36話 錦を飾れ


 なんで、この人はこんな…


 目にしたものに驚きで呆けていると、坂本先生は独り言のように呟く。


「自分の吐いた言葉を疑うってのは、そう出来るもんやないんやけどな」


 俺も再び椅子に座り、そこから少し間を開けてから、これまでのやり取りについて言及した。


「図ってたんですよね…。話してたこと全部」


「全部、ときたか。なんでそう思ったか聞いてもええか」


 墓穴を掘ったにも関わらず、坂本先生は今も平然としていた。


 自分は本当に嘘を暴いたのかという、 肩透かしを食らったような気分だ。


「…瓦解するからですよ。先生の発言の全部は歯車の全部、どれか一つでも抜けると全てのつじつまが合わなくなるんです」


 そもそも推薦候補者の中で友莉と彩芽だけが、人助けをするという名目一つで転部するなんて、おかしな話だったんだ。


 でも俺は無意識のうちに、友莉と彩芽を特別扱いして、そのことを考えもしなかった。


 それも坂本先生が二人を推薦した理由を明言せずに、俺に悟らせる形で上手く立ち回ったからだ。


「言い切ったもんやな。存外、浅岡も上手いこと言いおる」


 それこそ嘘であって欲しかったが、坂本先生は否定しない。


 先生が俺と別れて部室に来るまで約5分程度。


 そのあまりに短い時間の中で、あんなにも精巧で一切の矛盾を作らない話を考えついたってのか。


 それとも、あらかじめ俺が「なぜ他の生徒をお助け部に推薦しないのか」という疑念を持つことを想定していたのか。


 どちらにしても、表上の理由だとか一喜一憂しているような様相が全て嘘だなんて…はっきり言って狂気的だ。


「どうして…嘘までついたんですか」


「私の何てことないぼやき一つを持ち出したくらいや。それもなんとなく目星はついとるんちゃうんか」


「いい加減、先生の口から聞かせてください。俺だって半端に知るつもりはないです」


 一向に自分の口から語ろうとしない坂本先生に、俺は痺れを切らす。


 すると坂本先生は考え込むようにして目を伏せると、ようやく口を開いて。


「友莉と彩芽をお助け部に推薦した理由、それを話すわけにはいかんかったからや」


 くっそ…なんなんだよ


 自分の考えは間違っていなかったという事実が、ただ悔しくて仕方がない。


 本当にいつだって、俺は遅れてばっかりだ。


 だから今度は


「坂本先生はあいつらの過去を知ってますよね。それを今ここで、教えてくれませんか」


 これが野暮だということは百も承知だ。


 この人は知っているんじゃないかと薄々感づいてはいたが、「話すわけにはいかない」という言葉で確信した。


 この場で人には話せないことの真意なんて、友莉と彩芽の過去をおいて他に無い。


 俺が今知りたい答えそのものだ。


「自分が何を聞こうとしてるか、わかっとるよな」


 怒られるかと身構えたが、坂本先生の言葉に敵意は全く感じられなかった。


 それどころか、ひとり確認するかのように俺を見据えている。


「はい。そのつもりです」


「なら教えてくれ。なんでそこまでして、あいつらと関わろうとすんのか」


 食い入るような目で坂本先生は俺を問い正す。


 どうしてなのか、なんてこっちが聞きたいくらいだってのに。


 はっきりとしたことなんて何一つない、ただの屁理屈。


 それでも俺は、自分に何度も問いかけてきた答えを口にする。


「友莉と彩芽には、絶っ対に笑顔が似合うからです」


 …いいや、これだけで十分だ


 本気でそう思えるくらいに、自分でも少し笑ってしまった。


 それを聞いた坂本先生も気持ちいいくらいに高笑いしながら。


「ははっ似合わんなぁ浅岡っ、その言葉」


「友莉にも同じようなこと言われました。これは受け売りなんで勘弁してください」


 二人して笑われるって、どんだけそれっぽい言葉が似合わないんだよ。


「おもろいこと言うなぁそいつは」


 そこから坂本先生は深く一息つくと、落ち着き払うようにして話を戻す。


「なら、もう一つ教えてくれへんか。なんであいつらの過去を今、私から聞こうとすんのか」


「…知っておくべきだと思ったんです。『自分ならできる』なんておごりは…もう要らないんです」


「―――――」


「過信じゃなく確信が欲しい。知った後で、俺はあいつらから言葉を聞きたいんです…!まだ、聞けてないことがあるんです」


「そっから決めるわけでもなく、あくまでもか…」


 俺が縦に頷くと、坂本先生はどこか目線をそらして。


「やけどな、ここで私があいつらの過去を話したとして。これまで二回も嘘をついた私の言うこと全部を信用できんのか」


 そういえば彩芽が部室に来た時も、自転車の鍵がないだとか嘘の案件を受けさせられたっけか。


「であれば三度目の正直ということで問題ないです」


「お前そんな言葉遊びで…」


 肩をすくめる坂本先生に、俺は笑って見せる。


「なら、そうですね。坂本先生の、あの嬉しそうな表情を信じることにします」


 坂本先生は何について言ったのか気づいたように、驚きで目を見開く。


 そう、俺が嘘を暴いてすぐの坂本先生は、そんな顔をしているように見えた。


 あれで隠しているつもりだったなら、意外とわかりやすい人だ。


 坂本先生は立場上、友莉と彩芽に関する話しを自ら切り出すことは出来ない。


 俺がもしあの嘘に気づかなければ、ここまで話が発展することもなかっただろう。


 本当に、どこまで図ってたんだか…


「ほんっまに生意気やな、お前は」


 そう吐き捨てると、坂本先生はようやっといつもの淡々とした口調に戻る。


「よく聞け浅岡。あいつらのプライバシーを侵害する以上、私は教職を辞める。教職員のモットーである守秘義務を破ることになるんやから、これはもう当然や」


 驚くことすら許されないほどに、この人は本気だということが伝わってくる。


 坂本先生の顔が、目が、態度が、言葉の強さがそれを鮮明に物語っていた。


「やけどな、浅岡。お前が事態を全て上手~いことまとめることができたなら。この必要はなくなる。やから大事な先生のためにも、浅岡」


 そこまで言うと、坂本先生は口の端を吊り上げて。


「死んでも友莉と彩芽を部室に連れ戻してこいや」


 言われるまでもない


「はい…!足をへし折ってでも連れ戻してきます」


「あぁ」






「いやほんまにへし折んなよお前」


「え?は、はい、ただのものの例えなんで。はい」


 締まらねー


 そんなに俺の目がマジに見えたのか。


 坂本先生も同じようなことを考えたのだろう、今日何度目かの大きなため息をついて椅子に背をつける。


「変わったな。浅岡」


「えぇ、そうかもですね。ここ最近は、個性の強い連中に揉まれてばかりでしたから。もちろん坂本先生も含めて」


 悪戯いたずらっぽく言うと、坂本先生は口元をほころばせる。


「…そうやな。あいつらがお助け部に入るまで、順を追って話そか」


 そう言うと坂本先生は、ぽつりぽつりと優しく紐解くように語り始めた。


 窓からは夕日が差し込んで、教室全体が穏やかな茜色に彩られていく。



 …だとしても



 部活の終了時刻には、まだ早い。

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