第52話 〜お兄ちゃんは恐怖するようです〜

 ちなみに俺が隠れているこの建物は、ロキに教えてもらった空き家の一つだ。

 この街は確かに賑わいがある。……しかし一方では、貧困や親の病死などによる孤児や、どこの世界にでもいるチンピラなど、よく聞く裏の一面もあるとの事。

 特に孤児たちは、互いに身を寄せあって生きている。その孤児たちからの空き家や隠れ家の情報を、ロキは入手していたらしい。

 そして数ある空き家の中で、いくつかピックアップしてもらった。

 その中で、何故この空き家なのか。ロキのおすすめの一番の理由は、『逃げ道の多さ』だ。


 俺が隠れているこの空き家は、それほど広くない。8~10畳ほどの、一人暮らしには十分なくらいの広さ程度だろう。……まぁ、そういう俺は生まれてこのかた実家暮らしなので、一人暮らしに必要な部屋の広さが如何程なのかは知らんけど。


 なんて、話を脱線してる場合ではない。何故ここか? 簡潔に話そう。この空き家の特徴は……。例えば入口である表が潰されたとしても、窓がさらに裏の路地に繋がっているため、そこから逃げられる。さらに隣も空き家らしく、勝手に住み着いた孤児やチンピラたちが、もしもの時に隣の空き家へ逃げられるよう、小さな隠し扉を作って家を改築したとのこと。

 孤児……特にチンピラが隣の家に逃げるなど、きっと宜しくない理由だろうが……。今はそれがとても助かる道の一つなのだから、とにかく感謝だ。


 俺は昨日セージに渡されてから、返しそびれていた懐中時計を見る。何だかんだで大見得を切ってから、7分ほど経過していた。


「このまま上手く逃げのびられれば、万々歳なんだがな……」


 8……。短いようで、とてつもなく長い時間。


(とにかく今は、生き延びることだけを考えねーと……)


 決意した顔で、左手を強く握る。妹のためにも、伊織のためにも。俺はこんなところで、死ぬわけにはいかない。


「しかし、まぁ……。さっきから……と言うより、あの道化師ヤローと魔獣たちを撒いてから、やけに静かだが……」


(逆にそれが怖いというか、なんと言うか……)


 妙な違和感を感じながらも、未だに見つかっていないことに対して、内心どこかホッとする。

 テーブルに寄りかかりつつも、警戒だけは怠らない。

 再び時間を確認しようと、時計に手を伸ばそうとしたその瞬間――――――!!




「……っ!?」




 突然、背筋がゾワッとするような悪寒が、俺を襲った――――――!!


 鳥肌が立ち、冷や汗が全身から溢れ出す。嗚咽を我慢して、慌てて両手で口を塞ぐ。できるだけ、呼吸をする際の音も立てないように。「ダメだ、絶対に音を立ててはダメだ」。そう、本能が告げている。

 俺は警戒心を強める。『ドクン、ドクン』と脈打つ、自分の心臓の音ですら、いっそうのこと止めてしまいたいとさえ思う。




 ――――――バキッ! ドガッ!!




 遠くから、何かが壊れる音がする。……いや、がする。


 呼吸音を、音を。できるだけ立てないようにしながら、耳を澄ます。だが【】による、今まで感じたことの無い恐怖によって早まった脈が、心音が……鼓膜を塞ぐように、邪魔をする。


(ヤバい、ヤバいヤバいヤバい……!)


 何がヤバいのか、頭ではよく分からない。底知れぬ恐怖が、ねっとりと俺の全身へと纏わりつき、緊張で体が硬直する。

 音が徐々に近づいてくる。それと同時に、俺の頭の中では警鐘が五月蝿いくらいに鳴り響く。




(早く逃げねーと……! でも今音を立てたら……見つかる!!)




 頭の中に思い浮かぶのは「見つかれば死ぬ」。その言葉だけだった。

 さらに音が徐々に近づき、必死に息を殺そうとすればするほど、隙間から漏れる息が荒くなる。




 ――――――……ゴキッ! グシャッ!!




(どうする!? あの音がここに来るまで、あとどれくらいだ……!?)


