第10話 終わり良ければすべて良し

 カルマ・ノウァの商人は黒い霧をすべて飲み込んだ。いや、黒い霧が商人を飲み込んだのか――俺には分からなかった。ただ、霧状のそれは渦巻きながら小さくなっていき、やがて葡萄ぶどう色の魔法石に吸収された。


 美少女エリスはよく似合う金色のドレスに皺を寄せて屈み、その石を拾い上げる。太陽にかざしてみても透けることのない、深い、とても深い混沌を思わせる色だ。


「どういうことか、説明してくれるんだろ?」


「よかろう」

 俺の言葉にエリスは頷きながら立ち上がる。

「あれは……海の上であった。巨大な烏賊いかを倒したはずの私は、小船で目を覚ました。マリアに借りたガウンを着ていたが、両手を縄で縛られていた」

「やっぱり西方の船乗りたちがさらったのか」

「軽く痺れさせてやったがな」

「え、じゃあ逃げられたってことなのか?」

「うむ。逃げはしなかった」

「うん? 船乗りたちを魔法で黙らせたんだろ?」


 エリスは首を振って、疲れたのかパルゴ老人が座っていた豪奢な椅子に腰かける。

「いや、喋らせた。一体なにが目的なのかと」

「それで?」

「『私のような見目麗しい人間は、大人だろうが子どもだろうが金になる』と言われてな。同じような人間ばかりを欲しがる金持ちがいると言うので――ことにしたのだ」

「は?」

「アルドフェ=パルゴが出したのは、金貨二十枚」

「すげぇ大金じゃねぇか……じゃなくて、なにをやってるんだお前は」


 ――自分で売られに行った、だと?


 理解の追いつかないままエリスを見るが、ちんちくりんは気にした様子もなく続ける。

「そして、新しい服と食事を与えられ、『ワインを注ぐ』という仕事を与えられた。長く生きているが奴隷となった経験はなかったので実に興味深かった」

「……そうか」

「そうこうしているうちに、お主がやって来た。せっかく黙っていたのに、お主が私の名前をあの卑しい老人の前で叫んだのが腹立たしくてな。ワインをその顔に引っ掛けてやって――それから闘技場で『私を賭けて』戦うなんぞということになったわけだ」

 エリスが両手でやれやれ、といったポーズを取る。

「分かったか?」


「分かった」

 俺は項垂れて言う。

「よーく分かった。お前を助けようと思ったことが間違いだったんだな」

「なにを言う」

 エリスは小さな顔をクイッと傾けてみせる。

「来てくれて嬉しかったぞ?」


「…………そうかよ」


 鼻から大きく息を吐き出す。まあ、終わり良ければすべて良し、か。


「済んだか?」

 気が抜けたところに、突然横から声を掛けられて、俺は咄嗟に腰の剣に手を伸ばす。野外闘技場の観客席最上段の手すりに座っていたのは赤髪の少年アランだった。


「アラン! お前、逃げたんじゃなかったのか」

「逃げた。黒い霧が消えていくのが見えたから戻って来た」

「マリアとテオは?」

「俺一人の方が早い」

「そりゃそうだな」


 そこまで言って、俺は一番聞きたかったことを聞く。


「ところで、アルドフェ=パルゴってのは何者だったんだ? お前、『西方オキシダイアには、呪術師や占い師ならいるが、魔術を使える人間はいない』って言ってただろう?」

「……俺も知らん。三年前、国を離れた時にはそうだった」

「あれは魔術の類ではない」

 椅子にふんぞり返ってエリスが言う。

「どちらかと言えば、呪術――黒呪術と呼ばれるものに近い」

「黒呪術?」

「ああ、先ほどのように魔法石を媒介にして『境界』の化け物どもを呼び寄せる。術式が完璧で、さらににえが価値の高いものであればあるほど――強い化け物を呼び出すことはできる」

「贄……って、ジジイの血か」

「パルゴとやらが愚かであったのは術式が不完全であったことだ。あやつは本物の黒呪術師ではない。恐らく、聞きかじっただけのことなのだろう」

「お前の魔法はなんだったんだ? 一気に黒い霧を始末しちまったが」


 ――そんな大魔法が放てるほど、良い生活をしていたのだろうか……。


「崩れろ、だのなんだの」

「ああ。あれは大した魔法ではない。着火するのと同程度だ」

「えっ」

「言っただろう? あれの術式は不完全であったと」


 そう言って、エリスは足元に転がるパルゴ老人の首飾りを指さす。中央に配置されていた魔法石だけが今エリスの手にある。他はすべてひび割れている。


「この首飾りは、魔法石を中心に宝石を配置することで術式としている。私は崩壊の魔法でだけのこと」

「はあ」

「術式が壊れると、呼び寄せた魔の者は従わなくなる。それどころか、さらなる贄を求めて術者を攻撃するというわけだ」


 そうしてパルゴ老人は、自らが招いた災厄に喰われたということなのか。


「――私が奴隷になった理由は、人生経験のために有らず」

 エリスはすみれ色の髪に細い指を滑らせる。

「老人が買った『白髪碧眼』の人間に会うためだ」

「お前みたいなって人間か? そんなの何人もいるのか?」

「……パルゴの屋敷には何人かいた。老人がご機嫌に語っていたのは、三年前に北のリャティースカからやって来た使者が『白髪碧眼』だったそうだ。を大層気に入ったために同じような人間を探していたとな」


「リャティースカの使者……?」

 アランの表情が険しくなる。カティエバ王国を一日で落とした使者に、パルゴ老人は面識があったということか。


「エリス。俺は、アランからカティエバ王国奪還の依頼を受けている」

「ほう」

「使者のことを教えてくれ」

「お主は相変わらずだな……レクス」


「ちょっと待て」

 アランが手すりから辺りを見回す。

「倒れている奴らの意識が戻りつつある。それに王宮の人間が様子を見に来るかもしれん。一旦、ここを離れよう」


 チリン――


「お手間は取らせませんよ」


 金属のぶつかり合う軽い音とともに、俺たちの真ん中に白髪の女が現れる。女は白い肌が透けるレースのドレスを身にまとい、左手に象牙の杖を持っている。杖には金属の棒のようなものが幾つもつけられている。女は目を閉じたまま、杖を地面に下ろし、チリン――と涼し気な音を鳴らす。


「グウェン!」


 エリスが立ち上がり叫んだ――次の瞬間、俺たちは見知らぬ森の中に立っていた。

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