13:戦闘準備


 ライブ当日。


 俺の家のリビングで、姿見を前に瑠璃子のメイクアップが始まっていた。


「んー、瑠璃ちゃん、髪、ちょっとだけ切っていい? あたし、美容師の免許持ってるし。ショートボブにして、ちょっとパーマ入れちゃお。絶対似合うから」

「え、あ、はい! お願いします!」

「あー! 動くな!」

「すみません!」


 もはやされるがままの瑠璃子が、姉によってみるみるうちに、〝女子〟から〝女〟へとバージョンアップしていく。


「姉さん、時間どれぐらい掛かる?」


 俺はリビングの壁掛け時計を睨む。開場は17時だが、その前にリハもあるし機材の調整もしたい。南波に頼んで、リアルタイムでネット配信をする予定なのでその打ち合わせもしないといけない。


「んー、もうちょい」

「間に合わないんだが」


 ライブハウスはうちの家からは少し遠い。それを考慮して逆算すると――


「うるせえ。じゃあ、あんたは先行っとけ。終わったら車出して瑠璃ちゃん連れていくから」

「え、いや、うーん」


 そうしたいのは山々だが、瑠璃子を姉の下にひとり置いていくのに少し抵抗がある。


「大丈夫だよ。涼真君、打ち合わせとかあるんでしょ? 先行ってて」


 瑠璃子にそう言われてしまうと従うしかない。彼女は、姉と話しながら自分が仕上がっていく様を嬉しそうに鏡越しに見つめている。


 まあこれなら、任せても問題なさそうか。


「じゃ、俺先行くわ。絶対に間に合わせくれよ? トリがいないとかマジでやばいからな」

「分かってるっつーの。はよいけ」


 姉に手で払われるままに、俺は鞄を掴み、家を出た。


 日が傾きつつある街をロードレーサーで駆け抜けていく。頭の中ではやるべき事をリストアップしそれぞれに優先順位をつけていく。


 うん、ギリギリだが間に合う。


 ライブハウスに到着すると、南波が苛立った様子でその前に立っていた。


「遅いよ、涼真。あれ、一人? ボーカルがいるんじゃないの? 涼真がここまで入れ込むほどだからよっぽどの美女だと期待していたのに」

「後から来るよ。ネット配信については機材は問題なさそうか?」

「うん。あとは細かい調整だけだよ。というか勝手にやって良いの?」

「主催者の許可は取ってる」


 南波と話し合いながらライブハウスの中に入っていく。何度も来ているので勝手知ったるというやつだ。ライブ時と違い、ステージと客席の照明は明るくされており、スタッフが慌ただしく動いていた。


 ステージでは、出演者が音出しをしていて、ギターとベースの音が響き渡っている。


 俺はこの祭りの前みたいな雰囲気が好きだった。


「おはようございます!」

「あ、御堂じゃん。え、お前出演者リストにいたっけ?」

「御堂君! え、もしかして出るの!?」


 何人かの知り合いと挨拶を交わすと、向こうからここのスタッフを仕切っている天王寺てんのうじさんがやってきた。年齢は不詳だがベテランのスタッフであり、俺が密かに尊敬している男性の一人だ。


「おはよう御堂。お前んとこのリハ時間、そこに貼ってるから確認しといて。あと音源持ち込みならPAの山さんに渡しとけよ。あとこれ」


 天王寺さんから渡された用紙にセットリストを書き込みつつ、照明の要望を追加していく。


「しかし、お前、中々の力技かつ無茶をするよな」


 記入した用紙を見た、天王寺さんが呆れた声を出した。ま、ライブ経験ゼロの瑠璃子をステージに立たせて、しかもトリで歌わせようとしているのだ。そう言われても仕方ないのだろう。


