第10話 真の剣士

「おい、ちょっと待て。国って……船ってなんのことだ?」


 俺の言葉に少年は顎をクイッと洋上の船に向ける。先ほど、少年たちが降りてきた船だ。


「どういうことだ? お前の船じゃないのか?」

「まさか」

 少年は鼻でわらう。

「そこのエンティア人の言葉を聞いてなかったのか? そもそもメディオラの民のことを知らないとでも言うつもりか?」

「メディオ、ラ……?」

「……」

「あ、いや。ちょっと待って。その目やめてくれ。聞き覚えある気がするから、ちょっと待ってくれ。……いや、そうだった。俺は記憶喪失なんだよ」


 ――でも『メディオラ』は本当に聞いたことがある気がする。


「記憶喪失だって?」

「アラン」


 すっかり忘れていたが、小船でかいを手にずっと黙っていた赤バンダナの黒髪の男が、ここに来て初めて口を開いた。


「これ以上は、奴らに警戒される」

「ああ」


 アランと呼ばれた赤毛の少年は、赤バンダナの男に向かって剣を投げる。男は難なくそれをキャッチする。そして無言でアランに縄を投げ返す。


 数本の縄を手にしたアランは、クラーケンの周りに浮かぶ人間を見回しながら話す。

「騎士が三人、船乗りが……六人、と女とか」

 アランの言う、剣士は俺、女はマリア、子どもは勿論エリスを指しているようだった。


「今から、三人一組でお前たちの手を縛る。剣士の縄は緩くするから、オレが合図したら――暴れろ」

「暴れる?」

「船を制圧するんだ。海へ突き落とすだけでもいい」

「突き落とすって船長をか?」

「全員だ」


 アランは短くそう言ってから、騎士――ギルベルト、フィニクスとラインと呼ばれていた二人――を縛り上げる。


「変な気は起こすなよ。エンティアの騎士」

「……ふん」


 ギルベルトは足蹴にされて赤くなった鼻に皺を寄せただけだった。

 続けてアランが船員を三人ずつ縛り、最後に俺とマリアを縛った。エリスは寝ているからか、見た目が幼女だからか見逃されたようだ。


 俺は手首に緩く縛られた縄を見て、呟いた。


「さっきほどけたばっかなのに……」

「無駄口を叩いてないで、さっさと船に乗れ」


 アランに促されるまま小船に乗る。本船に近づくと、縄で引っ張り上げられていく。大人三人や小船を引き上げられるってことは――


 本船の甲板に降り立った時、俺は、自分の勘の良さを呪った。


「おう、小僧。随分遅かったじゃねぇか」

 汚い恰好をした見るからに匂いそうな船乗りが、グヘヘと笑いながら言う。その背後には五十人近い男たちが同調するように笑っている。


 ――この人数を海に突き落とせって言ったのか? あのガキ。


 俺は顔をひくつかせながら、アランを見る。赤髪の少年は涼しげな目元を大きく動かすこともなく鼻を鳴らす。全員が乗り込むと、アランは赤バンダナの男を見る。


 ――え、まさか、もう!?


 赤バンダナの男が、マリアの剣を掲げて俺に向かって振り下ろす。


「うおっ!?」


 ザッ。


 軽い音ともに、俺の縄が切れる。赤バンダナの男が剣を放って寄越した。


「あの、ちょ、ちょっと……待って」


 こんなに人数いるなんて聞いてないんだが!? そう叫ぼうとした瞬間、横から臭そうな船乗りが斬りかかってきた。


「――あっぶね!」


 寸でのところで避けると、アランが口角を上げる。

「やるじゃないか」


「小僧、てめぇ! なんのつもりだ!?」

「見れば――」

 マストから吊り下げられている縄に飛びつき、アランは遠心力で勢いをつけながら目の前の男たちを蹴り上げる。

「分かるだろう!」


 数人の男たちがあっけなく海に落とされていく。


「うわぁあっ!」

「お助けー!!」


 悲鳴が聞こえた方を見ると、赤バンダナの男がかいを振り回して船乗りたちを蹴散らしている。


「おお……これは、いけるかもしれん!」


 俺は剣を両手で握りしめ、臭そうな船乗りに向かって行った。船乗りは、ペッと手のひらにツバを吐き、湾曲した剣を握り直した。


 ガキン!


 剣身と剣身がぶつかりあう。そして船乗りが、ふん! と鼻息を吐くと――


 キィィィイン!


 しっかりと握っていたはずの聖騎士の剣が、綺麗な放物線を描きながら甲板に落ちる。


「……!」

「……!?」


 アランが険しい顔でこちらを見ている。今まで剣で刺すとかそういうのばかりだったなと思い返す。そうか――俺は剣術が使えなかったのか。


「へっ、あばよ」


 放心する俺に、臭そうな船乗りが大きな腹を揺らしながら剣で斬りつけてきた。


「しま――っ」


 キンッ!!!


 次の瞬間、弾かれた船乗りの剣が海へと落ちていく。

 俺と船乗りの間に入って来たのは――


「マリア!?」

「お怪我はありませんか?」

「あ、ああ」


 マリアは低く屈み込み、聖騎士の剣を構える。縄はすでに切り落とされている。深碧しんぺき色のガウンからスラリと伸びた足で甲板を踏みしめ、豊満な胸をグッと寄せるように脇を締めている。


「……ふっ」


 短い呼吸の後、マリアが船乗りたちに向かって踏み込み、幾つもの閃光を走らせる。


 ズパパパパパッ――


 音が止んだと思ったら、船乗りたちは次から次へと倒れていく。


「ええ!?」


 俺は思わず声を上げる。その声を聞いたギルベルトが後ろから偉そうに言う。

「驚くことはないぞ、冒険者。マリア様は聖騎士の剣を授けられたお方――それはすなわち、エンティア王国一の剣術の使い手ということだ」

「えええっ!?」


 マリアは金髪と胸を揺らし、スッと姿勢を正す。剣が静かに剣帯に収まっていく。


 甲板には、もう向かってくる船乗りは一人も残っていなかった。


「助かったぜ」

 アランは、ガウン姿のマリアに手を差し出す。マリアはその手を取って、はにかみながら握り返している。アランは笑顔を見せる。

「お前こそ、真の剣士だな」


「……」


 かくして船は制圧できたわけだが、俺の心はかつてないほどの虚しさで溢れていた。

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