38話 主観的ボトルネック【2】


「友莉姉、私このままお父さんのとこ行ってくるけど…」


「ごめん、ちょっと先行ってて」


「わかった。それじゃあまた後でね」


「彩芽」


「ん?」


「卒業おめでとう」


「うん…!友莉姉も、おめでとう」


 長いようで短かった六年間も今日で終わり。


 校門前は来賓らいひんのご両親やお世話になった先生、卒服を身にまとった同級生でにぎわっている。


 そんなお祭りさわぎの中で、友莉姉とお祝いの言葉をかけ合って、私は一足先にお父さんがいる病院に向かった。


 友莉姉も周りにいた友達とひとしきり話し終えたら、追って病院に来るはず。


 友莉姉はこう…人望?っていうのかな。


 人を寄せ付ける魅力のようなものがある気がする。


 いつだって変わらない、私の自慢のお姉ちゃん。


 卒服を着たまま最寄りの駅に向かう途中で、これまでの学校生活を振り返ってみる。


 本当に色んな人のお世話になったな、私。


 学校の友達や先生、皐月さんに友莉姉、そしてお父さん。


 何か感謝を伝えられたらいいんだけど…


 信号を待ちながら、考え込むように目線を下に落とすと。


「花…」


 そこにはアスファルトの隙間から生える、あわい紫に中心が黄色がかっている小さい花が咲いてあった。


 そうだ…感謝のしるしにお花をプレゼントするっていうのは…


 そう思い立って、駅の近くにあるショッピングモールを目指すことにした。


 中に入ってすぐに案内の地図を確認して、お花屋さんのある場所まで足を動かす。


 お花屋さんの中に入ると、そこは人の声や足音であふれている店前とは全く異質の、物静かな空間が広がっていた。


 スペースは人一人通れるくらいの窮屈さだけど、周りは鮮やかに彩られたお花がいっぱいで、今まで感じたことのない居心地の良さがあった。


「なにかお探し?」


 一人店の中できょろきょろと周りを見渡していると、レジ前に立つおばあさんに声をかけられた。


「あ、えっと、私今日卒業式だったから、ありがとうを伝えたい人がいるんです」


 すると、おばあちゃんは考え込むように「うーん」と声をもらして。


「ならカーネーションを送ってみるのはどう?」


「カーネーションって、母の日によく見る?」


「えぇ、感謝を伝えたいなら、このピンクのカーネーションなんてどうかしら。お嬢ちゃんによく似合ってるもの」


「私に、ですか?」


「お花っていうのはその贈り主によって、込められた思いの色が変わると思うの。大事なのは『何を贈るか』じゃなくて『誰が贈るか』ですもの。だから、お嬢ちゃんの贈るピンクのカーネーションなら、きっと素晴らしいお花になるわ」