「無茶をしたくなるほどの……ということで勘弁してください」


 俺がそう言うと、天王寺さんが髭面をニヤリと歪めた。


「お前が言うぐらいだ。楽しみにしてるさ。ま、頑張れよ。――おい、次のリハに移れ!」


 天王寺さんが忙しそうに去っていったので俺がステージの真正面にある音響テーブルへ行こうとすると――


「あれ? なんでお前ここにいんの?」


 そう声を掛けてきたのは黒いステージ衣装を纏った坂井だった。クソださいカバーが掛かったギターを背負っており、その目は訝しげだ。


「なんでも良いだろ」

「良くねえよ。お前がいると邪魔なんだよ」


 坂井が俺の襟を掴む。ほんとこいつバカだな。出演者同士のトラブルは禁止だって知らないのか?


 だが、俺も挑発に乗ってやることにした。だって俺、出演者じゃないし。


「今まではお前みたいな三下の邪魔をしているつもりはなかったけどさ。悪ぃ、今日はマジのマジで――邪魔をしにきたぜ。、ご苦労さん」


 俺は坂井の手を払って、音響テーブルへと向かった。天王寺さんが敏感にトラブルの気配を察知してこっちを睨んでいるので流石の坂井も俺を追ってこない。


「前座……? まさか、あいつ……」


 後ろで、声を上げる坂井だったが俺は無視する。もう、宣戦布告は済んだ。あとは本番で見せ付けるだけだ。


 それから俺は細かい打ち合わせを行い、主催者に挨拶してネット配信の許可を改めて取った。カメラをステージの前の客席に設置させてもらった。


 気付けば、瑠璃子のリハの時間がそろそろ迫っている。やきもきしていると、入口辺りが騒がしくなった。


「やっと来たか?」


 俺が入口に向かうと、そこには人だかりが出来ていた。


「美佳さま~」

「美佳様きてんの!? やば! ツーショットお願いしよっかな!?」


 そこには、女子中高生が入り交じった集団――今日の観客だろう――が既に待機しており、その中心で、明るい金髪のギャルが周囲に愛想を振りまいていた。


「って、あれ、美佳じゃねえか」


 なんでここにいるんだ?


「あれ、リョーマ! 今日出るの?」


 美佳が俺を見付けて嬉しそうにこっちに寄ってくる。


「っ!! あれ桜香高の御堂君!」

「今日出るの!?」

「今日のイベントすごい豪華じゃん! 御堂君と美佳様のショット撮っとこ!」


 周囲がわーきゃーうるさいので、美佳を中へと連れていく。中はまだスタッフと出演者しか入れないが、俺といればまあ問題ないだろう


「へー、今日来るって知らなかったよ」


 俺がそう言うと、美佳がため息をついた。


「坂井にね~、来い来いって言われててしゃーなし来たって感じ。ま、SNSのネタになるから良いけどね~」


 美佳は現役高校生として、日本でトップスリーに入るほどのフォロワー数を誇り、インフルエンサーとしてその界隈では有名らしい。


 なので日々SNSのネタ探しに命を賭けている節があるので、まあこういうイベントに来るのは珍しいことではない。だが、坂井絡みとなると――


「あー、坂井ね」

「カラオケの件、内緒にする代わりにあたし、結構色々頑張ったんだから、感謝してよー」


 美佳が意地悪そうにそう言ってくるので、俺は頭を下げておいた。


「すまん、そしてありがとう。ああそうだ、美佳、今日は絶対に最後まで聴いていってくれ」

「へ?」

「あの歌、覚えてる? いつかの夜に、俺が分からなかった曲」

「うん」


 美佳が頷く。


「あの時の約束、果たすよ」

「なるほど……彩那ちゃんが落ち込んでる理由が分かった気がする」


 そう言って、美佳は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「楽しみにしてる。じゃ、頑張って」

「おう」


 美佳が再び入口へと戻っていく。


 さて、あとは歌姫様の到着を待つばかりだ。


 心地良い緊張感が、俺を包んでいた。

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