第25話 熱

 事務所も秘石も構えて、いよいよ『秘石師』が旗揚げしたのはいいが、いきなり仕事過多キャパオーバーになった。秘石に関する全ての仕事がこちらに回ってきたのだが、それは秘石を直すだけに留まらなかった。


 祈祷による秘石の変更は多岐に渡る。転職や結婚した際の名前の移動。昇進による役職の更新。一身上の都合による休職や停職。高齢による長の引き継ぎなどなど……。


 市役所か!ここは!


 その全てが秘石師に集中し、1000件を越える祈祷書が送られて来たときは卒倒しそうになった。モニカと内容を分けて各地を奔走していたが、4日目で現実的じゃない事に気付く。


 祈祷を行う教会は各所にあり、聖職者の数も100人以上もいるのに、対してこちらは事務所一つ従業員は2人なのだ。こんな無茶な仕事量をこなしていたら、パンクするに決まっている。ブラック企業を通り越して、ブラックホール企業になっていた。


 6日目の昼に教会と話し合いに向かっていたモニカが事務所に戻ってきた。大雨で濡れた雨合羽を脱いで二階にいる直人に報告をしに行く。


「ナオト、教会との話し合いがつきました。名前の移動や役職の更新などは従来のやり方で良くなりました」


「ありがとう。機能が生きてるならやっぱり、あっちが行った方がいい案件もあるからな……っつ」


 後で知ったのだが、祈祷による名前の移動はそれ用の『プログラム』がちゃんと組まれていた。そうだよな。今まで、誰がプログラムの管理をしていたかは知らないが、そういうシステムを作っとかなきゃ、やってらないよな。少し考えれば分かる事だった。


「取り敢えず、っつ……ふぅ、俺達は秘石の修復……だけを、引き受けよう」


「ナオト、どうしました…?」


 直人の言葉が途切れたり、息が荒いことに気付いたモニカ。額に手を当てて項垂れている直人の顔を覗くと、瞼が落ち目も虚ろだった。モニカが直人の背中に手を当てるとひどく熱いことに驚く。


「ナオト!すごい熱です!何かの病気かも……」


「ああ……やっぱ風邪なのかな……んっんん、喉も痛かったんだけど……平気かと思って」


 微熱じゃ会社を休めないなんて社蓄時代の悪習が残っていた。モニカは杖を出して『調サーチべる』の魔術を使おうとしたが、自分はもう『市井魔術師』じゃないことを思い出した。

 とにかく、直人を寝室へ連れていき服を脱がせてベッドに横たわらせた。『番号ダイヤル』で市井魔術師に連絡を取り、直人の容態を診てもらう。


ヒートにかかっているようです。市井魔術師の方に『解熱』の魔術をかけて貰いましたから、食べてよく寝てください」


 直人は静かに頷いて眠りについた。モニカに食事を食べさせてもらい、本当に葉っぱの味しかしない薬草を飲んだ。それでも何時間も熱にうかされ、汗をかいた体が気持ち悪かった。モニカがお湯を沸かして布を濡らして絞った。汗ではり付いた服を脱がせて上半身を丁寧に拭いていく。


「ナオト。下も脱がせますよ」


 直人の返事はない。モニカは少し躊躇ったが、湿ったままでは気分が悪いだろうから、下着を脱がせて布で体を拭いていった。寝巻きに着替えさせて、一息つくと、直人が寝言を言っていた。


「ず…………い」


「ナオト……?」


「……にいさん、ばっかり……ずるい。俺にも何か買ってよ……」


 直人の目尻から涙が溢れた。モニカが彼の頬を手で拭いていると、直人が目を覚ます。


「ナオト……、具合はどうですか?」


「うん、……だいぶ良くなった……」


「ごめんなさい、直人。具合が悪いのに気付けなくて……」


「いいよ……俺も、無理しすぎた……」


「あ!こういうのを過重労働オーバーワークというんでしたっけ?」


 直人はくすりと微笑んだ。自分が口癖のように言っているので、覚えてしまったらしい。直人は耳の辺りが湿っているのに気付いた。


「泣いていましたよ。ずるい、何かを買ってほしいって、言っていました」


「ははっ……魘されてそんな事を…?馬鹿みてえ……」


「ナオトは何か買って欲しかったんですか?」


「別に……何かが欲しかったんじゃないよ。兄さんに嫉妬しただけだ」


 直人には兄がいる。

 凡庸な自分と違って文武両道で完璧な兄だった。学業でもスポーツでも優秀な結果を出す兄を両親はいつも褒めていた。両親は兄弟差別をしている訳ではないが、どうしても優れている方を贔屓してしまう。


 褒美を貰っている兄を見て、直人は駄々を捏ねた。いい成績を出せたら何でも買ってあげるという両親の言葉を信じて、直人も勉学を頑張ったが満点など取れる事はなかった。


 直人が何事においても諦念し始めたのはこの頃からだ。兄と張り合うことは止め、両親が自分を見てくれなくても、気にしないようにした。


 モニカに自分の家族の話をしていた。直人にとっては気分のいい話ではないので、視線を反らして終わらせる。


「ナオトは何か欲しいものはありますか?」


「え……?」


「今のナオトはすごく頑張ってます。だから、ご褒美があってもいいですよね!」


 気遣ってくれたのか、モニカは明るい提案をする。


「ん~、欲しいもの?なんだろ?」


「いい石鹸とか、清掃屋さんが使ってる掃除道具とか……」


「あっははっ、いいかもな」


 兄さんはあの時何を買ってもらってたっけ?ゲーム機だったかな。何にしてもこの世界じゃ手に入らないか。


「物じゃなくて褒めて欲しかったな。一度でいいから、俺の事も褒めてほしかった」


 直人の瞳が潤んでいるのは熱のせいではないだろう。モニカはベッドに腰掛けて直人の頭に手を伸ばす。


「ナオトはすごいですよ。とっても偉いです……」


 頭を撫でられた直人には、両親の姿が見えた。父と母が大きな手で直人の頭を撫でている。


『偉いわね、直人』

『頑張ったじゃないか』


 テストで100点を取ったら、両親にそう褒めて貰えると思っていた。そして、満面でこう答えてみたかった。


「父さん、母さん、俺……がんばったよ……」


 小さく呟きながら直人はゆっくり目を閉じる。眼球に溜まっていた涙が目尻を伝って頬へ流れていく。


 モニカの目からは涙が溢れた。『がんばったね』『よくやった』という言葉を直人は両親から言われた事なく、大人になったのだろう。それがひどく寂しく苦しかった。


 直人は何故か自分に自信がない。出会った頃から『俺なんか』という言葉を繰り返し、モニカが直人を肯定しても鈍い反応を示した。

 直人は決して怠惰な性格じゃないし、何事にも真剣に取り組む人なのに、なんでそんな彼を誰も褒めてあげなかったのだろう。


「ナオトはすごいですよ……私が何回でも、そういってあげます」


 直人の涙を手で拭う。

 もう2度と彼が悔しい涙を流さなくていいようにしてあげたかった。




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