第30話 〜妹ちゃんは交渉するようです〜

「……もう一度だけ聞くぞ。お前は一体、何者だ……?」




 先程の笑い声とは打って変わって、ロキの冷たく低い声が、春の夜風に静かに響く。

 陽菜子は口元に笑みこそ浮かべているが、その目元はどこか冷たく笑ってなどいなかった。


「お? ビンゴですか?」

「茶化すな。正直に答えろ」


 陽菜子は「え〜?」と不満そうな顔をするが、ロキの獲物を逃すまいと睨みつけるその視線に、陽菜子は『諦めた』というような仕草をし、直ぐに真剣な表情を見せる。


「いや〜、さっきからずっと気になってたんですよねぇ。『』……って。あんだけ騒いでるのに。それに、さっきココに来る前に、ドジってコケちゃったんですよ〜。結構大きい音立てちゃって、社畜で日々疲れてるヒロくんはまだしも、ウチらの中で起きなかったんですよ……。最初は何か仕込まれたのかと思いましたけど、よく良く考えれば何も食べてないし、お香とかを焚いた覚えもない。それに、ココは魔法の存在する世界。なら『広範囲の』? ……ってね」


 ロキはそっと、ズボンの裾に手を伸ばす。それに気づいたのか、陽菜子は「ちょっと待った待った」とロキの行動を制止する。


「別にロキさんとやり合おうとか、そういうのは一切ないんで。……実際さっきも言った通り『この世界の仕組みを理解していない』から、後ろ盾の御家とか人脈とか手に入れても全く分からないし、そもそも興味もないです。……ぶっちゃけた話、そういうしがらみとか、かえって邪魔なだけだから、むしろ関わりたくないのが本音です。……あぁ! 言っときますけど、だからと言ってお金目的でもないですよ! 本当に後でお返しできるように、ちゃんとさっきみたいにメモしてます」

「………………」

「あ、その顔! 信じていませんね!? 返済の仕方はギルドとかがあれば登録したり、日雇いバイトとかして少しずつ稼いだりしたいなーって、考えていますよ!」


 ロキは、見定めるように陽菜子を睨む。一方の陽菜子は、ただただ静かに笑って、両手の平をロキに向けて上げている。



 ――――――コイツは一体、何を考えてる……?――――――



 陽菜子の言葉や行動には、一切の嘘偽りはない。つまり本心なのだろう。しかし、それがかえってロキの疑心をかりたたせる。その理由に、ロキ自身が今まで『』からだ。


 ……いや、正確には


「……で? お前の要求は?」

「ふむ……。逆に警戒されちゃいましたか……。いや〜、困った困った〜」


 全く困ったという様子ではないが、大袈裟に困ったような素振りをする。そして片方の口角をニッと上げては、三本。指を立ててロキの方へと突き出した。


「それではこうしましょう。私の方からは三つ! 要求したいと思います!!」

「……いいだろ、言ってみろ」


 陽菜子はニッコリ笑うと「では……」と、指を一本立てて表情から笑みを消す。


「まず一つ目。してください」


 陽菜子はロキを睨みつける。


「私、こう見えて結構怒ってるんですよ。……別にですけど……。、私は大変腹が立っています」


 その表情は先程の陽菜子とは違って、冷たく鋭い視線だ。


「……もし、僕が断ったら?」


 ロキの問いに陽菜子は瞼を閉じる……。そして静かに


「…………!?」


 その笑顔にはどこか不気味さがあり、そして――――――。


「そうですね〜……私がロキさんに抱きついて屋根の上ココから一緒に飛び降りましょう♪」


 陽菜子は、屋根から地面を見下ろすように覗き込む。


「いやぁ、高いですね〜。ここから転落したら即死ですかね? あ、けど打ちどころが悪いと、中々死ねないって聞くし……。でも二人で心中すれば、きっと怖くないですよね♪」


 どこか楽しげに話す陽菜子に、ロキの瞳が大きく開く。


「なに……、言ってるんだ……?」

「何って、ロキさんに断られた時の話ですよ〜。あ、でもロキさんを道連れにしたら、ロキさんとになっちゃいますね」


 ロキの表情が、ピクリと動く。陽菜子は歪な笑みを浮かべると、「だって〜」と続ける。


、私には出来ませんもん」


 そう言って屋根のギリギリ先まで立つと、月を背にするように両手を軽く広げる。


「なのでロキさんに断られたら、

「は……?」


 唖然とするロキを他所に、陽菜子は清々しいほどに笑う。その顔には、陽菜子の言葉の歪さも狂気も……。全く感じさせない程の笑顔。


「そ、んな脅しに、僕は動じないぞ……?」


 ゴクリと唾を飲み込む。そんな音が響きそうだった。


「そうですか……。残念です……」


 困り顔で頬を軽くかく。ロキはホッと力を抜く。



 そう言って軽く屋根を蹴って、陽菜子は自身の全体重を後ろへと傾ける。


「まっ、やめ……」


 髪がふわっと広がり、陽菜子の身体が宙に浮く。




 薄いガラス板が割れるような音が、辺り一帯に響いた。

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