第5話 商品価値

 俺の言葉は短く、広場に響いた。エリス――と美少女の名を呼んだ俺に、いち早く反応を示したのはパルゴ老人であった。


「なんじゃ、知り合いか」

 特に驚いた風でもないところが、パルゴ老人の老獪な部分を表わしているようだ。もしかしたら俺たちの訪れを予期していたのかもしれない。老人は、美少女に目をやって大きくゆっくりと扇を揺らす。

「酒を」


 美少女は頷きもせず、ただ言われた通りに、老人の前に置かれた杯にワインを注いでいく。ワインの満ちた三杯の杯のうち、二杯を手にテオと俺に近づいてくる。


 テオは無言で杯を受け取り、俺も手を差し出す。


 バシャッ!!!


 表情をピクリとも変えずに美少女がワインを俺にぶっかけて来た。

「――んなっ!?」

「……っ」


 これにはさすがのパルゴ老人も驚いたのか、灰色のもさっとした眉毛の間から大きく見開いた目を覗かせている。美少女は、その間も一言も発することなく、表情も変えない。一瞬の沈黙を破ったのはパルゴ老人であった。


「ふひゃっはっはっはっ!」

 老人は、実に愉快そうにクッションに身体を沈み込ませる。

「実に良き日だ。これほど楽しいのは何年ぶりだろうか。テオ、お前が――わしの元を去って以来だ」

「……」

「なんで帰って来た」

 低く、くぐもった声で言う老人の目には不穏な光が宿っている。

「わしの顔なんぞ見たくもないだろう」


 ワインでビショビショになった顔をマントで拭きながら、俺はチラッとテオを見る。頭ひとつ高いところにある男の顔は、いつもと変わらず仏頂面で何を考えているのかは読み取りにくい。テオは低い声で言う。

「……その少女を返してもらいたい」

「わしと交渉する気か?」

「……何枚で買った」

「お前の売値の倍額だ」

「……チッ」

「睨む相手を間違えるなよ、テオ。文句は、この子を売った輩に言え。もしくは――この子を連れ去る隙を作ったお前らの不甲斐なさを恨むんじゃな」


 そう言って老人はヒゲに覆われた顔を歪ませる。随分と笑顔じゃねぇか、と俺は内心ため息を吐いて、もう一度美少女を見る。すみれ色の髪、深い藍色の瞳――ヴェール越しでも分かる、気の強さ。間違いなくエリスだ。

 なぜ、彼女は一言も発さない? ワインをぶっかけて来たのは怒ってるからか? だから、話そうとしないのか。というか、目が覚めたなら、エリスの魔法で船乗りなんてどうとでもできただろう。


 ――なにか理由があって、ここにいるのか?


「パルゴさんよ」

「なんじゃ」

「あんたは、商人だ。誰かに高値で売り払おうって腹積もりなんだろう?」

「よく分かっているな」

「商品価値は絶対に落としたくない」

「ほう」

「俺たちは金は持ってない。金貨一枚もない」

 キーラからワイバーン討伐の報酬でいくらかもらったが、海の底に沈んでしまった。そもそも持っていても銀貨数枚だが……。

「それどころか、何もない。失うものがない――特に俺はな」

「なにが言いたい」

「アホなことができるってことだ」


 そう言って、俺は腰に差した剣に触れる。奇跡的に無事だった俺の――剣身が折れた剣。だが、老人にはそんなことは分からない。脅しが本気に聞こえればいい。


「俺は、無傷でなくても、この子を取り戻せさえすればいいんでな」


 老人はクッションに身体を沈めたまま、眉をわずかに持ち上げただけ。しばらくの沈黙が流れる。俺は老人から目を離さない。


「くっ……」

 パルゴ老人が身体を折り曲げる。その次の瞬間弾けるように天を仰いだ。

「くーふひゃっひゃっはっはっ……ひゃっ」


 最後は息が苦しそうになるくらいに笑い転げたパルゴ老人は、ピタッと動きを止めて、テオに向かって言う。


「面白い男じゃ。テオ、こいつは何者だ? 金持ちにも、物乞いにも見えぬ」

「……」

「まあいい、気に入った」


 老人はそう言って、俺に扇を向ける。


「お前、名前は?」

「レクス」

「レクス……お前は、この子を取り戻すためにアホなことができるという」

「ああ」

「では、わしとひとつ賭けをしないか」

「賭け?」


 テオが声を上げる。

「パルゴ様、まさか!」


 ――まさか?


 嫌な予感はするが、俺は剣から手を離さず、パルゴ老人に聞く。


「賭けってなんだ?」

「まあまあ、警戒せんでいい。わしは、あるイベントを定期的に開いていてな。そのイベントの賞品として、その少女を出してやる。お前はそこで勝てばいい。勝てなければ――命を落とすだけじゃ」

 簡単な話じゃろ? そう言って、パルゴ老人はお得意の不愉快な笑みを浮かべる。

「ふぇへっへっ」

「……そいつは確かに簡単だな。それで、そのイベントってのは?」

「カルマ・ノウァの大門近くに野外闘技場があるのは知っているか」

「ああ……そういえば、そんなものを見た気がするな」

「わしはそこで剣闘技大会を主催している。奴隷同士を戦わせる試合もあるが、お前にはわしの自慢のペットと戦ってもらおう」

「ペット?」


 ――犬、なんて可愛いものではなさそうだな。


 俺の質問には答えずにパルゴ老人は続ける。

「ハンデとして、テオの参戦も認めてやってもよいぞ?」

「え、いいの?」

「構わん。わしのペットの恐ろしさは、その男が一番知っておる。なあ? テオ」


「……」


「わしの一番のお気に入り剣闘士であったお前なら、なあ?」

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