39話 主観的ボトルネック【3】


 げたばこ前は知らない顔と声がいっぱいだ。


 もうここに立っているだけで、頭が痛くなりそうなくらいに。


 皆のじゃまにならないよう、ろう下に出たところで中学初の授業日をふり返ってみた。


 一日を終えての感想はそう…普通、だった。


 新しく友達ができたわけでもない、本当にただただ普通の。


 私だって今日は、新しい友達を作る気満々でのぞんだつもりだ。


 でもほとんどのクラスメイトは同じ小学校だった子と固まっていて、とてもじゃないけど気安に話しかけられるような感じじゃなかった。


 いつかは違う小学校の人たちとも仲良くできたらいいけど…


 そんな期待と不安を抱いているところに、友莉姉は軽く手を振りながらやってきた。


「お待たせ、彩芽」


「あっ友莉姉、どうだった?一日」


「うーん、ぼちぼち?何人か友達はできたけど」


「もうできたんだ。私まだ誰とも話せてない…」


「私もちょっと話しただけだったから。彩芽もすぐできるよ」


 友莉姉はそれとなく私をなぐさめると、「行こっか」といって足を動かす。


 そのまま二人で学校を出て、初めての帰り道を歩く中で、友莉姉は話題を変えるように聞いてきた。


「そういえば彩芽は何の部活入るか決めた?」


「ううん、まだ。やっぱり友莉姉、部活入るんだね」


「今日話した子にバドミントン部はどうかー?って誘われたから、とりあえず体験に行ってくる」


「ここの中学の部活動って、強制だったりするの?」


「違うとは思うけど、ほとんどの子が入るものだって先生言ってたから」


「でも部活に入ったら、お父さんの病院に行けなくなる…よね」


「どの部活も月に全休が何日かあるらしいから、その日にいくつもり。彩芽も運動神経いいんだし、何か部活考えてみたら?」


「そうだね、うん、考えとく…」


 それじゃあ今までみたいに毎週、友莉姉とお父さんに会いに行ったり、こうやって一緒に帰れなくなっちゃうのか…


 でも中学生にもなったんだし、それぞれの学校生活を送るのは当たり前だよね。


 きっと今は、ちょっとさびしいだけ。


 言い聞かせるように心の中でつぶやいてみても、胸のモヤモヤは消えてくれない。



 ◇◇◇



 中学生になって半年が経った。


 友莉姉はそのままバドミントン部に入部して、今日もその部活動。


 私は色々なやんだ結果、家庭科部に入部した。


 理由は何個かある。


 まず活動日が週に三日だから、毎週お父さんのところに行けるってこと。


 元から好きだったお料理ができるってこと。


 運動部と違って17時には部活が終わるから、皐月さんと一緒に晩ご飯を作ることだってできる。


 そして何より、もうすぐお父さんの誕生日だ。


 家庭科部では裁縫もするらしいから、そこで何か作ってプレゼントしてあげたいけど…


 お父さんなら何をあげても喜んでくれそうだから、かえってプレゼントを決められずにいる。


 お財布は使わなそうだし…クッションとか、かざりものは上手くできる自信ないし…


 頭をなやませながら、家の鍵を開けて家の中に入ると、皐月さんはリビングで洗濯物をたたんでいた。


「おかえり彩芽ちゃん。なんかちょっと眠そうだね」


「ただいま。うん、今日は6限が体育だったから。ちょっとだけ眠いかも」


 たたんだ衣類をそれぞれ分けて積み重ねていく皐月さん。


 毎日こうやって家事をこなすのって、大変だったりしないのかな…


 聞いてみたとしても、皐月さんのことだから「そんなことないよ」って優しく私に言うんだろうな。


 いつものように食べ終えたお弁当箱をかばんから取り出して、キッチンで洗っていると。


「…ねぇ、彩芽ちゃん」


「どうしたの?」


 手を動かしながらたずねると、皐月さんは心配そうな顔で小首をかしげる。


「最近、何かあったりした…?」


「ん?うーん、特に何もなかったと思うけど」


「そう?ならいいんだけど」


 皐月さんは笑顔でそう返すと、また洗濯物をたたむ作業にもどった。


