37話 主観的ボトルネック【1】


 石畳の道をゆっくりと歩き続ける。


 三年も前なのに、懐かしさすらも今は感じない。


 だって何度も思い出してきたんだから。


 その度にもっと自分のことが嫌いになれた。


 ただ嫌いになるだけで、何もしてこなかったくせに。


 なんで私、こんなことして…


 考えているうちに着いてしまった。


 本当におかしな話だと思う。


 あれから一度だって来れなかった場所に、こんな時に限って。


「やっぱり…友莉姉みたいになれなかったよ…」


 そう呟く声は行き場もなくふわふわと静寂の中を漂うだけ。


 そう分かって心から安心できた。


 今もずっと一人だけなんだって実感できるから。




 ――――――――――




「速すぎだって友莉姉っ…!」


「彩芽だって他の子よりずっと速いよ!」


 草がいっぱいの広場を全力でかける。


 雲は一つもなくて太陽の光が気持ちいい。


 だから今日はなんとなく追いつける気がしてたんだけどな。


 でも負けてもちょっとうれしくなるのは、何でなんだろう。


「もうっ…だめっ…」


 疲れきってその場でへたりこむと、友莉姉はかけ足で私の元まで向かって来る。


「ほら、座ってたら服が汚れちゃう」


 友莉姉は少しかがむようにして、私に右手をさしのばした。


「ほんとだ。お父さんに何か言われちゃうかな?」


 その右手を引っぱって、勢いをつけて立ち上がる。


「きっとお父さんのことだから笑っちゃうんじゃないかな」


「うん、そうかも」


 くすくすと笑い合って、そのまま私たちは近くの病院に向かった。


 今日はなんの話をしてあげよう。


 友莉姉とお父さんのいる病室の前に着いて、重たいドアをぐっと開ける。


 そこには真っ白な部屋の中で、立って窓の外を見つめているお父さんがいた。


「おぉ友莉、彩芽。今日も来てくれたのか。って…なんか息あがってる?」


「うん!友莉姉といつもみたいに近くの広場で遊んでから来たの」


「彩芽が追いかけっこしたいってうるさいから、また走らされた」


「本当に仲いいな二人とも。で、彩芽はまた友莉に負けたのか」


「うん…でも今日はちょっと惜しかったんだ。次は勝てると思う!」


「ふーん、でも私まだ体力あったもん。これからも彩芽に負けることはないかなー」


「最後はばてちゃったけど…とにかく次はいけるの!」


 友莉姉とお互いににらみ合っていると、いきなりお父さんはプッと笑い出した。


「ははっ、だから彩芽だけズボンが薄汚れてるのか。もう10歳なんだから買い物とかでも行ってきたらどうだ?」


 お父さんが笑ってるのを見て、友莉姉とこそこそとささやき合う。


「やっぱりだったでしょ、彩芽」


「うん、やっぱりだったね」


 それを見たお父さんはおかしそうに首をかしげた。


「どうした?二人して」


「ううんなんでもない。次は彩芽と洋服買いに行ってくる!どんな色が似合うかな、私たち!」


「うーん、お父さん的に友莉は白色で…彩芽は紫色…とかかな?」


お父さんが言うと、友莉姉は頬をふくらませて。


「えー私、黒色がいい。なんかかっこいいし!彩芽もそう思うよね?!」


「私はお父さんの言った紫が一番好き、すっごくキレイって感じする」


友莉姉とのやりとりを見て、お父さんはまたくすくすと笑っている。


「まぁとりあえずそこらに座ったらどうだ。他にもいっぱい話はあるんだろ?」


 言うと、お父さんはゆっくりとベッドに座った。


 それを見た友莉姉もお父さんの左どなりに座る。


「今日は私がお父さんに近い方だったもんね」


「うっ、そうだった…友莉姉の上に乗るのじゃだめ?」


「だーめ、週ごとに交代なんだから今日は私」


「いじわる…」


 先週は私のひざの上に勝手に乗ってきたのに。


