08:その歌の名は……


 泣き疲れた地道さんが、涙でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチでゴシゴシと拭いた。


「……大丈夫」


 眼鏡を外したまま、地道さんが赤く腫れた目で俺を見つめる。


「大丈夫。ごめんね、ずっと泣いちゃって……」

「いや、良いんだ。それよりも、俺のせいで」


 俺がそう言うと、地道さんは小さく首を横に振った。


「ううん、御堂君は悪くないよ」

「でも」

「私、ダメだな……上手く歌えなかった。恥ずかしかったし辛かったし、何よりね、悔しかった」


 そう言いきる地道さんは、なぜか晴れやかな顔をしていた。


「最後まで歌ったから、地道さんの勝ちだよ」

「あはは……勝ちって何の勝負なのそれ」

「あ、いや……勝ちも負けもないか」


 地道さんは眼鏡を膝の上に置いたまま、俺を見た。


「でも、悔しい。あの茶髪野郎、偉そうに言って」


 地道さんの声に怒りが宿る。何となくだが、初めて地道さんの生の感情を見た気がした。


「……地道さんの方が百億倍、歌が上手いよ。あいつ自分で曲作ってるなんて豪語してるけど、俺が作ったやつのパクリばっかだし」

「だとしても、あいつの中では、あいつが一番なんでしょ」

「そりゃあな」


 俺がいなけりゃ、自他共にナンバーワンだったかもしれない坂井。見た目もやることも中途半端なやつだが、自尊心と傲慢さだけは負ける。


「それが悔しい」


 意外と、と言えば失礼かもしれないが、地道さんは負けん気が強いのだろう。いや、彼女が最も重きを置いているであろう歌のことだから、なのかもしれない。


「だったら、リベンジしよう」

「え? リベンジ?」


 俺の中で、パチリパチリといくつものピースが組み合わさっていく。その音はリズムとなって、次第にハーモニーを奏でる。


 地道さんの歌、坂井、歌を使った舞台。


 ああ、そうだ。これはリベンジだ。


「地道さんの歌は、もっとみんなに聴かせるべきだ」

「へ? みんなに?」

「何より、その曲は今のままでも良いんだけど、もっと上にいける。坂井にさ、叩き付けようぜ、地道さんの歌。それに相応しい舞台がある」

「どういうこと?」


 地道さんの視線をまっすぐに受けて、俺は口を開いた。


「来月、新京国しんきょうごく通りにあるライブハウスで高校生限定のライブイベントがあるんだよ。それに坂井のバンドも出る。そのイベントの主催者と俺は知り合いだから、今からでも出場枠に一組ぐらいはねじ込める。それに地道さん、出よう」

「ええ!? ライブ!? 私そんなのやったことないよ。それに歌って言っても、歌うこと以外私出来ないし……楽譜起こしとか音源とか……そういうの……」

「大丈夫、全部俺に任せろ。作詞作曲編曲から主要な楽器の演奏までマルチにこなせるのが、この御堂涼真様よ。地道さんが良いと言うのなら、この曲、俺に編曲させてほしい。他の音も付けて、本番は地道さんのボーカルだけで行ける」


 俺が頭の中で描いたプランを説明していく。


「もし、これが上手くいったら、いや、上手くいかせるんだけど――坂井どころか、世界を


 俺の自信しかない言葉を、地道さんはポカンと口を開けたまま聞いていた。


 地道さんがちゃんと舞台を整えて歌えば、間違いなくあのライブイベントでナンバーワンになれる。俺にはその確信があった。


「……一個だけ条件」

「飲んだ」


 俺の即答に地道さんが呆れたような声を出した。

 

「まだ何も言ってないよ……あのね、私、地道って名字嫌いなんだ。昔から地味子ってあだ名があって好きじゃないの。だから……その……あ、いや……」


 途中から自分の言っていることの意味に気付いた地道さんが赤面する。だけど、俺は寸分の狂いなく、その言葉の意味を把握した。


瑠璃子るりこ、で良いかな?」

「ううう……そう真正面から言われると恥ずかしいけど……はい」

「じゃあ、俺も涼真でいい。よろしくな、瑠璃子。ライブ、成功させようぜ。上手くいけばデビューとかもあるかも」

「うん……あ、でも恥ずかしいから学校では……」


 そう言って、俯いた地道さんの心中を察して俺は頷いた。


「分かってるよ。学校でも坂井達に気付かれない為にもお互い、不干渉で良いと思う。サプライズでいこう。そっちのが、らしい」

「ありがとう。なんか、御堂君……じゃなくてりょ、涼真君は思ってたよりもずっと話しやすいね」


 地道さん……じゃなかった瑠璃子は膝の上に置いた眼鏡を掛けた。


「そんな、話しにくい野郎だと思われていたのか俺!?」

「あ、いや、そうじゃなくて……ほら、涼真君達ってこう、キラキラしてて、何というか光の世界の住人というか、眩しいというか、私らみたいな底辺には目すらも向けないのかなって。深江さんとかと仲が良いし」


