第2話 穏やかな時間

 パチ、パチッ――焚き火の中で木がぜる。


 日が沈んで輝き出した星の光も月の光も、木々にはばまれたこの森の中には微かにしか届かない。火の番をしていると、虫や動物の声も聞こえず、ただ揺らめく炎とだけ対峙しているように感じる。


 膝に肘を置いた姿勢で地面に座る。たまにパチッと音がすれば、枯れた木の枝や薪の残骸ざんがいを投げ入れてやる。空気を入れるように長い木の棒でたまにつつきながら、静かに炎と対話する。穏やかな時間だ。


 だが、幼い声が乱入して来て、対話の時間は終わりを告げる。


「おい。沸いたか?」


 木こりの小屋の窓から、ひょこっと顔を出して、ちびっ子がお湯を催促さいそくしてくる。


 俺はおもむろに立ち上がり、焚き火の上の鉄鍋を見る。太い木材が組み合わされた支柱に長めの木の棒を置けるようにし、それに吊るしているのだ。木こりの残した斧で素人が作ったにしては上出来なんじゃないだろうか、と誰もめてくれないから自分で自分を称賛する。

 鉄の鍋に張った水は、沸々としていた。もう良かろう、と木の棒を持ち上げてそのまま木こりの小屋へと運び入れる。


 小屋の中は狭い。恐らくは、長く住むためのものではなく、森に入る時期限定の小屋なのだろう。ここにあるのは、必要最低限――ベッド、木桶きおけ、テーブル、椅子――くらいなもので、暖炉だんろすらない。そして、一歩間違えれば熱湯をぶっ掛けられるくらいには狭い。


「離れてろよー熱いぞ」


 湯を木桶に入れるのは、これで何度目だろうか。ついには人が浸かれるくらいになった。


「……よし」

「ご苦労であったな、レクス。さあ、出ていってくれ」

「はいよ」


 俺はエリスの言葉に軽く手を振って、小屋を後にした。ちびっ子の入浴シーンなんて見たって仕方ない。それよりも、焚き火との時間が俺を待っている。


 小屋を出ると、アランが立っていた。気まずそうにこちらを見ている。


「……レクス」


 ――まさか。


「アラン……風呂をのぞくなら、あの窓から見るといいぞ。だが今の形態ちびっ子では覗いたって楽しくもなんとも――」

「誰が覗くか!」

「え、堂々と見るってこと?」

「ばか野郎! 俺は風呂に――」

「まあまあ、落ち着けよ。キノコでも食うか?」

「誰が得体えたいの知れないキノコなんか食うか!」

「何か口に入れんと、冷静に話すこともできないぞ?」


 ――ん? 今の台詞、どこかで聞いたことがあるような。


 頭の中にもやっと黒い塊が浮かんだが、思い出そうと意識を向けるとスカッと空振り消えて行く。もやを掴むように。


「なあ、アラン」

「――大体!」


 アランは、俺の言葉を遮って勢いよく言う。


「俺はさっきウサギを食ったから、腹はいっぱいだ」

「そうか、それは残念だなあ。キノコって何日もつのかね」

「知らん」

「それより、お前ウサギを狩るなんて優秀だな」

「なにを言ってるんだ」


 アランは腕を組む。赤い髪が肩につくくらいに首を傾げて言う。


「ウサギを狩って来たのはお前だろう?」


 その言葉を聞いて、俺はウサギを捕まえるための罠を作って仕掛けたことを。森に来てからいくつか仕掛けた罠がようやく成功したのか。いつかもっと大物も獲りたいし、魚釣りにも挑戦したいものだ。


 ――だが、なぜかしっくりこない。


「んー? 俺、それ食った?」

「お前、大丈夫か? 早く寝た方がいいんじゃないか?」

「そうだな……疲れてるのかもしれん」


「アラン」

 小屋の窓から、顔を赤くしたエリスが顔を出す。しっかり風呂を堪能したようだ。窓枠に両手を置いて、そこにあごを載せたエリスが優しく言う。

「今なら湯も温かい。お主も、身体を休めると良い」

「……ありがとう」


 アランは、エリスの言葉に素直に頷き、小屋へと入って行った。それと入れ替わりでエリスが金色のドレス姿で出て来る。小屋の中のランプのあかりから、焚き火の明かりへと。焚き火の周りに乱雑に置かれた薪の上に、エリスが腰掛ける。


「良い火だ」

番人が優秀なんだな」

「その通りだな」

「……そう言われると少し恥ずかしいな」

「ふふっ」


 エリスが足を組む。シャラン――とドレスの模様部分が重なり、揺れる。


「一人で旅をしていると焚き火もせんからな」

「そう言えば、会ったばかりの頃、木の実や道草ばかり食ってたって言ってたな。お前、夜とかどうしてたんだよ」

「『防壁ウォール』の魔法を朝まで掛けておいた」

「それって……あの時、黒い霧から守って――」


 ――? ? なんだっけ……。


 言葉を止めた俺に、エリスは気にした様子もなく続ける。

「長い旅だったが、またこうして誰かと焚き火を囲むことができるとはな」

「ふうん……」

「明日は、釣りでもするか」

「釣りできんの?」

「ふふ、一人旅でつちかった技を見せてやろう」

「そんなんあるのか」


「長い木の枝に、私の髪を一本括りつけてな」

 そう言ってエリスはすみれ色の髪に触れる。

「それに――」

「ふんふん」


「『魅了テンプテーション』の魔法を掛けてから水に垂らすだけだ」

「ズルじゃねぇか!」


 魔法使いってのは羨ましいな、と笑い合う。こう言う時間も悪くない。


 パチッ――と、また木が爆ぜる。

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