第3話 塩漬けの豚肉にフォークを

 街道をしばらく疾走していた俺たち――正確にはエリスを抱えた俺――は、やがて町にたどり着いた。途中でモンスターに遭遇しなかったのは幸運だった。


 海岸沿いの港町バルクリは、王都へ向かう船が補給で立ち寄るため、それなりに栄えている。そう説明してくれたエリスは今、肉を頬張っている。

「ちゅまひ、ほほへは」

「口に物が入ってる状態でしゃべるんじゃありません」

「んぐんぐ。ごくん」

 麦酒エールで流したエリスは、コトン、と空になった陶器のジョッキをテーブルに置く。はあ、と満足したように息を吐いてから話を続ける。

「つまり、ここでは路銀を稼げるということだ」

「路銀って……いや、そもそも」

「どうした」


 そもそも――


「なんで、さも当然のようにエリスは一緒に旅するんだ?」


 そもそも――


「エリスが姿が変わったのは何でなんだ?」


 そもそも――


「俺は一体誰なんだ!? ついでに、お前も!」


 なんだか、そもそもの質問を口にするたびに、いろんなことが不安になってきて俺は声が大きくなっていく。


 ダンッ!!


 エリスは無言で、煮込まれた塩漬けの豚肉にフォークを勢いよく突き刺す。


「お前ではない」

「……エリスなんだろ」

「さよう。先刻、お主に教えた通り――私は賢者エリス=レンデル」

 エリスはフォークを刺したまま、指を俺に向けていく。

「お主の名は――」


 ゴクリッ。


「知らん」

 ガクッ。俺は思わず力が抜けてしまい、首が頭上から巨大なハンマーで殴られたような勢いで落ちる。エリスは気にした様子もなく続ける。


「そもそもお主とは初対面だ」

「なんだって? 俺のこと知ってるような口ぶりだったじゃないか」

「さてな。私はただ旅をしている途中立ち寄った海岸で、倒れていたお主を介抱してやっただけだ。脳震盪のうしんとうを起こしているようであったから、そこに湧いていたスライムを魔法で冷やして縛ってお主の頭に置いてやってな」


 クッ、とフォークを持っていない方の手を握ってみせながら、エリスは言う。


「お主が掴んで投げ飛ばした瞬間に捕縛バインドの魔法は解けたようだがな」

 そう言ってエリスは握った手を開いてヒラヒラとさせる。


「次に、この姿についてだが、幼子の姿になる呪いを掛けられている。簡単に言えば『若返りの呪い』だ」

 エリスは、どうだと言わんばかりに腕を広げて見せた。臙脂えんじ色のドレスに包まれた身体はそれでもとても小さい。ついでに言えば、かなり細い。こんだけ食って飲んで、どこにいってるんだ。


「ふんふん? じゃあ、さっきの姿が本当のエリスなのか?」

「さよう。幼子の身体では、マナと呼ばれる魔力を微量しか溜めることができぬ」

「ふんふん?」

「魔法と魔力の関係も忘れているような顔だな」

「イケメンってことか?」

「生物というのは身体に魔力を溜めて、それを魔法に変換することで万物の法則を強化したり弱化することができる。もともとある物質を変化させられるということだ。魔力を変換する時に、姿だけ本来の自分に戻ることができるが、使い切ると元の呪われし幼子の姿に戻る――ということだ」

「うん、なるほど。わかった」


 全然分からん。


「まあ、理解する必要もなかろう」

 エリスはすみれ色の髪に指を通して、後ろに流す。

「最後に、お主についていく理由は三つ。賢者ザ・ワイズだと言った私の言葉を信じてくれたこと。そして、お主に掛かった呪いが興味深いからだ」


 さっき、『魔法の創始者で、史上最も偉大なる魔法使いである』とか大ボラ吹きやがってって思ったことは黙っておこう。


「俺に掛けられた呪いってなんなんだ?」

「分からぬ」

「なんでだよ。興味深いって言ったじゃないか」

「分からぬから興味深いのだ」

「は?」

「ちょっと待て」


 エリスは豚肉を口に運んで、再びエールで流し込む。よく食べる子どもだ。


「ふぅ……つまり、強い呪いを掛けてまでのか。それを掛けた者は今どこにいるのか、ということが単純に気になるということだ」

「はあ」

「ここで会ったのも何かの縁だ。記憶が戻るのが先か、呪いを解くのが先か。それを見届けるために共に行動しても不都合はあるまい。それどころか私という水先案内人が必要なのではないか?」

「まあ、記憶ないからなあ」


 正直、テーブルに並んでいる料理にも、懐かしさすら感じない。豚肉とかそういうのは分かるが。慣れ親しんだ味という感じもない。エリスが美味しそうに食べているのがちょっと羨ましいくらいだ。


「そういえば、三つ目は?」

「んぐんぐう?」

「口に物を入れながらしゃべるんじゃありません」

「んぐぐう」


 こいつは本当に、どれだけ食うんだ? 追加注文ばかりしてるけれど。


「ぷはあ。美味い。最近、木の実や道草ばかりんでいたから、こういう人様の料理というのは殊更格別だ」

「お前……貧しい食生活してんだな」

 思わず、お前と言ってしまうが、エリスはただ頷いただけだった。


「貧しい。その通りだ。それが三つ目の理由だ」

「んあ?」

「皿洗いをするにしても、ふたりの方が早く終わるだろう?」

「んあ?」


 俺たちの会話が聞こえていたのか、カウンター越しに酒場の店主がフライパン片手にこちらを睨んでいる。


 そして、俺は目を覚ましたその日に、美少女と一緒に皿洗いをして、酒場の飲食代を許してもらうことになったのだが――


 エリスが食い過ぎたせいで、許してもらえるまで丸一日掛かったのだった。

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