14:だから私はキスをした


 ライブハウス、楽屋内。


「遅えよ!! 新人でリハすっぽかしとか、ありえないからな!」

「いやあ、ほら、あたしって凝り性じゃん? 瑠璃ちゃん可愛いからつい……」

「涼真君……ごめん……」


 俺が声を荒げ、悪びれる様子もない姉の後ろにいるであろう瑠璃子が小さく縮こまっていた。


 そう、結局リハの時間になっても瑠璃子は現れず、開場。既にイベントはもう終盤で、俺達の出番はすぐそこまで迫っていた。


「いや、瑠璃子は悪くないよ」

「あたしも悪くない。いーじゃんリハーサルなんて。ぶっつけ本番のがカッコイイじゃん」

「アホ、俺がどんだけ頭下げまくったと思ってるんだよ。おかげで他の共演者からも白い目で見られるし!」

「ごめんなさい……」


 しょげる瑠璃子の肩を姉が抱く。


「謝らなくていいわよ瑠璃ちゃん」

「そうだ、お前が謝れ」

「あんたそんなことよりさ、何も思わないの? 何も言葉はないの?」


 俺が怒りを込めて視線を姉に送ると、姉は瑠璃子の背後へと逃げ、そして彼女の背中をドンと押した。


「あたしプロデュース。最高最強に可愛いかつかっこいいの、トップオブトップ」


 怒りに我を忘れていた俺は、そこでようやくまじまじと瑠璃子を見ることができたのだ。


 俺の目の前には――がいた。

 

 いや、そんなチンケな言葉ではとても形容できないぐらいに、瑠璃子は可愛くて美しくて、なにより、カッコ良かった。


 コンタクトにしているのか、眼鏡は外しており、髪はパーマ掛かったショートボブになっている。少し大人っぽいメイクのおかげでその目尻には色気みたいなものがあった。衣装は姉が用意したのか、ボディラインが出ている丈の短いワンピースに革の編み上げブーツと、普段の瑠璃子のふわふわした印象とはまるで違った。


「……言葉も出ないってやつだね。あんたの取り巻きの女よりも断然イケてるよ。なんだっけ、あのカリスマギャルは、ちょっとジャンルが違うからあれだけど」


 どうやら姉は美佳の事も知っているようだ。でも確かに姉の言う通りだった。


 瑠璃子は、彩那や美佳に引けを取らないぐらいに、可愛かった。


「そんなに、見られると恥ずかしいよ」

「あ、ああ……すまん」

「リハーサル、出来なかったけど……大丈夫かな?」


 本来は、リハーサルの音出しでマイクや音源のボリュームやらなんやらを調整する。本人がいなければそれも出来ないのだが……。


「大丈夫だよ。散々聴いたから、瑠璃子の歌声の音量とバランスぐらいなら俺が完璧に記憶してる。調整は問題ないと思う」


 結局リハは、俺がボーカルだと誤魔化して、音出しを行った。当然、坂井達を含め他の出演者は好奇の目で俺を見ていた。まあ、そりゃあそうだろう。野郎一人だけのボーカルなんてのは、中々いない。


 事情を察してくれた天王寺さんには一度だけ頭をはたかれただけで済んだが、本来なら出入り禁止だろう。 


 だけどさっき姉が言った通り、これはある意味、美味しい展開かもしれない。


「このライブハウスにいるやつは一部を除いて、みんな俺が歌うと思っている」

「良いねえ。そこに、瑠璃ちゃんが出ていくってことか。最高のサプライズだ」


 姉が嬉しそうに笑う。いや、そんなまるで計算通りみたいな顔をするな。


「――本番五分前です」


 スタッフさんの言葉に、俺と瑠璃子が頷いた。


「頑張ってきな。あたしは帰る」


 姉がそう言って大あくびをすると、楽屋から出ようと扉に手を掛けた。


「聴いていかないのかよ」

「きょーみなーし! じゃあ瑠璃ちゃん今度お買い物いこーねー」

「は、はい! 千絵さん、今日は、その! ありがとうございました!」


 瑠璃子のお辞儀に対し、姉は振り返ることもなく片手だけ上げると、そのまま去っていった。


「移動、お願いします」


 スタッフさんに連れられてステージの裾に移動すると、既に演奏を終えて、客席に降りていた坂井が彼のファンらしき人達と盛り上がっていた。


 客席は、もうイベントは終わったかのような雰囲気を出しているが、美佳だけは微動だにせず、ステージを待っているのが見えた。それに釣られて、取り巻きの女子達がざわざわしている。


 ステージの上に、スタッフさんによって一本のマイクだけが設置された。


 いよいよ、本番だ。


「瑠璃子、あの客席にいる全員が、きっと俺達〝ラピスラズリ〟には期待していない。下手したら坂井の指示でブーイングやら野次が飛ぶかもしれない。全員帰るかもしれない」


 俺がリハしているのを、坂井は鬼の形相で睨んでいたしね。きっと邪魔してくるに違いない。


「うん」

「だからこそだ。瑠璃子はいつも通り歌えばいい。それだけで、そんな世界をぶっ壊せる。客なんていなくたっていい」

「分かった。今度は大丈夫。ちゃんと歌える」


 スタッフの声が響く。


「本番、お願いします!」


 客席のライトが落ち、ステージが鮮やかに浮かび上がった。


 しかし、瑠璃子はステージに向かわずに俺の方へと向いた。


「涼真君」


 その瞳は、反射する光の加減か、なぜか深い青色に見えた。まるで――ラピスラズリのような、星空のような、青。

 

「ありがとう。涼真君のおかげで、ここに来れた。千絵さんのおかげで、凄く自信がついた」


 瑠璃子が顔を寄せてくる。


「大丈夫。怖くない」


 彼女は震えていた。俺も震えていた。


「だって私は――無敵だもん」


 唇に柔らかい感触を感じると同時に――瑠璃子は光の中へと歩んでいった。


 それは、後にネットを中心に若者の間で爆発的人気を誇る美少女アーティスト〝ラピスラズリ〟の――その伝説の始まりだった。

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