第39話 〜お兄ちゃんはやっぱり怒ってたようです〜

 辺りに響き渡る俺の右手と、ロキの左頬が織り成す平手打ちの音。


 一瞬、時が止まったかのように静寂に包まれた。

 我に返ったセージが、真っ青になって「ロキ……!?」と駆け寄ろうとしたのを、妹が全力で制した。


「ダメダメダメ! 今行ったら、セージさんも巻き込まれるから……!」


 叩かれた事で、呆気に取られ自身の左頬を軽く抑えたロキが、何が起きたのかを理解したのか……すぐにキッと俺を睨みつける。


「何すんだテメェー! 僕は……」


 口答えをするロキに、俺は無言でそのまま右手の甲で、右の頬も叩いた。つまり往復ビンタだ。


「……〜っ! 二度もぶったな!?」

「『親父にもぶたれたことないのに』ってか!? だったらもう二、三発殴ってやろうか!?」


 俺は某艦長代理のごとく両手を広げ、背後の二人に向かって言いふらす……までは流石にいかない。が、ロキの胸ぐらを掴んで、眼前に引き寄せる。


「理由はどうあれ、ウチの妹を突き落としといて謝罪の一つもないのか? テメーの親の教育がどうこうとまでは言わねーが……、クソみてーに甘ったれた根性だな」

「なっ……」


 両目を大きく開けたロキは、何か言いたそうな顔をした。が、ぐっと下唇を噛んで耐える。そのロキの姿に、少し違和感を抱いた。だが無言で「逸らしてなるものか」と言うように、瞬きもせずに俺を睨むことをやめず、乾燥したのか感情によるものなのか……その瞳が少し潤んでいる。

 俺も負けじと、身長差によりやや見下ろすように睨んではいたが……。そろそろ目が疲れてきたのと乾燥してきたので、小さくため息をついて少し瞼を閉じてから、ロキの胸ぐらから手を離して立ち上がる。


「……まぁ、まだまだ色々と言いたいことはあるが……。状況も状況だし、今回は許す」


 チラッと後ろを見れば、じっと見守っていた二人が、ほっとしたように胸を撫で下ろす。俺もそこまで鬼じゃないからな。

 だが、これだけは言っておきたいと思い、再びしゃがみこんでロキと目線を合わせる。


「……次は沈めるぞ?」


 少し脅し気味に低めの声でそう言うと、後ろから「ひぇっ……」と小さく悲鳴が聞こえた。ちょっといつもより低めの声で言っただけだが、なぜだか悲鳴が聞こえる。

 まぁいい、俺は踵を返して妹の目の前に立つ。身長が俺の方があるという理由もあるが、二人ともどこか上目遣いで見てくる。何だよ、別に俺の人相が元々悪いとか……怒りで目付きが普段の倍以上悪くなってるとか、そういう訳でもあるまいし……無いよな?


「妹よ、コレはついでだ」

「へ……?」


 俺は中指を丸め手は力を込め、親指でそれを抑える。


「受け取れ」


 そう言って俺は妹の、前髪を上げてるが為に丸出しになっているデコ目掛けて、中指で『ピーン!!』と弾いた。……正確な音は『バチーン!!』と、鈍い音だったが気にするな。


「あぁぁぁぁぁぁぁああっ! いぃいっだい! ……〜っっつ! いだ、いっ……あ、痛っ!!」


 額を押さえて膝から崩れ落ち、ブリッチするように後ろに反り返る。そして腕ではなく頭で支え……。なんて見事な、グリーヴァーサナだ。


「クっっっっっっソ痛い!!」

「妹よ……仮にも。一応。性別上。女の子が、『クソ』とか言うんじゃありません」

「喧嘩売ってる? 喧嘩売ってるのかな!? めっちゃ首もげるかと思ったわ!!」


 一度足を上げた勢いで立ち上がった妹が、額を抑えながら俺に指をさす。


「失礼な! この兄を化け物みたいな扱い! ……兄は世界一優しいから、加減したぞ!?」

「本当に優しい人は、自分で優しいとは言わない……! と言うか! 日々様々なゲーム……特にシューティングゲームと、格闘ゲームで鍛えている自分の指の威力を、少しは自覚しようよ!? 殺傷能力で言えば、世間一般の! 普通の人よりも、何倍もあるからね!?」

「何だよ、人よりやってるだけじゃねーか」

じゃないよ! 知ってるんだからね! 一時期大会目指して、『よりアケステを使いこなすために……』と称して友達巻き込んで筋トレしてたの!!」

「なんで知ってんだよ!!」


 確かに一時期ゲーセンに通っては、リア友相手に格闘ゲームの練習したり、運動部のヤツら相手に腕相撲やらなんやらやって、握力を鍛えてた時期もあった。


「しかもリアル視聴しながら動画にコメ打ちのタイピングのし過ぎで、軽い腱鞘炎なりかけても止めずにやってたら、力加減間違えて、勢い余って学校のキーボードを壊しかけたのも知ってるんだからね!!」

「だから、なんで知ってんだよ!?」

「ヒナちゃんの情報網、舐めたらアカン!」


 怖っ! 妹怖っ! ……そりゃあゲームとタイピングのやり過ぎて腱鞘炎の時に、いつもの感覚で課題してた時に痛さで加減が鈍ってたのと、ついついアケステのボタンを押す勢いで打ち込んだら学校のキーボードのキーが戻らなくなった時はちょっと焦ったよ……。しかもキーが戻らないから延々と打ち込まれるアルファベットによって、上書きしたところからやり直し……。でもそんなの、隣で見てた吉田と齋藤しか……。


