10:〝ラピス・ラズリ〟


 ライブ一週間前。


 俺は自宅のリビングで寛ぎながら、ノートPCで来週のライブイベントを行うライブハウスのホームページを確認していた。


 掲載されている出演者リストに、昨日までなかった名前が差し込まれていた。


 ――〝ラピス・ラズリ〟


 それが、瑠璃子のアーティスト名だ。


 ネーミングはシンプルに。代表曲となるだろう〝群青〟と瑠璃子という名前からこれに決めたのだが、こうして書かれてあるのを見ると、中々に感慨深い。


 順番は俺が主催者にお願いした通り、トリを務めるはずだった坂井のバンドである、〝ブラックダウト〟の後、つまり――大トリだ。この為に、主催者にはデカい借りを作ってしまったが、仕方ない。


 これは復讐なのだから。


 うちの高校の裏掲示板を覗くと案の定、暴れている奴が数名いた。


『なんでブラックダウトがトリじゃねえの? 誰だよこラピスラズリって』

『しらね』

『プロなんじゃね?』

『高校生限定ライブにプロが来るかよ。それに検索してもヒットしねえ。新人だろ』

『可愛い名前だし女子かも?』

『クソみてえな曲をやりやがったら、暴動起こすぞお前ら』

『お前、坂井だろwwww』


 それを見て、俺は自然と笑みを浮かべた。予想通り、急に現れたこのラピスラズリに対して期待しているやつはいない。だが、それで良いんだ。

 

「ふふふ……見てろよ坂井」


 既に、準備は万端だった。


 俺は野田先輩に弾いてもらったギターを録音し、それを使って〝群青〟を完璧に仕上げた。曲のミックスについては野田先輩の知り合いが協力してくれて、作業自体は俺がやったものの色々と教えてもらいめちゃくちゃ勉強になった。


 その人曰く、〝運次第だが、絶対に売れる〟とのお墨付きだ。


 更に、瑠璃子が新たに作った数曲も編曲し、いよいよ俺達は来るライブに向けて練習を始めていた。


 画面を見てニヤける俺の背に声が掛かる。


「あんた、女の為に曲書いてるってマジだったんだ。野田君から聞いたんだけど」


 それは、風呂上がりのせいか身体からまだ湯気が出ている俺の姉だった。下着にタオルのみという姿だが、気にせず俺の隣に座る。


「あつー、ちょっと扇いで」


 姉が、黄ばんだ去年のうちわを俺に投げてくる。いつもなら無視するが、野田さん絡みで恩義があるので仕方なしにうちわを扇いでやる。


「野田先輩が協力的だったおかげで、助かったよ」

「ふーん、あいつ、〝ええかっこしい〟だからね。ま、あたしからすればだからなんだって感じ」


 姉が良く使う〝ええかっこしい〟という単語。大体それを言われる相手は脈なしだった。ドンマイ野田先輩。


「でも、いきなりライブ? あんたもやることが相変わらずアレよね」

「俺はあくまで裏方で、瑠璃子ってボーカルの子が歌うんだよ」

「まさかカノジョ?」


 姉が、そんなバカな、とでも言わんばかりの表情を浮かべた。


「違うよ。ただの片想い」

「は? あんたが? 向こうがじゃなくて」


 姉が今度、地球の終わりを確信した科学者のような顔付きになる。大袈裟だなほんと。


「そうだよ。俺が好きで、向こうがどう思っているかは分からない」


 別に隠す事でもない。とはいえ他の誰にも言っていないけどさ。


「……どんな子。同級生? 身長は? 乳はデカい? どこまでヤッた?」


 面白い玩具を見付けたとばかりに嬉しそうに聞いてくる姉へ、うちわを投げつけると俺はPCをパタンと閉じた。


「うるせえなあ。答えるかよ」

「じゃあ、一個だけ。可愛い? 化粧は上手?」

「二個じゃねえかよ。可愛いよ。めちゃくちゃ可愛いけど、眼鏡かけてるし、化粧も正直あんまり上手くはないかな」


 うん、瑠璃子は可愛い。ただ、それを活かし切れていないだけだ。


「ふーん。じゃあ、そのライブ前にさ、時間作ってよ」

「へ? なんで?」

「あたしが本番用のヘアセットとメイクをやってあげる」


 ……そういえば忘れていた。姉はそういう専門学校に通っていたんだった。


 だが、この姉は弟に我儘や無理を押し付ける事はあっても、その逆はないはずだ。


「いや、そりゃありがたいけどさ……なんで?」

「はあ? あんたが片想いする子なんて面白いに決まってるじゃん! だから――あたしにも絡ませろ」


 そう言って姉が蠱惑的な笑みを浮かべ俺に顔を近付けたのだった。弟でなければ、これだけでやられてるな。


「分かったから顔を近付けるなよ。ほんと頼むよ、瑠璃子の初舞台なんだから」

「任せなさい。ルックスだけで観客をくぎ付けにしてやるよ」


 姉が自信ありげにそう言って、その大きな胸を張った。


 姉は俺と同じ自信家であり、そしてそれに違わぬ実力を持っていることを俺は知っている。敵になると恐ろしいが味方であるとこれほど心強い人はいない。


 そんな時に、スマホから通知音が鳴った。


 俺はその文章を読み、少し考えてから立ち上がった。


「俺、ちょっと出掛けてくるわ」

「デート? デートかな? ちゃんとゴム持った?」


 ニヤニヤしながら聞いてくる姉を無視して俺は財布とスマホだけ持って、家を出る。


 夜だが、空気はぬるく湿度を感じる。俺はロードレーサーにまたがり、指定された場所へとペダルを漕いだ。


 夜の風を裂きながら、俺の頭の中では〝ラピスラズリ〟の曲達が鳴っていた。瑠璃子の声が脳を巡り、いつの間にか小さな歌声となって俺の口から漏れ出ていた。


 思考の片隅で、なぜこんな夜に呼び出されたのかを考えていたが、考えても無駄だと思って止めた。


 何となく、予感はしていた。


 丘のある住宅地の中の坂道を立ち漕ぎで上っていく。住宅地を抜け、丘の頂上近くに来ると、ロードレーサーを近くの標識のポールに立て掛け、チェーンを掛けた。


「懐かしいな、ここ」


 俺は道路脇に続いている柵の、フェンスが破れた隙間から中へと入る。

 そのまま進むと、そこは斜面になっており、そこから大きなコンクリートの土台のような物が突き出ていた。その上に、人影があった。


「――こんな時間にこんな場所を指定しやがって。変なやつが現れたらどうすんだよ」


 俺はそう言いながら斜面を降りて、その土台の上へと辿り着く。


 そこには――私服姿の彩那がひとり、座っていた。

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