09:どうしようもない恋をした


 あの日から、俺と瑠璃子の密会ともミーティングとも呼べる物が週に三度ほど開催された。大体がカラオケ――気が進まなかったが、同じ轍を踏まない為にうちの生徒が寄りつかない、姉のバイト先――で行っていた。


 俺はノートPCを持参し、インストールしているソフトで曲を作っていく。無料版では音があまりにしょぼすぎたので有料版にアップグレードしたが、後悔はしていない。


 ただ……。


 瑠璃子が、〝群青〟以外の曲も作りたいと言い始めたので作詞作曲をしてもらっているが、肝心の〝群青〟の編曲が中々ビシッと決まらなかった。


「うーん」

「どうしたの、涼真君」


 ノートに歌詞を書きつつ、時々自ら歌って音を確認する瑠璃子が、PCの画面を睨み、唸る俺の声を聞いて顔を上げた。そういえば、数日前から薄らと瑠璃子は化粧をしはじめていた。俺でも分かるぐらいその化粧はあまり上手くはないけれど、それでもなぜかそれが妙に愛おしかった。

 それにいつもは制服なのに、最近は私服でミーティングに来るようになった。パステルカラーのワンピースとかそういうふわふわ系のファッションが良く似合っていた。


「いや、曲の構成変えようかなって思って」

「どういう風に?」


 瑠璃子が俺の方に寄ってきてPCの画面を覗き込む。暗い部屋の中で、モニターの光で照らされた彼女の横顔は綺麗だった。


「イントロを無しにしていきなり歌い出しにしようかな、と」

「え? せっかく良いイントロ作ってくれたのに」


 元々、〝群青〟は歌パートしかなかったので、俺がメロディーに合うイントロを入れてみたのだが、どうもしっくりこない。間奏はまだ良いとして、イントロがどうもインパクトに欠けるし、何か異物感がある。


 取って付けたような、と言い換えてもいい。


「……やっぱり無しにしていきなりサビの歌い出しにしよう。今は結構それが主流になっているし」


 画面を操作して、イントロ部分を丸ごと削除する。変なところで我を出すのはもう止めた。


「そうなの?」

「今はサブスクリプションで聴く人が多いし、SNSとかで使用してもらうことを考えるとちんたらイントロ流すよりいきなりサビの歌い出しの方がインパクトがあるし、使いやすい」

「そういうことまで考えるんだ。というかそれ、もしかして完成したら配信する気?」


 瑠璃子が驚いた表情で俺を見つめる。俺は、イントロを消したあとのバランス調整を始めた。んー、こうなってくると、余計な音を入れすぎてる気がしてくるな……。


「編曲は確かに素人に毛が生えた程度のものかもしれないけど、この曲と瑠璃子の歌唱力自体のポテンシャルはプロと引けを取らないと思うよ。今はPCがあれば曲が作れる時代だ。ネット配信からデビューも夢じゃない。まあそれを実際するかどうかは別としてね」

「なんか……想像つかないや」


 そう言って、瑠璃子がソファの背もたれへと倒れた。


「ま、それはともかくとして、今はライブに向けて頑張ろう」

「うん。でも、やっぱり涼真君、凄いよね。勉強もスポーツもできて音楽まで作れちゃう」

「別に凄くないよ。歌なら瑠璃子の方が上手いじゃん。バスケなら彩那の方が上手いし、交友関係の広さなら美佳に負ける。アニメの知識なら南波のが百倍上だし。上には上がいっぱいいるよ……でないと退屈だ」


