第6話 赤いシャツを捲る

「お前は何をしに行ったんだ」

 赤髪の少年アランは怒りを隠そうともせずにそう言い放った。


 ここは、カルマ・ノウァ近くの小屋だ。破れた網やらが放置された漁師小屋は、使われなくなってから相当の月日が経っているようだ。木の床も壁もだいぶ傷んでいるようで、重苦しい空気をさらに陰鬱なものにしている。


「テオもだ。お前がついていながら、なんでそんな無謀な賭けに乗ったんだ」

「……すまない」


「おいおい、そんなに責めてやるなよ」


 俺の言葉にアランがキッと睨んでくる。


「カルマ・ノウァのアルドフェ=パルゴは、カティエバ王からも一目置かれ、を許された商人だ。よくもそいつを脅そうなんて……」

「まあまあ、どうせ買い戻す金もないんだし。むしろチャンスだろ?」

「……お前だけが参戦し、食われて来てくれるのか?」

「ひどい言い草だな」

「ふん、命知らずじゃなく、の冒険者みたいだからな」

「うまいこと言うなあ」


 俺は感心しながら続ける。


「でも、俺も無謀な賭けは嫌いなんだよな」

「なんだって?」

「あの老人はハンデとしてテオの参戦を認めた。それだけ余裕だと思ってるんだろう。だが、老人には悪いが、今回は『俺』がいる」


 アランが不憫なものを見る目を向けてくる。


「はい、その目、止めてくださいねー」

「お前がなんだというんだ」


「テオ」

 突然呼ばれてテオは戸惑ったように俺を見る。表情の読めない男だと思っていたが、ちゃんと観察すればわりと感情豊かなのだと分かって来た。であったあの老人に対して殺意を隠そうともしていなかった。次に続いた俺の言葉にテオは、驚きの表情を見せる。

「パルゴ老人のは――モンスターなんだろう?」

「知っていたのか」

「いや、なんとなく分かった」


 カルマ・ノウァを出入りする船は人間だけでなく、モンスターも積んでいる。その街で最も裕福な商人がモンスターを飼っていないわけがない。しかも、血を流させて民衆の娯楽にしようなんて奴だ。おそらく、恐ろしいモンスターなのだろう。一般人ではおよそ目にしない、戦わない――そう、生態もよく分からないような。


「モンスターなら俺に勝ち目がある。なぜなら、俺はモンスター学者だったっぽいからな」


 ――もしかしたら、優秀すぎるためにライバルが呪いを掛けてきたのかもしれない。あと、イケメンで金持ちだからねたまれたのかもしれない。うん、そうに違いない。


「……」

 アランは胡散臭そうに、細い眉にギュッと力を入れている。

「じゃあ、お前なら勝てるんだな?」

「可能性は高くなった、と思ってもらおう」

「……テオ、教えてやれよ。お前を死の淵ギリギリにまで追い込んだモンスターを」


 ――死の淵?


 赤いバンダナの男は黙したまま、身にまとっている赤いシャツをまくる。鍛え上げられた体躯にくっきりとした筋肉の層ができている。だがそれ以上に目を引くのが、左肩からへそ近くまで続く、大きくえぐられたような傷痕だ。牙や爪ではない、武器のようなものでつけられたものに見える。


 息を吐き出してから、テオは赤いシャツを下ろし、短く言う。


「トロルだ」


 トロル。巨大な身体を持つ人型に近いモンスター。分厚い皮膚に異常な再生能力。巨木ですら軽く振り回せる怪力、そして恐ろしいほどに低い知能。

 種族としては太陽光を嫌い、暗い森の中や洞窟などに住んでいるはずだが、野外闘技場で日中戦っているのだとしたら上位種かもしれない。


 テオが、かつて剣闘士としてトロルと戦っていたのか――


「そいつは……最悪だな」

 俺の言葉にテオは壁に背をつけて立ったまま俯く。アランは赤毛をわずかに逆立てている。立ち上がりはしないものの、苛立った様子で足元に落ちている木片を黒いブーツで蹴る。これ以上、空気が悪くなる前に口を開こうとした時だった。


 キィッ。


「お待たせしました」

 朽ちかけた扉から入って来たのはマリアだった。深碧しんぺき色のガウンではなく、西方諸国オキシダイアの民族衣装である細かい刺繍の入った羽織に相変わらず短いスカート、そして剣帯を身に着けている。羽織は、商船に積まれていていたものだ。


「何か口に入れませんと、冷静な話し合いも難しいですわ」

 そう話すマリアは見慣れぬものを手にしている。木のトレイに載せられた黒い謎の塊。西方諸国の食べ物なのだろうか。焦げているだけにも見えるが。

「食材、少しお借りしました。どうぞ、アラン様」

「……これは?」

 目の前に差し出された料理らしきものにアランが目を泳がせる。アランが知らないということは、エンティア王国の郷土料理なのだろうか。

「独特の香りがするが」

「子どもの頃から料理には興味ありましたの。どうぞ、アラン様」

「……レ、レクスの方が、腹を空かしているんじゃないか」


「いや、俺は……」


 遠慮してみると、アランは見捨てられた子猫のような切ない表情になった。俺は、チラッとマリアを見てから、咳払いをして話題を切り出す。


「さっきの話の続きだが」

「――おう、なんだ!」

 アランは嬉しそうに返事をする。


「トロル相手が最悪だって言ったのは、あくまでテオとの相性の話だ」

「相性?」

「そう。船上での戦い方を見たが、テオは完全にトロルと同じだ。かいやゴツイ棒を振り回し、敵を薙ぎ払う。同じ戦い方同士なら、筋力も生命力も強いモンスターの方が有利だろう?」

「なるほど」

「そこで鍵となるのが――マリアだ」


「わたくしですか?」


 マリアは黒い謎の塊を手にしたまま、ゆっくりと首を傾げた。

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