 …ほんとのほんとに、何かあったわけじゃない。


 でも、最近の私は少し変だなって自覚はある。


 例えば、こうやって家事をこなす皐月さんの姿。


 今までこんな日常的なことを意識することなんて一度もなかった。


 こんなに時間の流れがゆったりともしてなかった。


 常に何かを探し求めるような感覚も薄れてきて、目に入るもの全てがスッと頭の中に入ってくるような…


 自分の部屋に入り、床に足をつけて制服のままベッドに上半身だけ横たわる。


 明日は一人でお父さんの病院に行く日。


 そこで今ある気持ちの悪さを聞いてみたら、何かわかったりするのかな。


 


 翌日、慣れた手つきで病院の一階で手続きを済ませて、エレベーターに乗ってお父さんのいる病室に向かう。


 今日は話したいことや聞きたいことがたくさんあるから、少し早く来ることにした。


 いつものように、声をかけながら目の前のドアをノックする。


「お父さーん、来たよー」


 自分の声が廊下に響くだけで、返事は返ってこない。


 そういえば、お昼前の時間はリハビリだって言ってたっけ。


 けどもしかしたら、ねてるだけかもしれないし…


「入るよー…?」


 音を立てないようゆっくりドアを開けると、病室にお父さんの姿はなかった。


 とりあえず中に入って、しばらく待ってみようかな。


 椅子に座ろうとしたところで、サイドテーブルの上に手紙があることに気づく。


 そこには短く『彩芽へ 屋上で待ってる』と書いてある。


 屋上に上がることなんてできたんだ…


 お父さんの口から聞かされたこともなかったし、何かあったのかな。


 でもどうやってそこまで上がるんだろう。


 とりあえず、もう一度エレベーターに乗ることにしよう。


 エレベーターの扉が開くと、たまたま中にいた看護師さんと乗り降りで入れ違ったから聞いてみることにした。


「あのすみません、屋上ってどうすれば上がれますか?」


「あぁ、ここにあるRってボタンを押せば上がれますよ」


「そうなんですね。ありがとうございます」


 言われた通りRのボタンを押して屋上まで上がる。


 小さいころから何回もこのエレベーターに乗ってるから意識してこなかったけど、屋上って意味だったんだ。


 初めて行く場所だし、ちょっと不安だ。


 そして、エレベーターの扉が開いてすぐ。


「…すごい」


 光がこんなにも白くて、空がこんなにも広がってて、風がこんなにも気持ちいいことなんて今までなかった。


 別世界って、きっとこういう風景のことを言うんだろう。


「おぉ来たか彩芽。今日は早いんだな」


 声にはっとして周りを見わたすと、お父さんは柵の前にあるベンチに一人座っていた。


 ぼうとしたままにその元まで足を動かして、お父さんのとなりに腰かけた。


 目の前の風景には、色んな形をした家やビルが所せましと、どこまでも広がっている。


「あそこらへんだよな。友莉と彩芽の家」


 確かにお父さんの指さす方には、見覚えのあるような家がいくつか並んでいた。


「うん。だいぶ遠いけど見えてるね」


「えっ?!父さんは方角的にさしただけなんだが。もしかして、はっきり見えてるのか?」


「見えてるよ。友莉姉もこのくらいなら余裕じゃないかな」


「相変わらずの身体能力だな二人とも。こっから皐月のやつが何してるかも見えたりしてな」


「うーん…ごめん、そこまでは流石にわからなそうかも…」


「いやもちろん冗談だが。まんざらでもない感じなのか」


「ちょっと手前にある私たちの中学校くらいなら、お父さんでも見えるんじゃない?あの緑のネットが周りに建てられてるとこ」


「あぁーあれか。校舎は思ったより小さいが、父さんの時代から少子化が大分進んだもんな。でもグラウンドはかなり大きそうだから思う存分走り回れそうで良かったじゃないか。緑のネットもかなり高いところから察するに、きっと野球部が強豪なんだろうな。そういえば彩芽は部活には入ってないのか?」