 3軒? いや、2軒か……!?


 破壊音がする度に、「ヒュー、ヒュー」と過呼吸寸前の呼吸をしながら、俺はテーブル越しから入口を見る。


(次だ……次がこの空き家だ! 道化師アイツが来る……!!)


 隣から破壊音が止んだと思えば、足音らしき音が聞こえてくる。俺は奥歯を噛み締めながら、震える体と恐怖心を押し殺す。破壊音から察するに、隠れてやり過ごすのはまず無理だ。


(なら選択肢は一つ……、逃げるのみだ……!)


 俺はいつでも逃げられるよう、身構える。




 ――――――カツン……、コツン……。




 入口の扉の前で、足音が止まる。

 俺はゴクリと、唾を飲み込む。


(来るなら来い……! 全力で逃げてやる……!!)


 暗い部屋の隅で隙を見逃さぬよう、睨みつけるように扉を見ていれば、『ギィィィィ……』と音を立てて、ゆっくりと開いていく。


 俺はせめてもの抵抗を試みようと、テーブルの脚に手をかける。


 扉が完全に開ききる。グッと力を込めて、その時を待つ――――――!




 ……だが俺の予想に反して、開ききった扉の先には……人影など、存在していなかった。それどころか、人の気配すらなかった。

 それでもと思い、俺はそのまま警戒を緩めない。……しかし、永遠とも思えるほどの静寂な空気に包まれたこの部屋の時間がいくら過ぎても、一向に誰かが入ってくる気配はなかった。




「……へ?」




 思わず間抜けな声が出る。気づけば先程の恐怖も嘘のようになくなり、緊張で張っていた体の筋肉と気力が一気に抜ける。


「は、はは……。俺の勘違い……?」


 乾いた笑いを漏らしながら、俺は念の為に暗い部屋を見渡す。


(全ては作戦の緊張からの、俺の幻聴……全て幻か……?)


 何はともあれ、危機は脱した。

 そう思って、俺はテーブルに寄りかかる。気持ちを切り替えようと、肺の空気を全て入れ替えるように、全ての息を吐き出す。


(いつの間にか、気を張りつめすぎてたのか……。気をつけねーとな……)


 気を張りつめること自体は、決して悪くないことだ。しかし、ここまで張りつめていては、逆に悪い考えで自分自身を追い込んでしまう。今俺は、そのことを学んだ。


 そしてゆっくりと息を吸い込みながら、天井を見上げ――――――思わず息が止まる。






 暗闇に血のように赤く光る、二つの月と目が合った。






 ……いや、正確には覗き込むように、俺の目と鼻の先まで上半身を屈めた、真っ赤に充血しては大きく見開かれた双方の瞳。

 そして狂気に満ちた顔で、両の口角をこれでもかと引き上げ、無駄に歯並びのいい白い歯を見せて【それ】は笑う。




「見ぃ〜つけタァ……☆」




 突然の事で、思考が停止する。それとは正反対に、これでもかと俺の両目は、大きく開く。


「ひっ……!!」


 やっとの思いで追いついた思考が、思わず悲鳴を上げそうになったところで、首を強く掴まれる。

 そのまま道化師によって、俺の体を軽々と頭上まで持ち上げられる。


「随分と探しマシタよ? 見つかって、本当に良かったデス♪」

「あ……っ、がっ……!」

「おやおや〜? 先程の威勢はどうされたのデス? ……ほら、もう一度言ってみて下さいヨ?」


 息が出来ずに、苦しくて。俺は首を掴む手をどうにか外そうと、必死に手や腕を引っ掻く。さらに足をバタつかせて蹴ったりと、俺なりの抵抗を試みる。……が、そんな抵抗も虚しく、一方の道化師はビクともしない。それどころか掴む手に、どんどん力が込められていく。


「かっ、は……っ!」

「あぁ、スミマセン。首が絞まっていて、上手く喋れないのデスネ。ワタシとしたことが……うっかりデス☆」


 そう言いつつも、道化師は力を緩める気配は全くない。




「それでは、じっくりと、ゆっくりと……死んでくだサイ☆ ネ♪」

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