 急に早口になる瑠璃子。この子、眼鏡の有無で性格が変わるタイプなのか? そんなバカな。


「彩那とはただの腐れ縁だよ」

「何それ、ラブコメじゃん」

「ラブコメ?」

「なんでもない。ちなみに聞くけど、南波君とはどういう関係? 喧嘩したらどっちのが強い? 実は主導権握っているのはどっち?」


 ん? なんでこの流れで南波の話が出てくるんだ? 喧嘩なんてしたことないけど、どうだろうな……。主導権とか考えたことないが……。


 とか考えていると、怪訝そうな俺の顔を見て、瑠璃子が手を顔の前でバタバタと降って再び赤面する。


「ご、ごめんなさい! 気にしないで!! 今のは無し!」

「はあ……いや、まあいいけど。とりあえず、楽譜起こすからもっかい歌ってくれる? 歌詞は大体把握したけど、聞き間違いがあるかもしれないから、それだけは瑠璃子に書いて欲しいかな」

「あ、うん。じゃあ歌うね」


 それから一時間ほど、俺達は肩を寄せ合ってノートの端に歌詞やら楽譜やらを書きながら、この曲をどう良くしていくか話し合った。


 もうそこに、最初あった距離感はなかったと思う。



☆☆☆



 カラオケボックスを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。


「やべ、夢中になりすぎてすっかり遅くなった。瑠璃子、時間大丈夫?」


 俺が心配になってそう瑠璃子に話し掛けると、彼女は微笑をたたえ、静かに答えた。


「うん。うち、お父さんしかいないし、帰って来るの遅いから……」

「そうなんだ。夜御飯はどうしてるんだそれ」


 複雑そうな家庭事情だから、あんまり聞くのも失礼か。


「私が作ってる」

「偉いなあ。俺も料理はするけど、気が向いたらでしかやらないからな」

「涼真君は何でもできるね」

「まあな。出来ない事はやってないことだけだ。やったら大体できる」

「ふふふ……格好いいね」


 瑠璃子が静かに笑う。その笑い方がなぜか妙に可愛く感じた。美佳とも、彩那とも、他の女子とも違う、笑み。


「よく言われるよ、それ」


 何となく恥ずかしくなって俺は茶化したような物言いをすると、瑠璃子がおどけたような声で返す。


「うわー、ナルシスト。そこだけはイメージ通りだった」

「うーん、そんなつもりはないんだけどなあ……というのも嘘っぽいか」

「涼真君ほど突き抜けると、嫌味な感じがしないから不思議」

「なら、良いんだけどね」

「うん。あ、私、こっちだから」

「あー、送っていこうか? 暗いし」


 何となく離れたくなくてそう言うも、瑠璃子はゆっくりと首を横に振った。


「大丈夫。いつも歩いている道だし、大通り沿いに帰るから」

「そっか。じゃあ、また明日。今日中に、あの曲どういう方向性にするか考えておくよ。また、連絡する」


 そう、既に俺は瑠璃子の連絡先をゲットしていた。やったぜ俺。


「ありがとう。楽しみにしてる」

「任せてよ。来月までには余裕で間に合う」


 大通りに着いて、瑠璃子が俺の横から離れた。


 もう、別れの時か。


「涼真君、今日はありがとう。私の歌、褒めてくれて嬉しかった」


 少し距離を置いて、瑠璃子は俺に向かって頭を下げた。


「いや、お礼を言いたいのは俺の方だよ」


 恥ずかしくて悔しい思いをしたのは瑠璃子のはずだ。なのに彼女は俺を責めない。


「じゃあまた、明日ね」

「ああ、また明日」


 去ろうとする瑠璃子を見て、そういえば俺は肝心な事を聞き忘れていた。


「あ! 瑠璃子!」

「え? なに?」

「あの曲さ、タイトルってあるの?」


 俺の言葉に、瑠璃子は少し思案するような表情を浮かべ、そして口を開いた。


「タイトルは――〝群青〟」


 それはまるで、たった今天啓を得たばかりの預言者のような口振りだった。


 俺は去っていく瑠璃子の小さな背中を見ながら、〝群青〟のメロディラインを口ずさんだ。


「群青……か。ぴったりなタイトルだ」


 雑踏の中、俺のハミングと声は確かに響き、そして消えていった。

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