第9話 何者か

 『flame』のスペルを刻み込んだが反応はない。次は『flame bomb』のスペルを刻むと全コードが光った。それを確認すると直人は秘石室の入り口にいる者に合図を送る。その者は訓練場にいる仲間に合図をする。彼は剣の効果を発動させて、火の塊を藁の束にぶつけて修復されている事を確認する。


「直ったぞ!」

「了解!じゃあ、次をやって休憩にするか」


 大体の属性と効果のパターンが読めてきたので、作業効率はぐんと上がった。このペースなら武器の方は今日中に終わりそうだった。槍の効果を直して一息つく。直人は黒く汚れた右手を擦り合わせた。


「手ぇ洗ってくる」

「はい!なら、私はお茶をもらって来ますね!」


 秘石室から出て、手洗い場に向かう。騎士団の中は水路が整備されている。直人は宿舎にシャワーが完備されているのを見て、感動してしまった。それくらい、小屋の中での水浴びにまいっていた。

 直人は手を洗って水気を拭いたが、爪の中に木炭の黒ずみが残ってしまい、少しイラついた。この世界では石鹸は貴重で高級な物らしい。石鹸で体を洗うのは贅沢な事で、直人も2日に一度、毛のあるところしか洗っていない。現代文明のお風呂が恋しくなってきた。お湯の張った浴槽に浸かりたかった。





 鐘の音が9回鳴った。午後の3時を示す鐘だ。この世界は朝の6時から夜の6時まで、一時間置きに教会が鐘を鳴らす。それによって時間を知るのだ。ノートルダムの鐘ってヤツなのかな。

 この時間帯は本部内の人気はなくなる。騎士達は見回りに出払っているから、静かな建物の中を歩いた。ふと、武器庫を覗いてみた直人。様々な武具が並んでいたが、隅っこの木箱に木造の剣が何本も入っているのに注目する。練習用の模造剣を手にとって、見よう見まねで剣を振るってみる。

 

 騎士の秘石を見て一つ分かったことがある。『job:"knight"』の秘石に名前を刻まれた者は、肉体にある程度の付与が施されているという事だ。筋力の増強、瞬発力、動体視力、運動能力の向上。もちろん、剣術や戦闘能力は経験して積み上げていくだろうが、秘石に名前を書くだけで、基礎能力は一気に更新される。ずるい話『騎士』の秘石に『user:"naoto"』と書けば、直人も騎士になれる。完全に職権乱用だが、いや、そもそもこれは自分の職業じゃなかった。


 そんな妄想をしながら素振りをしていると、後ろからモニカに呼び掛けられる。


「何をしているんですか?ナオト」


 直人は剣を振り下ろした状態で固まった。


「あ……いや、なんでも……」


 恥っっっっず!騎士ごっこをしていたのを見られた!完全に痛い奴じゃん!


 モニカの方を振り向けず、そっと木造の剣を戻す直人。モニカが何も言ってこないから、居たたまれない気持ちが増していった。


「い……今見たものは、忘れてくれ……」

「ナオトはもしかして、『騎士』になりたいのですか?」

「え?いや、別にそうじゃないけど……」

「では、『魔術師』になりたかったのですか?出会った時に魔術が使えるかと聞いてきましたよね」

「えっ?ああ、そうだったな」


 この世界に飛ばされた時は『何者か』になれると思った。今までとは違う、別の存在に……。


「『魔術師』でも『騎士』でも、なんでもいいから、何かになれると思った。『こんな俺』でも特別な……何かに……」


 でも、現実は違った。何もできない自分が夢を見るなんて、本当に馬鹿げている。


「どうして、直人は別の何かになろうとしているのですか?あなたは、そのままでも十分素晴らしいのに……」


 モニカの言葉に直人は桃色の瞳を持つ彼女を見た。


「え?なんで、そんな事言うんだ」

「だって!直人は秘石を直しています!あなたにしか出来ない事じゃないですか!」

「そんなの、俺がプログラマーだったからだ。俺だけが特別な訳じゃないし、こんなの『大した事』じゃない……」


 自分を卑下して目を伏せる直人。そんな直人の様子を見てモニカは直人の手を引いて、ある場所に連れていった。



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