「それじゃあ…ピンクのカーネーション、ください…」


 真っすぐに目を見つめられて言われたのが恥ずかしくて、少しうつむいてボソボソとそう言った。


「ふふっ、ありがとう。ちょっと待っててね」


 しばらくして、おばあさんから透明なビニールに包まれたピンクのカーネーションを受け取る。


「はい、どうぞ。一本はお嬢ちゃん用におまけね」


「えっ、でも…ううん。ありがとう、おばあさん」


 今度はきちんと目を見て言葉を伝える。


「えぇ、卒業おめでとう」


 心が暖かい。


 「花は贈り主によって思いの色を変える」、本当にその通りだと思った。



 ◇◇◇



 見慣れた真っ白な廊下を歩いて、見慣れた真っ白なドアをノックする。


 すると中からいつまでも聞いていたくなるくらい、優しい声がした。


 そのままドアをぐっと開けて、もぞもぞと足を踏み入れる。


「おぉ!その服よく似合ってるな、彩芽」


 お父さんはベッドに足をのばしながら腰かけていた。


「えっと、そうかな…?」


「あぁ、すっごく!!」


「あはは、ありがとう。えっと、友莉姉はまだ友達と話してたから遅れてくるから。でももうすぐ来ると思う」


「そうか。小学校卒業おめでとう、彩芽。ごめんな、卒業式にも行ってやれなくて」


「ううん、気にしないで。それより…その…はいこれ」


 お父さんのいるベッドに歩み寄って、一本のカーネーションを手渡す。


「これは…」


「来る途中で買ったの。なんていうか、日ごろの感謝を伝えたいなって思って…」


「―――そうか…そ、うか…ありがとうな、彩芽」


「先に言われちゃった。いつもありがとう、お父さん」


 お父さんは目に涙を浮かべながら「あぁ」と言うと、気持ちを落ち着かせるように私に質問を投げかける。


「このピンクのカーネーション、どこで買ってきてくれたんだ?」


 私は丸椅子に腰かけて話を続けた。


「駅近くのショッピングモールにあるお花屋さん。そこでおばあさんが、感謝を伝えたいならピンクのカーネーションを贈ったらどうかって」


「そうだったのか。カーネーションは母の日に贈るようなイメージがあったが、感謝を伝える際にも用いるものなんだな」


 母の日…


 ふとよぎった疑問。


 いつもなら怖くて絶対にしないような。


 でもこうやって成長の節目を迎えた今なら受け入れられるかもしれない、そう思って。


「ねぇ、お父さん…」


「どうした?」


「私たちのお母さんって、その…。どんな人なのかなって…」


「―――――」


「ご、ごめん。やっぱり今の忘れて…!」


「…いや、父さんの方こそ悪かった。ずっと気になっているんだろうと思っていたのに。二人の優しさに甘えて、先延ばしにしてた」


 お父さんは正面の白い壁を遠い目で見つめている。


 反省の言葉とは裏腹に、その表情は今までにないくらい穏やかに見えて。


「詳しいことは話せないけど、そう遠くない内に会えると思う。だから今、父さんに言えるのは一つだけだ」


 いまいち言いたいことが伝わってこない。


 そんな私を見すかすように、やさしく笑いかけながら言った。


「大好きになれる人をいっぱい見つけるといい。それでいつか、その人たちとの話をお父さんにも教えてくれたら嬉しい」


 …ずるい。


 いつだってお父さんは私と友莉姉のことばかりで


 いつだって私と友莉姉は何も知らないままだ。


「…私は…」


「ん?」


「いつか皆で、仲良くお話しできたらって…思うよ」


「…あぁ、そうだな」


 お父さんは優しい手つきで私の頭をなでる。


 久々に感じるこの手の感触が、うれしくて、恥ずかしくて。


 次になでてもらえるのは、中学校を卒業した時なのかな、なんて思ったりして。



 ◇◇◇



 友莉姉といつものように病院を出て、並んで駅の方に歩き出す。


 川の向こうから照らしつける夕焼け。


 前まではあんまり好きじゃなかった気がするけど、今はちょっとは好きになれたような気がする。


「友莉姉、友達とはちゃんと話せた?」


「うん、話しててちょっと泣いちゃった。変だよね、ほとんどの友達は中学も一緒なのに」


「そんなことないよ。私も、こう…ありがたいなって思ったから」


「おーなんか大人。だからカーネーション買っていったの?」


「うん。後三本あるから、友莉姉と皐月さんにもあげる」


「ありがとう。あと一本は誰の?」


「これは私の」


「あっはは、そうなんだ。私も何か買っとけばよかったー、お父さんすっごく喜んでくれたでしょ」


「そう…だったんだけど。でも、私が…」


「何かあったの…?」


「その、お母さんについて聞いちゃって…」


 そう言って私が足を止めると、友莉姉も目の前で立ち止まって。


「―――それで、お父さんはなんて…?」


「お母さんとは遠くない内に会えるって、言ってた…」


 お父さんのあんな顔、初めて見た。


 うれしそうな、さびしそうな、色んな気持ちがごちゃまぜになったみたい。


「友莉姉…これって、どいうことだと思う?」


 友莉姉は少しの間固まったかと思うと、ゆっくりと首を左右に振る。


「…ううん、よく分かんない。今日はイベントがいっぱいで疲れたし、早く帰ろっか」


「う、うん。そうだね」


 大好きになれる人をいっぱい見つけるといい…


 私はただお父さんに友莉姉、皐月さんと一緒にいられるだけで


 …これ以上考えるのはやめよう


 ふりはらうように再び歩き出して、気づかないふりをした。


 お父さんのことも


 隣りを歩く友莉姉の歩幅が、私より少しだけ大きいことにも。

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