29話 世界は愛で溢れている

「おはよう」


幸せな夏休みが終わり、専門学校がまた始まった。

そして僕が学校に登校して初めて挨拶をした男性。それが大井渉おおいわたるだ。


「おはよう」


彼は文庫本を読みながら、横に座る僕に挨拶した。


「なんだよ、その難しそうな本は?」


僕は彼の読む難しそうな題名の本を見て言った。


「どのような本か気になるのか? それを説明するのもいいが、大分長くなるぞ? それでもいいなら解説してやろう」


「いや、いいや。オレ純文学見ないし」


大井からそんな提案受けたが、僕は丁重にお断りした。

彼があらすじを説明すると、小一時間はかかる。というか、それは最早あらすじではない。ただのレビューかもしれない。


「沼倉も少しはこういう本を読め。ライト文芸ばかりだと本の面白さはわからん」


根っからの純文学バカ。それが大井渉という人物だ。

ただ僕はライト文芸、キャラ文芸バカだ。それが僕だ。

多分一生分かち合えないだろう。


「そういえば公募用の小説書いたの?」


「あぁ、もう3作品目に着手しているとこだ。来年の公募には4本送りたいからな」


大井は僕と同じゲームクリエイター科にいるクラスメイトだが、実は作家志望なのだ。

そんな大井は専門学校入る辺りから、毎年出版社が主催する文庫大賞に作品を応募している。


「ねぇ、web小説って知ってる? 大井もそこで書けばいいじゃん」


そんな僕のナイスアイディアに対し、大井は目線を本から僕に移し、呆れた様にため息をつき、本をそっと閉じた。


「僕が愛するのは本格的なミステリーだ。異世界だのファンタジーだのあまり興味はない」


「それは知ってるけど、書く分にはいいじゃん。web小説にはミステリーとかもあるよ?」


「書いたとしても需要なんてないだろ?」


「まぁ、そうなのかな」


確かに需要はないのかもしれないが、全くないわけではない。

見てくれる人は少数かもしれないが、気に入ってくれる人だっている筈だ。


「そんな事は沼倉の得意分野だろ。そんな事わざわざ説明させるなよ」


「得意分野? なんの事?」


大井は眉を寄せて顰めっ面になった。

そしてまたため息を吐いた。いちいちため息が多い奴だ。


「プログラムでは君は学園2位だ。そして僕が1位だ。でも総合力では君こそが1位だろ? 僕にはプランナーもプロデュース能力もない」


「それとさっきの話関係あるの?」


「だから沼倉ならweb小説という媒体で、異世界やラブコメ以外でそこまで数字が作れない事をわからない訳でもないだろ。やっても大して人気が出ないならやる意味なんてない」


「別に数字が全てじゃないじゃん。ランキングは自己満だよ。あんなの気にすんなよ」


「僕はやるからには気にするね。君みたいにそんな甘い考えは嫌なんだ」


大井は少し拗ねた様に顔を背けた。

相変わらず頭が硬い奴である。コイツはこんな人生で楽しいのだろうか。

僕の勝手なイメージだが、コイツはきっとこの先もモテないだろう。


「見てくれる人は全くいない訳じゃないだろ? 少数だって見てくれる人はいるさ」


「見てくれる人が少数なら公募用に書けば良いだろ。web小説はやるだけ無駄だよ。やる意味を感じない」


「公募用に書いても書籍化しなければ、それはお蔵入りだろ? ならweb小説にお蔵入りの小説でも投稿すればいいじゃん」


僕も少しムキになっていた。

web小説に大して思い入れがある訳じゃないのだが、なんとか正当化させ、屈服させたい気持ちになった。

もしかしたら僕も大井みたいに頑固一徹なのかもしれない。


「だからさっきも言ったろ。投稿しても人気が出ないなら僕はやらない。やる意味を見出せない」


多分大井は実利で動くタイプの人間なのだろう。

それならこちらも実利で釣るだけだ。


「アイドルがweb小説見ていて、大井の作品を気に入ったら付き合うチャンスあるかもしれないよ」


当然だがこのアイドルとは朝倉だ。

別に嘘ではない。だって見ているのは事実なのだから。


「君は馬鹿なのか? それとも阿呆なのか?」


「なんだその二択は。ほかに選択肢はないのか?」


「ないよ。沼倉にはこの選択肢以外存在しない」


本当に捻くれた奴である。

たまには阿呆みたいに夢を見る事も大事だ。物事実利だけで動いてもダメな時もあるのだ。

人生には夢と希望が必要なのだ。

わからないけど。


「ならコスプレイヤー の『ふゆり』ちゃんとか見てるかもよ?」


「だからなんだ。僕はそいつにまるで興味がないのだが」


「こないだコンビニで週刊誌の表紙のふゆりちゃん見てたじゃん。案外好きなんじゃないの、コスプレイヤーとか」


「たまたま目に入っただけだ。興味はない。というか、そのコスプレイヤー がweb小説見る訳ないだろ。やはり君は馬鹿だな」


世の中やってみないとわからないものなのだ。可能性が0の時なんて存在しない。

わからないけど。


「ならもし大井がweb小説始めて、コスプレイヤーと付き合ったら奢れよ。僕は銀座の寿司がいい」


「あぁ、いいだろ。約束してやるよ」


「大井にしてはやけに素直だな。どしたの? 地球でも滅びるんか?」


「安心しろ。僕がweb小説やってコスプレイヤーと付き合う時が、地球滅亡タイミングだ。つまりは沼倉が銀座の寿司を食べることは一生こないということだ。覚えておけ」


朝からそんな馬鹿な話をしてると、キヨが「おはよー」と教室に入ってきた。

キヨの説明すると、専門の友達でロリコンでアイスノンにスマホを乗っけて冷やす、そういう男だ。

とてもわかりやすい説明だったと思う。

自分で自分を褒め称えたいレベルだ。


キヨは僕の隣に座ってくるなり、急にこんな事を言ってきた。


「おい、2人ともこれ聞いてみ。マジでいいぞ、これ」


キヨはいつも使っている緑色のカジュアルなヘッドホンを渡してきた。

そして僕はそれを受け取りそっと聞いたのだった。

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