「それゴルフセンターだね」


「割り込んで言ってくれても良かったんだぞ?父さん軽く通り過ぎるところまでいっちゃったし」


「楽しそうに喋ってたからいいかなーって。あと、部活には入ったよ。家庭科部」


「そうだったのか。皐月からは、料理がすごく上手だってよく連絡来るし、彩芽に合ってるんだろうな」


「そう…なのかな。そうだといいな」


「友莉はバドミントン部だったよな。二人で同じ部活に入ろうとは思わなかったのか?」


「実はちょっと迷ったけど…なんて言うんだろ。友莉姉がそんな感じじゃない気がしてさ」


「そんな感じじゃない、か…?」


「うん。うまく言えないんだけど。いつもみたいに仲良く一緒にって、できるような感じじゃなかった…」


 言葉にして初めて気づいた。


 そうだ、今の友莉姉は前とは少し空気が変わったように感じる。


 …でも


「でもそれは多分、私もそうなんだと思う。あの頃より落ち着いてるのに、落ち着かない。今の友莉姉を見てると、そんなごちゃごちゃした気持ちが強くなって…」


「―――――」


「変だよね、今までずっと仲良くしてきたのに。こんなこと考えるようになるのって」


 そして、おそるおそるお父さんに視線を向ける。


「ねぇお父さん、こういう気持ちってなんだと思う…?」


「―――父さんがまだ学生の時な、皐月の持ってたボロボロのクマのぬいぐるみを捨てたことがあったんだよ」


「…?」


 いきなり語り出すお父さんに戸惑いながらも、そのまま耳をかたむけることにした。


「そのクマのぬいぐるみ、父さんが皐月の4歳の誕生日にあげたものでな。あれからもう10年近く経ってるし、皐月は優しいから俺に気を遣って残してくれてるんだって勝手に思って、朝のごみ収集の時に一緒に捨てた…。んで帰ってきた皐月にそのことを話したら、声を震わせながら、あーそうなんだって下手くそな作り笑いで言ったんだよ」


「―――――」


「…けどその時はごめんって言葉が出てこなかった。むしろ、なんでそんな悲しそうな顔するんだって困惑したのを覚えてる。そしたらその日から、今まで分かった気でいた皐月のことがよくわからなくなってな…。ははっ、ほんと女心一つわからない酷い兄ちゃんだよな。ただあいつが大事にしてくれてたってだけの話なのに」


 そこからお父さんは深くため息を吐くと、私にほほ笑みかけて。


「近い存在だからこそ見えてなかったり、受け入れられないことってあると思うんだ。だから、彩芽が今悩んでることは何もおかしくなんかない」


「…おかしくない、の…?」


「あぁおかしくない。本当に良い子だな彩芽は。怖かったんだよな、誰にも理解されないんじゃないかって」


 いつの間にか視界はにじんで、自分が涙を浮かべていたことに気づく。


「ありがとう彩芽、父さんに話してくれて」


 まばたきをする度、ほおに涙がつたっていくのがわかる。


 それを見られるのが恥ずかしくて、ごまかすように笑顔で言った。


「ううん、私の方こそ、ありがとう。私はもう、大丈夫だから」


 お父さんはとなりでうなずいて、また遠くの景色に視線を戻した。


 涙もおさまって、私も同じようにただ前を向いてみた。


 目がうるおったからかわからないけど、目の前の景色はさっきまでより鮮明に映っている。



「あっ、そういやまだ言ってなかったな」


「どうしたの?」


 私が首をかしげると、お父さんは笑みを浮かべながら。


「父さんの病室のあるフロア、ちょっとした改築するらしくてな。病室変わると思う」


「そう、なんだ…。友莉姉にも言わないとだね」

     だめ

「あぁ、どこになるかわかったらまた連絡する」


「そういえば、なんで今日は屋上で待ってたの…?」


「この病院おっきいだろ?だからきっと絶景なんだろうなって思ってな。ここの患者だけはいつ来てもいいらしいけど、お願いして彩芽も特別に通してもらったんだ」


「そうだったんだ。ありがとう、連れてきてくれて。すっごくきれい」

   ちゃだめ

「あぁ。でも風強いし体も冷えてきたな。悪いけど彩芽、先に病室に戻っててくれるか。父さん最近ちゃんと運動できてなくてな、もう少し散歩してから戻るわ」


「うん、わかった。また後でね」



 気づいちゃ、だめ

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