第4話 分かればよい

 飲食代として皿洗いをしていたのは昨日。

 酒場の主人が一晩泊めてくれた今朝、俺は狭いベッドの中で目が覚めた。


「んー」


 ギシッ。


 ベッドの軋む音とともに、寝返りを打とうとするが身動きが取れない。なんだか温かい。小動物の息遣いを感じて、重い瞼を開けると、すみれ色の髪をリボンでまとめた美少女が、俺を抱き枕よろしく抱きしめて眠っている。


「すーすー」


 窓から差し込む光に眩い白い腕を、俺の腰にまわして眠る姿に、俺はないはずの父性のようなものを感じながら微笑んだ。いや、待て。記憶にないだけで妻も子どももいたらどうしよう。俺の子どもがこの様子を見たら、さぞかしショックを受けるんじゃないだろうか。


 パパ……わたしのパパなのに……って。


「それはいかん!」


 ドスンッ。


 勢いよく、ベッドから起き上がると、エリスが床に落ちてしまった。


 ・・・


 開店前の酒場で朝食をとる。常識の範囲内なら、タダで食べて行っていいという主人の好意だ。味については置いておいて、人間ってなんて温かいんだろう。


「俺、旅に出ないで、ここの子になりたい」

 思わず口について出た言葉に、エリスはパンを頬張りながら、にらんでくる。

「なんだよ」

「……」

「言っとくけど、床に頭を打ったのは自業自得だからな? エリスにはエリスのベッドがあったんだから、そっちで大人しく寝てればよかったんだからな?」

「……」

「な、なんだよ」

「……」


 丸くて大きな深いあい色の瞳が、じとっと俺を睨みつけている。


「……」

「わかったよ! ごめんなさい!」

 沈黙に耐えられずに俺はテーブルに両手をついて謝る。

「分かればよい」

 無表情なのに、全面的に偉そうな顔でエリスが言う。


「ところで、これからの旅についてだが」

「一緒に行くことはもう決定事項なんだな」

「他に用事があるのか?」

「ないけど……」

「その呪いを解きたいだろう?」

「え、解けるの?」

「無論だ。不可能はない。掛けた相手を探し出せばよいのだ」

「記憶ないのにどうやって探せっていうんだよ」

「一番簡単な方法は、記憶が戻るまで待つか」

「待つか?」

「お主を知っている人物を探せばよい」

「っかあ……」


 俺はうなだれる。


「俺を知ってるやつって言ったって、世界は広いんだろ?」

「まあ聞け。お主の服装は特徴的だ。それに折れたその剣も、実戦では役に立たぬが、装飾は珍しい。それも手がかりとして訪ね歩いてみれば、お主を知る人物にあたるかもしれぬぞ?」

「おお」


 思った以上に、エリスが考えていて感動した。


「そこで、今日はこれから冒険者協会に行く」

「冒険者協会ぃ?」

「これくらいの規模の町であれば、派遣されている協会員があるはずだ」

「そいつに会ってどうするんだよ」

「ふっ。これだから素人は困るのだ」

「記憶喪失舐めんな」


 エリスは俺の言葉に答えずに、ずいっと顔を近づけて来た。朝食の並んだテーブルに両手をつけて、椅子の上に膝立ちになっている。リーチが短いからなのか若干手がプルプルしているようにも見える。


「よいか、お主は無一文だ。昨日も皿洗いをしなければならなかった」

「おい待て。無一文なのはエリスも一緒だろうが。あと言わせてもらうが、昨日の飲み食いは八割以上、エリスだからな?」

「だが、町に立ち寄るたびに皿洗いしている場合ではない」

「いっそ気持ちがいい流しっぷりだな」


 俺は椅子にもたれかかって、テーブルに立て掛けている剣に目を遣る。鉄製のしっかりとした柄に見事な装飾のなされた棒鍔、そして折れた剣身――か。


「確かに、金は必要だな。こんな武器じゃ戦うことすらできない」

「まさしく」

「それで、その冒険者協会ってのが金をくれるのか?」

「冒険者協会というのは、このエンティア建国王アルトリジオス1世が生み出した冒険者制度を組織化したもの、らしく。各地に支部を置き、近隣住民の依頼お願いを集めている、という。冒険者登録した人間がそれを叶えることで報酬を得られるようにしたものだ、そうだ」

 エンティア王国、俺は聞きなれない国の名前を口の中で繰り返す。どうやらそれが今俺がいる場所のようだ。エリスは真剣な顔で続ける。


「これが美味しい仕事らしい」

って……おいおい。さっきから伝聞情報ばかりじゃないか」

「私は冒険者ではない。冒険者になるには、ある一定の条件を揃えねばならぬ……年齢とか、身長とかな」

「今のエリスじゃあ――」


 ぶかぶかの白いブラウスに、平坦にならされたようなストンとした身体を包むドレッシーな臙脂えんじ色のドレスに、同色のニーハイブーツ。今は酒場のドアの半分くらいしか身長がない。そのお陰で、菫色の髪は腰くらいまでの長さになっていて、ちびっ子感を助長している。


「無理だなあ」


 ちょっとしたお使いを頼んでも、心配で逆について行きそうだ。それではなんのための依頼なのか訳が分からない。エリスは神妙な面持ちで頷く。


「分かればよい」

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