内緒の場所

 心音が書いたこの物語は日本中で話題となった。テレビにも取り上げられ、悪党は逮捕され、「白いオオカミを守りましょう運動」が広まった。


 そんなある日の事、綺麗な若い女性が心音の入院している病院を訪ねてきて、ナースステーションにいる看護師を呼んだ。

「すみません。心音さんがいらっしゃるのはこちらですか?」

 ショートヘアーの看護師が顔を上げてこちらにやって来た。

「はい。心音さんとの御関係は?」

「私、丸森文庫という本の出版社の者ですが、今話題となっている心音さんの物語を是非書籍化したいと思いまして。お話させて頂く事は可能でしょうか?」

「心音さんの事はご存知ですか? 喋る事が出来ない事など」

「え? 具合が悪いのですか?」

「いえ、そうではなくて、生まれつきのものです。最近になって文字は少しだけ書けるようになってきたものの、突然ツラツラとあんな物語を書いた事は信じられなかったと、心音さんのお母様はおっしゃってました。会話が通じるかどうか分かりませんが、私が御一緒しますので少しだけお待ちになって下さい」

 看護師は丁寧にそう言った。丸森文庫の人は驚いていた。あの物語の作者の事を調べたが、心音という名前と、この病院に入院しているらしいという事しか分かっていなかった。

 言葉を喋れず、しかも殆ど文字も書けないような人が、あの物語の作者であるとはにわかに信じられなかった。


「お待たせしました」

 看護師がそう言って丸森文庫の人を先導した。個室のドアをノックし、「心音君」と言いながらドアを開けた。

「あら? どこ行っちゃったのかしら。トイレかな?」

 ベッドの布団は綺麗に畳まれていて心音の姿が無い。トイレにも姿は無く、看護師は慌てて関係者に知らせ、皆でそこらじゅうを探し回ったが心音の姿は見当たらなかった。

 

看護師が心音の家に電話を入れると母親が出た。

「そうなんですか。あの子はきっと大丈夫です。私には分かる気がします。後程病院に伺いますが、これ以上探す事なく、あの子をそっとしておいて下さい。お願いします」

 母親は冷静だった。

 その後、心音の姿を見た物はいない。あの時、一匹の青い目をした白いオオカミのような物が病院から出て行くのを目撃したという一つの情報だけが残っていた。


 心音が書いた物語は丸森文庫から出版され、小学生の教科書にも載り、沢山の人達に読まれた。そして人間が踏み入れてはいけない自然の領域は大切に残されていった。


 青風森あおいかぜのもりというブナの木が生い茂る美しい森がある。昔から生きる物達が誰にも邪魔される事のない静かな時の流れが戻っていた。もう外部からの侵入者におびえる事はない。喧騒前の平和な暮らしがそこにある。

 プチの姿はもうそこには無かったが、青い目をした白いオオカミが二匹、無邪気に戯れる姿があった。シオンはルナに恋をした。鼻をくっつけ、頬擦ほおずりをする。黄色い蝶々を捕まえて、ルナの耳にくっつけてあげた。青い目に黄色がえて、ルナは真っ白なウエディングドレスを着た花嫁さんのように綺麗だった。おそらくシオンには蝶々の黄色が見えていたのだろう。

 そしてルナは四匹の赤ちゃんを産み、その中の一匹は澄んだ青みがかった目をしていた。

 シオンはお父さんになった。

 沢山のブナの木が見守っていた。

 これは青風森あおいかぜのもりの話。


 心音は自分が書いた物語は大神森おおかみのもりの話だと書いていた。そこだけが事実とは異なっている。自分達の森が青風森あおいかぜのもりだという事だけは、内緒にしておきたかったのだろう。


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青い目のオオカミ 風羽 @Fuko-K

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