第3話 昨日みたいに

「行くぞー!」


 アランが木の上から何かを叫んでいる。

 俺は隣に座る美女エリスに『魅了』が掛かった釣り糸髪の毛をもらって木の枝にくくりつけていて、よく聞いていなかった。


 バッシャーン!!!


 目の前の川から大きなしぶきが上がる。


壁よウォール

「――え?」


 人ひとりが飛び込んだのかというくらいの大量の水が俺とエリスを襲ったが、俺はびしょ濡れになり、エリスは寸でのところで張られた魔法の壁に守られた。

 まあ、実際アランが飛び込んだわけだが。


 俺はエリスに抗議の声を上げる。


「……俺にも掛けろよ。それ」

魔力マナがもったいない」

「おいおい」

「大体、放っておけば乾くであろう。無駄だ」

「……そうだな」


 俺は隣で釣り竿作りを淡々と続けるエリスの肩にポンッと手をのせる。


「乾くから問題ないよな!?」


 抵抗される前に、美女形態のエリスの膝裏に手を差し込み、勢いよく川へ放り投げた。ちんちくりん時よりも等身が高いとはいえ、細いその身体は難なく持ち上がり、高い弧を描いて水しぶきを作り出した。


「うわぁ!?」

 川の中にいた赤髪の少年アランは突然投げ込まれたそれに小さく悲鳴を上げる。アランは、危ないだろう! と叫んでいるが、元々、少年が木の上からアホみたいに飛び込んだのが原因なのだ。俺のせいではない。


「――ぶはっ!」

 水中からエリスがバシャッと上半身を出す。水しぶきとともに、すみれ色の髪と肩紐のようなものがザバッと跳ね上がる。ドレスは濡れて白い肌に張りついているため、その複雑さを増している。奇怪黄金ドレス女と名付けるか。

「レクス! お主、何をしてくれる!!」

「わはははは……あれ?」


 ――『魅了』の魔法は掛け終えているはずだが、なんで幼女に戻らないんだ?


「どうやら、水遊びをしたいようだな?」

 エリスは無表情な顔に不敵な笑みのようなものを浮かべる。美女なだけに、睨みをきかせると迫力がある。ぷるんとした胸から上だけを水から出した状態で、エリスが右手を俺の方に伸ばして来る。そして、静かに唱える。

飛び散れっスプラッシュ


 パチンッ。


 エリスの指が鳴ったと思ったら、川の水面がググッと下がっていく。美女の臍が見えるくらいまで水が引き、次の瞬間――エリスの両脇から巨大な水の柱が生まれ、木の高さにまで昇ったかと思うと激しく俺に降り注いだ。


 ゴォォォ……!!!


 大量過ぎる水はクラーケンの一撃よりも強烈なんじゃないだろうか。


「ごめんなさい……」


 俺は地べたにうつ伏せの状態で、どうにか謝罪の言葉を口にした。エリスは幼女の姿で偉そうに両手を腰にあてて「分かればよい」と頷く。


「手掴みで魚を獲ってやろうかと思ったが……」

 アランは、いつの間にか岸に上がって来て、シャツを絞っている。

「これだけ打ち上げられたら十分だな」


 俺の周りでは数十匹の魚がビチビチと跳ねていた。


「そろそろ食事にしよう。レクス、木の枝を集めに行くぞ」

「そうだな……」

「……キノコは拾うなよ?」

 アランは続ける。

に『解毒』してもらう羽目になるんだからな」


?」


 俺は身体を起こして、その場に座り、記憶を探る。キノコなんて食った覚えは……あったか? 言われてみれば、食ったような気もする。


 だが、昨日も――それ以前にも同じようなことがあった。アランは『ウサギを狩って来たのは、俺だ』と言った。ウサギを捕まえるための罠もイメージはできるが、どうやって作ったのかも検討もつかない。まるで俺自身の経験ではないように。


 俺が『記憶喪失』だから、なにかが起きているのか?


「どうした、レクス」

 エリスが黙りこくった俺を怪訝そうに見る。

「また変なキノコでも口にしたか?」

「エリス」

「なんだ」

「この森に来て、何日経ったか覚えてるか?」

「覚えているに決まっている。それよりも早く森に入らねば日が暮れるぞ」

「何日だ?」

「しつこい奴だな」

 エリスは不快そうな表情を浮かべる。


「おい、レクス。早く行こうぜ」

 アランが親指で森を示す。


「アラン……お前は、カティエバ王国に戻りたくないのか?」

「はあ?」

「森に来てから何日経っている? なぜ、俺たちは森を出ようとしない?」

「まずは生き延びることが先決だからだろう」

「食糧を確保するのは大切だ。水もな。だが、冬ですらないこの豊かな森で――木こりの小屋でずっと過ごし、水遊びをしたり、キノコ狩りをする理由にはならない」

「キノコ狩りしているのはお前だけだがな」


「俺は『冬を迎える前にキノコの知識を増やしておくのも大事』だと思っていた。だが、なぜ冬を迎える必要がある? どうして俺はそう?」


 膝に手を置いて、ゆっくりと身体を起こす。エリスとアランは、黙って俺を見つめているだけだ。


は、何者なんだ?」


 俺の言葉とともに幼女と少年の身体は崩れて融合し、やがて黒い霧のような姿になった。俺は――、なぜかその正体が分かっている。


夢魔ナイトメアか」


 黒い霧が意志を持って返事をするように揺れる。


「パルゴのジイさんが呼び出してた境界の化け物だな」


 パリンッ――どこかで薄氷が割れるような音がする。夢が崩れていっているんだろう。夢魔とは、憑りついた相手に悪夢を見せて恐怖や負の感情を喰らう。だが宿主に夢であると悟られた瞬間、無意識下で交わされた『契約』は破棄されて、夢魔は無力になる。


「……いい夢だったよ」


 バラバラと砕け散って行く穏やかであった世界の中で、黒い霧はただ揺らめき続けた。

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