるような白い肌の輪郭を確かめるように手で触れ、顔を近づける。


 ぷるんとした唇めがけて。息を吐きながら――


「ふぅ……っ」


 バッチィィィン。


「ってぇぇえ!!!???」


 先ほど、アランに殴られたのとは反対の頬が激しく熱を持つ。見えないけれど絶対にが真っ赤に咲いているはずだ。


「お前……」

 俺を真っ直ぐ見てくる菫色の瞳を睨む。

「いつから起きてたんだよ」


 左手を綺麗に振り抜いた姿勢のまま、美少女エリスは涼し気な顔で言う。


「お主が間抜けヅラをしていた時だ」

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