第8話 苔むした岩山
「ぐっごぉぉぉお!」
空気を震わす
こうして長引く戦いに観客の熱は冷めつつあるようだ。
「テオの奴め、三年で剣闘士の心を忘れたか。客を盛り下げてどうする!」
老人は苛立ち、横にいる
「おい、酒だ!!」
明るい金色に白い
ジョボボボボボボボボボ……。
パルゴ老人の頭に巻かれた白い布は濃厚な赤紫色に染まっていき、顔面に流れ、さらには立派な羽織にまで侵食していく。
「うわっぷ、わっぷ……ぶはっ!?」
老人はなにが起こったのか分からないまま赤ワインに溺れそうになりながら、椅子から転げ落ちた。
空のワインボトルを手にした美少女は、顔を覆っていたヴェールを脱ぎ捨てる。
「自分でやれ」
可憐な声におおよそ似つかわしくない台詞に、パルゴ老人は言葉を失ったまま、床に膝をついた格好でエリスをただ見つめるしかなかった。
「世話になった礼だ。選ばせてやろう」
ない胸を張って老人を見下ろすエリスの声には、慈愛とは真逆の空気が漂う。
「消し炭とみじん切り、あるいは石になるなら――どれがよい?」
「……っ」
「なんなら、永遠に黙るというのはどうだ? ん?」
「チッ……奴隷ごときがっ!」
パルゴ老人が扇に仕込まれた剣を抜いて、エリスに襲い掛かる――が、後ろから俺に蹴られて今度は床を舐めるような形になってしまった。俺は、その背中を踏みつけながらエリスに向かって言う。
「エリス、そこらへんにしとけよ」
「レクス」
外壁から最上段へどうにか登り切った――実際にはアランが登って、縄を下ろしてくれたんだが――俺とアランを見て、エリスは
「遅かったな」
「来るの分かってたんだろ?」
「無論だ」
「――で、何があってお前は今こうなってんだ?」
「話すと長い」
エリスはそう言って、闘技場の方を見る。
「それよりもアレを止めた方がよいぞ」
エリスに言われて見ると、悲鳴のような歓声に包まれた闘技場のど真ん中で、トロルがテオを両手で握り潰そうとしていた。テオが腕に力を込めているが、ぺしゃんこになるのも時間の問題のようだ。
「テオ――!!」
アランが手すりに身を乗り出す。その声が聞こえたかは定かではないが、テオが
「ぐぉぉぉぉお!!!」
錆びた銅のような色の肌をどす黒くさせながら、トロルがさらに手に力を込める。分厚い皮膚に覆われた腕は隆起した筋肉で盛り上がりまるで苔むした岩山のように
「ぐ……っご!!?!?」
だが次の瞬間、トロルの短い唸り声とともに、その巨大な手から紫色の液体が吹き出してテオが滑り落ちる。観客は何が起きたのか分からなかったのだろう。野外闘技場は、しん、と静まり返った。
トロルは両手を振り回しながら、痛みのせいか暴れまわる。ドシンッ、ドシンッと地面が揺れる中、客席からどよめきが起こる。戸惑い、そして、男性陣から歓喜の声が広がる。
彼らの視線を独り占めしているのはトロルでも、テオでもない。
闘技場の真ん中で美しく光る剣を構える、もう一人の挑戦者。テオを斬らないように、トロルの手指だけを狙って剣を高速で振った時、被っていたマントが落ちてその正体を露にした。三つ編みの金髪と空色の瞳の女剣士マリア=モンタニア。
「……」
マリアの顔が曇る。目の前で暴れまわっていたトロルの血がすでに止まり、傷口が塞がりかけていたからである。
「ぐ……がぁぁあ!」
脅威の再生力を見せたトロルは両手を握り、マリアに向かって突進する。
「――っ!?」
ズッシィィイン……っ。
トロルは一歩も進めずに、大きな音を立てて地面に倒れ込む。奇しくも主人であるアルドフェ=パルゴのようだ、と俺はブーツを踏みしめる力を強める。
パルゴ老人が
場内には――美しい姿勢で剣を構える金髪の巨乳剣士。紫色の池から立ち上がる英雄『赤獅子の戦士』。足元に巻かれた漁師の使う古い網と縄で倒れたモンスター。
そして、最上段から飛び降りて現れたと思えば、瞬く間にそれを巻くという神業をやってのけた、燃えるような赤髪の少年。
トロルの敗北という状況を理解した観客は思い思いに――罵声をあげ始めた。
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