 しんどくなってすぐ下ろしちゃったけど。


「それなら彩芽はお父さんの右側に来るか?」


 お父さんは右手でベッドの上をやさしくポンポンとたたく。


「ううん、我慢する。それだと友莉姉とも離れちゃうし…」


「まだまだ子供だね、彩芽は」


 友莉姉はからかうように私のほっぺたをぐりぐりとおしてくる。


「友莉姉だっていっつも私の隣にいる」


「そぉ、それは彩芽が寂しがるかなーって思っただけ」


 お父さんは友莉姉と言い合ってるのを見てうれしそうに笑いかける。


「それで、今週は学校の友達とどんなことしたんだ?」


「そうそう!体育でたまたま彩芽のいるクラスと一緒に授業してね」


「あっ友莉姉、私もその話するつもりだった!」


 そうやっていつもみたいに三人で笑いながら話し始めた。


 お父さんも友莉姉も、本当に楽しそうに


 窓から見える空は今日もすいこまれるくらいに青くて、たくさんの木はさっきの広場みたいに緑でいっぱい。


 こんな日が、ずっとずっとつづけばいいのに



 ◇◇◇



「それじゃあね、お父さん」「また来週も彩芽とくるから」


「あぁ、ありがとう。気をつけて帰れよ二人とも」


 あっという間に夕方になって、お父さんに向けて手をふりながら病室を出る。


 水曜日には体育館で音楽会があるから、次来たときはその話をお父さんにしてあげよう。


 廊下を歩きながら友莉姉にそのことを話そうとして。


「友莉姉、水曜の音楽会なんだけどさ…」


「だめだよ彩芽、お父さん来れないって言ってたんだから」


 前までお父さんが音楽会に来れないことにさんざんダダをこねていたから、友莉姉は勘違いしてそう言った。


「…それはもう…わかってるよ…」


 けど今から、次は音楽会の話をしようって言おうとは思えなかった。


 病院を出て、駅のある方向に友莉姉と歩き出す。


「ねぇ彩芽、今日の晩ご飯なんだと思う?」


 並んで歩いている友莉姉は顔をこっちに向けて、ニッと笑いながら聞いてきた。


「うーん、皐月さつきさんの作る料理どんなでもおいしいし。何でもいいかな」


 皐月さんはお父さんの妹で、お父さんの体調が悪くなった一年くらい前から、一緒に住んでいる優しい美人のお姉さん。


 不器用なお父さんと違ってお料理がすごく得意。よく教えてもらうこともあるけど、あの人に追いつける日が来るとは思えないくらい。


「じゃあ晩ご飯なにか当てた方が勝ちね。私ハンバーグ!彩芽は?」


「なら私は麻婆豆腐にする。冷蔵庫にお豆腐あったし」


「あっずるい、ならやっぱりオムライス!卵あったもんね。早く帰って確かめなきゃ」


 よーいどんのかけ声なしでも同時にダッと走り出す。


 横を流れる川の向こうにはいつものキレイな夕焼けが広がっていた。


 でも今日が終わっちゃうんだって思うから、この景色はあんまり好きじゃなかった。



 ◇◇◇



 エレベーターを使って三階。


 鍵を使ってドアを開けると、友莉姉は先にすべりこむように家の中に入る。


 おいしそうな匂いに、テレビの音が聴こえるリビングへと向かうと、皐月さんはちょうどエプロン姿でお台所に立っていた。


「お帰り二人とも。ちゃんと手は洗った?」


「ねぇねぇ皐月さん!今日の晩ご飯なに?!」


「今日はハンバーグ。今から焼くところだからちょっと待ってて」


「うわぁやっちゃったっ!!彩芽、さっきのなし!」


「今回は引き分けだね、友莉姉」


 手で頭をおさえる友莉姉に笑いかけると、友莉姉は「もー」って言いながら洗面所に向かう。


 それを見た皐月さんはほほ笑みながら。


「また勝負してたの?」


「うん。友莉姉、最初に今日はハンバーグだーって言ってたのに、途中で変えちゃったの」


「あはは、そうなんだ。竜は元気にしてた?」


「うん、元気してたよ!」