 調整した曲を再生してみる。


「……うん良い感じだね。まるで本物みたい」


 嬉しそうに笑う瑠璃子に俺は言葉を返す。


「本物にするんだよ、瑠璃子の歌声でね。しかし、他はともかくギターの音がちょっと気になるな」

「そうかな?」

「うん。やっぱり作り物の音だから、なんかこう、違うんだよね。んー、どうすっかなあ。俺が演奏するって手もあるけど、それだと素人臭いだろうしなあ」


 俺も瑠璃子を真似てソファにもたれかかる。こうなってくると妥協したくない。


「私も、色々調べたんだけどね、プロの人にそのパートだけ弾いてもらってそれを使うって方法もあるらしいよ」

「んー、プロかあ」


 流石にお金が掛かりすぎるなあ。あとはミックスしたりなんだりするのも、俺一人だと限界がありそうだ。せめて、最終チェックだけでも誰かにして欲しいが……。


「そんな都合良くプロミュージシャンの知り合いはいないからなあ」

「だよね……でも、今のままでも十分だと私は思うよ」

「まあね。それにメインはあくまで瑠璃子のボーカルだからね」


 なんて言っていると、扉をノックする音が聞こえた。


「涼真、入るぞ。ドリンク、店長がサービスで出せって」


 それはアルバイト中の野田先輩だった。相変わらずボサボサ頭に無精髭と清潔感のない姿だ。とはいえ、好意は素直に受け取らないとね。


「ありがとうございます。店長にも後でお礼言っておきます」

「おう。店長は酒出してやれって言ってたけど、ソフトドリンクにしといたぞ。あいつやっぱりアホだよな」

「すみません、気を使わせて」

「気にすんな。つーか、お前何やってんの? それもしかして曲作ってんの?」


 テーブルの上に、毒々しい色のジュースを置いた野田先輩が俺のPC画面を覗いた。


「あ、そうなんですよ。と言っても素人作品ですけど」

「へー、聴かせてよ」

「仕事、良いんすか」

「今、客はお前らしかいねえよ」

「うっす」


 俺は曲の頭から再生する。野田先輩は珍しく真剣な表情で、それに聞き入っていた。


「これに歌を入れるんだな」

「ええ、彼女がボーカルです」


 俺が黙って縮こまっている瑠璃子を紹介すると、野田先輩は彼女を一瞥いちべつするだけで、再び画面を見つめた。


「今流行りの曲調だが……完成度がプロ並みだなこれ。お前こういう才能まであんの?」


 そういえば、野田先輩は自称ミュージシャンだったな。呆れた顔で俺を見つめてくるが、男に見つめられて喜ぶ趣味は俺にはない。


「いやまあ、それなりに。ただ、ギターの音が安っぽくて気になっているんですよ」


 それを俺が言ったのは、まあただの会話の流れだ。自称ミュージシャンなんだからそれぐらい分かるだろ、と少し試してみたい、という気持ちもあった。


 だけど結果として、野田先輩はあっさりとこう言ったのだった。


「ああ、この音源のギターはクソだからな。この程度だったら俺が弾いてやろうか?」

「へ? 野田先輩ってギター弾けるんですか」

「一応、プロのバックバンドやってるんだぞ俺。ここでバイトしてるのは、自主練用のスタジオの代わりとしてタダで使わせてくれるって店長が言うからだよ」


 それから野田先輩が口にしたアーティストは、メジャーではないものの、インディースではそれなりに名のある人だった。


「うわ、先輩の名前載ってますね」


 ネットで調べると、確かに野田先輩の名前があった。自称ミュージシャンとか言ってごめんなさい!


「当たり前だろ……俺はなんだと思ってたんだよお前……」

「でも、良いんですか? 高校生の素人作品ですよ」

「良いよ。そういうバイトもよくやるし」

「いくらです?」


 プロとなるとそれなりに掛かるので、まずはそこを聞いておかないと。いざとなったら姉に金借りて……。


 と思っていたら、


「タダで良いよ」


 野田先輩が当然とばかりにそう言った。


「へ? いやでも、プロなんですし」

「普段も数千円でしかやってないしな。高校生から取るのもなんだし。まあ、ほら、その、千絵ちゃんの弟だしな!! 特別だよ特別!!」


 なぜか急にスカしたような雰囲気を出して、姉の名前を出す野田先輩を見て察した。


 ははーん、この人もうちの姉を狙っているのか。


 我が姉は、流石我が姉だけあって、顔もスタイルも良い。更に男をその気にさせることに関してはプロ並であり、俺はこれまで何人もの男が姉にアタックし、結果良いように利用され、そして撃沈いく姿を見た。


 なるほど、弟に良い格好して姉のポイントを稼ぐ戦法だな。


「ありがとうございます。姉もきっと喜びますよ」


 俺はにっこりと笑顔を作ってそう言ったのだった。まあ、もしこの曲が上手くいったら、先輩の名前をクレジットに入れて、収入が出たら少し還元すれば良いだろう。


「お、おう! 今度録る機材もってくるわ! スタジオ借りるの高いし、録るのはここで良いだろ」

「よろしくお願いします!」


 野田先輩が去っていく、瑠璃子がそこでようやく口を開いた。


「……良い人だったね」

「そうか? ま、ありがたいけど、うちの姉狙いなのが見え見えだよ」

「お姉さんにも感謝しないとね」


 微笑む瑠璃子を見て、俺は不覚にも本日五度目のドキドキを感じたのだった。


 そろそろ、いい加減認めなければならない。


 そう、俺は間違いなく、そしてどうしようもなく。


 瑠璃子に――恋をしていた。

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