「吉田か!!」


 吉田。小学校でクラスが一緒になったことがきっかけで、時々連絡する付き合いのある学生時代からの友達。どちらかと言えば秘密は守る方だが、極たまに口が軽い奴だった。何度か家に遊びに来ており、妹とも面識がある。あとなんか、人見知りの妹が割と早めに懐いてた。当時のお兄ちゃんは、なんで懐いたのか、その辺詳しく知りたかった。


「よっちゃん、最近宝くじ当たったって喜んでたよ」

「何それ、俺知らないんだけど? ってか何で俺より、吉田の近状報告知ってんの?」

「ライスタで言ってたよ、三百円」

「俺、多分その垢知らないよな!? しかも三百円かよ!」

「何をっ!? 三百円だって、立派な当たりくじじゃないか! 奮発して、お菓子くれたんだからね!!」


 何で引きこもってる妹が、俺の知らないところで学生時代のダチと会って、お菓子もらってるんだ……。意味がわからないぞ?


「アイツ、子供とか好きだったからな……」

「あ、あの……ヤヒロさん……」


 妹によるカミングアウトで、若干ガラスのハートが傷つきながらも、吉田との思い出話に花を咲かせていると。セージがツンツンと、俺の肘を突っつきながら、おずおずと話しかける。


「あぁ、すまんセージ。つい吉田のことで盛り上がってた」

「ヨシダ様……? のことはよく分かりませんが……あの、そろそろロキを、してあげては貰えないでしょうか……?」

「『』……?」


 セージは、眉毛を八の字に上げながら頷く。


「はい……その、ロキの足が……」

「足……?」


 セージの指さす方を見る。すれば、そこには正座した状態で、膝の上で拳を強く握り、小刻みに振るえながら俯くロキの姿があった。


「え? どうしたんだ?」

「どうやら慣れない体制で、足が痺れたみたいで……」

「別に……っ、痺れてなんか……ねぇー、っし……!!」

「いや、めっちゃ痺れてるっしょ? 顔チョー真っ赤じゃん、ロキロキ」

「うっ、るせぇ、バカヒナ…!!」


 おっ、虚勢を張れるくらいには、まだ元気そうだ。

 しかし、それでも正座を止めないロキは、真面目というか律儀というか……。俺は半ば呆れ気味に、ため息をつく。


「痺れたんなら、足を崩せばいいだろに……」

「ずっと崩せねぇーんだよ……!!」


「何で?」と首をかしげながら、妹共々セージを見る。セージは少し困り気味に微笑むと「多分なんですけど……」と、前置きして理由を述べる。


「先程ヤヒロさんがロキに《言霊の加護》を使った事によって、ロキがヤヒロさんののだと思います……」

「俺そんなことしてたか?」


 確認するように妹を見れば、真顔で「知らんぬ」と言って首を振られた。だよな、その反応、知ってた。


「えっと、詳しいことは後ほどご説明します。とりあえず今は、ロキに向かって『』と言ってください……。お願いします……!」


 両手を合わせて、セージに懇願される。その目が捨てられた子犬のようで、さすがに「ノー」とは言えなかった……。


「分かった……ロキ、『言霊を解く』。……これでいいか?」


 俺がそう発すると、ロキは操り人形の糸が切れたように、勢いよく前のめりに倒れた。


「あ……足が……」

「大丈夫〜、ロキロキ〜」


 妹がここぞとばかりに、ニヤリと悪人面しながら、容赦なくロキの足を突っつく。お前は鬼か。


「〜〜〜っ!! 止めろ、アホヒナ……! お前、後で覚えてろよ……!!」


 こめかみにうっすらと血管を浮き出させたロキは、忌々しいとばかりに妹を睨みつける。一方の妹はと言えば、手の甲を頬にくっつけては高笑いしている。やっぱり鬼だな、コイツ。

 正直、この調子に乗った妹へのロキの気持ちもわからなくもないので、今なら一発どついても見逃してやってもいいとさえ思う。


「おい、ヒナ。その辺にしておけ……いい加減にしないと、今度は左手で二発目をお見舞いしてやろうか?」


 俺はそう言って、左手の中指を親指にくっつけて、数回軽く空振りさせる素振りをする。中指は『ヒュン! ヒュン!』と、空気を切る音を立てる。

 そうすれば、額を隠して「左はマジ勘弁……!!」と、ロキを労るセージの後ろに隠れた。


「……はぁ、とりあえず万が一のことを考えて。行き違いにならないために、避難場所を探してもらってる伊織と合流するぞ」


 俺は深いため息をつきながら、途中から意味のわからなくなったこの茶番劇に終止符を打とうとした。


「そだね。正直、この茶番も飽きたし」

「茶番の自覚あったのかよ……」


 呆れ混じりに妹を横目で見れば、素知らぬ顔してセージと共にいまだに足の痺れが取れていないロキに肩を貸す。


「こっんんの兄妹……本当に、後で覚えてろよ……!!」

「人生とは、時には忘れることも大事だぜ!」

「そーだよ、過去ばかり振り返ってはダメさ!」


 ロキの恨み節に俺達はグッと親指を立てて、キメ顔を決める。ロキはキリキリと歯を噛み締めながら「このクソ兄妹……!!」と叫び、セージが落ち着くようになだめ、俺は苦笑混じりに頬を弛めた。


 そんな和やかな空気に、気が緩んでいた。


『サクッ』……っと、地面に『』が刺さる音がした。




「楽しそうで、ナ〜ニより……デス、ね☆」




 振り返ろうとした時……、【それ】は歪な笑みを浮かべて現れた。

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