 お父さんの名前は竜堂りんどうだけど、妹の皐月さんは短く竜ってよんでる。


 学校のみんなは私のこと彩ちゃんって呼ぶから、私も友莉姉のことそういう風に呼べたらステキだなって思ったけど、二文字だけだからだめだった。


「皐月さん早く食べたーい!」


 友莉姉はすぐに手を洗い終えると、ドタドタと歩いてきていすに座った。


「はいはい、食いしん坊さん。彩芽ちゃんも手、洗ってきてね」


 友莉姉はほんとによく食べるから、前にからあげが出てきた時はいつの間にかほとんど友莉姉が食べてて…泣いた。


 ハンバーグの形をなれた手つきで作り始める皐月さんを見て、小走りで洗面所まで向かう。



 ◇◇◇



 今日も三人でご飯食べて、お風呂にも入って、友莉姉とゲームして、歯みがきして。


 毎日してることなのに、毎日が楽しい。


 こうやって暗い部屋の中で、布団の中に入るたびに同じようなことを思う。


 日曜日はお父さんにも会えるから、今日はもっと楽しかった。


 それを友莉姉と楽しかったねって言い合えることが、何よりもうれしい。


 友莉姉がハム太郎で、私がロコちゃんみたいな感じなのかな?


「友莉姉ってハムスター好き?」


 聞いてみると、となりで横になっている友莉姉は首を左右にふった。


「好きだけど…彩芽のその笑顔見てると好きって言わない方がいい気がする」


 …やっぱり友莉姉も人間の方がいいのかな。


「なら、私と友莉姉で半分はハムスターで半分は人間だね」


「そういうのホラーって言うんだって。あとなんか、かわいくないからやだ」


「私、かわいいものだと思ってた…ならしずえさんもあの姿は嫌なのかな…」


「しずえさんは犬だって友達いってたよ?半分ハムスターはハムスケなんじゃないかな」


「そっか…ならハムスケにごめんなさいしないとだね…」


「そういうの合成獣キメラって言うんだって。うん、謝らないとだね」


 会話も終わってシーンと静かになると、時計の音だけがチクタクと耳に入る。


 たまにバイクの走る音が聞こえてくると、起きてる人が他にもいるんだって、ちょっと安心したりして。



 今日は、本当に楽しかったな


 お父さんが音楽会に来れないのは残念だけど、皐月さんは来てくれるもんね


 ………


 私と友莉姉のお母さんは…今なにしてるんだろう


 ぼんやりと覚えてるのは、私と友莉姉が本当に小さいときに後ろからのぞきこむようにして見ていた、お父さんが玄関で女の人と言い合ってたあの光景だけ


 たぶん皐月さんじゃなかったし、あれはお母さんだったのかな…?


 あの時のお父さん、ちょっと怖かった…


 でも私たち家族のために怒ってくれてたような、そんな気がする


 いつお父さんの体調はよくなるんだろう…


 また、かっこいいネクタイ姿のお父さんが見てみたいな


 早くあの頃みたいに、ずっと楽しく三人で過ごせたらいいのに


 今は大好きな皐月さんもいるから、四人でかな


 考えると楽しみになってくるはずなんだけど、


 今はちょっと、さびしい…



「友莉姉、おきてる…?」


「うん…?どうしたの」


「手、にぎっててもいい…?」


「子供なんだから、彩芽は…」


 友莉姉は右手を布団の中にもぐりこませて、私の左手をギュッとにぎった。


 本当に、あったかい


 うん、これだけでいい


 安心したら、どっと眠くなってきた…


「ありがとう、友莉姉。優しくしてくれて」


 今の、声にでてたかな



 家の中も外もまっくらで


 うっすら見えていたはずの部屋の中はもうなんにも見えなくなって


 聞こえてたはずの時計の音はすっごく遠くにあるように思えて


 そしたら何も考えられなくなって


 ただ最後にあったのは



 また、みんな一緒に

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