15:ラピスラズリ・オンステージ


「え……誰あの子?」

「知らない。めちゃくちゃ可愛い!」

「アイドル? 芸能人?」

「ネットで検索しても出ないぞ」


 客席がざわめく。スタッフの一部も、なぜ俺が出ずに女の子が出てきたのか分からず混乱するが、天王寺さんが指示し始めたので大丈夫だろう。

 

「あん? おい御堂はどうした。というかお前誰だよ」


 そう声を荒げたのは坂井だった。バカなやつだ、他の出演者のステージ中に大声出すやつがいるかよ。


「えー、御堂君いないのー?」

「ちっ、くだらねえ。とんだ茶番だよ。おーいみんな帰ろうぜ。御堂はビビって逃げたんだろ」


 坂井が大声でそう言って、周囲の客を帰らそうと扇動する。


 客達がざわざわと帰るか否か迷い、徐々に坂井を中心として出口へと向かっていた。


「どうせ、見てくれだけのだよ。俺には分かる」


 そう豪語する坂井の声が聞こえる。構わない。帰りたいやつは帰ればいい。


 客席に残ったのは、美佳とその取り巻き、そして南波と一部のスタッフだけだった。


 さて、始めようか。


 瑠璃子に、〝ラピスラズリ〟に、自己紹介もMCもいらない。


 俺が音響に合図を送ると同時に、音がスピーカーから流れる。最初の曲はイントロがあるからタイミングが取りやすいはずだ。


「……? なんだろこれ」

「聞いたことある?」

「ない。オリジナルかな? ちょっと良いじゃん」


 帰ろうとした一部の客が音に気付き、ステージに振り返る。


 次の瞬間、瑠璃子の小さなブレス音と同時に、力強い歌声が響いた。


「え……すご」

「なにこれ」

「ちょっとやべえってこれ」


 客の足が止まった。坂井が驚いたような顔でステージを凝視する。


 入口にいた客が、戻ってくる。瑠璃子の歌声が徐々に会場全体へと浸透していき、確実に客を掴んでいく。


 そのまま、瑠璃子はセットリスト通りに歌っていった。


 インパクト重視の一曲目。

 キャッチャーなフレーズが多い二曲目。


 そして――


「これ、プロじゃね?」

「歌唱力半端ないわ」

「鳥肌立った!」


 いつの間にか客席は戻って来た人達で埋まり、熱狂の渦に包まれていた。瑠璃子の歌声が、帰ろうとした客を引き留め、そしてステージの前へと戻らせたのだ。


 俺はこっそりと客席に降り、入口近くで未だにうろうろしている坂井へと近付いた。


「嘘だ……こんな小さなイベントになんでこんなプロが……」


 坂井がそう言うのも無理はない。瑠璃子の歌唱力は既にアマチュア高校生レベルを遙かに超えている。


「プロじゃねえよ。お前は彼女のことを知っているぞ」


 俺がそう声を掛けると、坂井が親の仇を見付けたとばかりに食ってかかってくる。


「御堂!! あれもお前の仕込みか!!」

「ああそうだよ。そして、聞け――お前が下手くそと言ったあいつの歌を」


 俺がそう言ったのと同時に瑠璃子が、ここにきて初めて言葉を発した。


 その顔には、男ならば一瞬で陥落してしまいそうなほどの、色気と魅力がたっぷり詰まった笑みが浮かんでいた。


「最後の曲です――〝群青〟」


 その声を聞き、坂井はようやく察したのだった。


「まさか――あのカラオケの……」


 その言葉と同時に、瑠璃子の歌声と、音源に入っていた野田先輩のギターリフが掻き鳴らされた。


 ワンフレーズ、秒数にすればたかが五秒ほどだろうか。その歌声は、マイクとスピーカーを通して増幅され、俺達へと叩き付けられた。


 たったそれだけで、一気にこのライブハウスの会場全体がステージの上へと引き込まれる。


 それは抗えない重力のように、掴んで離さなかった。スタッフも、客も、俺も、そして坂井さえも。全員が瑠璃子の歌に囚われていた。


 頭がクラクラする。酩酊感が脳を支配する。


「すげえ……すげえ」


 坂井の呟きを聞きながら俺は成功を確信して、客席の壁際へと移動する。


 そこには美佳がいた。取り巻きの子達は瑠璃子の歌に夢中で、美佳がいなくなったことに気付いていない。


「あれ、もしかしてカラオケの子?」


 美佳が俺の姿を見て、目を細めた。その声にどんな感情が含まれているかは俺にも分からない。


「そう、俺と同じクラスの子」

「あー、そっかあ。あれは……いくらあたしでも勝てないや。ま、でも許した。じゃね、


 美佳はそれだけ言うと、俺から離れていく。


 彼女が少しだけ、涙目だったのは見なかったことにしておこう。


 〝群青〟が終わったあと、客席からは轟音のような拍手が鳴り響き、そしてアンコールが起こった。


 だが、〝ラピスラズリ〟の曲は三曲しかない。


 俺は、目線を送ってくる天王寺さんへと首肯し、ステージ裾に戻った。


 そこには汗をびっしょりかきながらも、満面の笑みを浮かべる瑠璃子の姿があった。


「はあ……はあ……涼真君、やったよ。すごい気持ち良かった! でもアンコール、どうしよう」

「あの歌をやろう。音源はないから、俺がギターで伴奏する」


 あの歌。それは音源作りが間に合わなかったが、歌詞もメロディラインも仕上がっている曲だ。俺は楽屋に置いてあるアコースティックギターをスタッフさんの許可をもらって借りると、瑠璃子と頷きあって、そのままステージへと二人で出た。


 爆発したかのような拍手が俺達を迎える。


「即興ですが、聴いてください――〝Blue Lineブルーライン〟」


 こうして、〝ラピスラズリ〟の初ステージは終わったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る