8話 多花栗友莉は飾る

「あの車っ!」


 横を走る多花栗が指さした。


 坂本先生の乗る黒の車は、今にも正門を通って学校外へと出ようとしている。


「チッ、浅岡はそのまま追いかけて!」


「はうぇ?!」


 言うと多花栗はきびすを返して、坂本先生の車とは反対方向の来た道をすごい速さで走っていく。


 トイレか?!急な便意なのか?!?!


 酸素切れで思考が明後日の方向にいく。


 とりあえず今はあの車を追いかけるしかない。


 およそ50メートル。


 くっそ間に合わねぇ…!


「先生!坂本せんせっ…!!」


 必死に張り上げた声も届くことはなかった。


 正門についた時には、坂本先生の車はこの山の上にある高校を出て坂を下っていく。


「…っはぁ…だめ、か…」


 ほんと何やっても遅いな俺。


 結局なんもできずに


「浅岡乗ってっ!!」


 膝に手をついて項垂れながら目を向けると、自転車に乗った多花栗が隣まで来ていた。


 間に合わないと踏んで、裏門近くの駐輪場まで自転車を取りに戻ったのか…


 けど、もう二人は完全に息を切らしている状態だ。


「いや…乗っても負担になるし、てかもう間に合うわけ…」


「今あんたが行かなきゃ意味ないじゃん!!」


 なに言ってんだって、さっきまでの俺ならそう思ったんだろうな。


 今なら多花栗がそう言うのも、なんとなくだけどわかる。


「だな、頼む」


 俺は多花栗の後ろにまたがった。


 なるほどな。


「これが青春アオハルか」


「いや絶対逆っしょ」


 多花栗が前傾姿勢でぐっと力強くペダル踏むと、二人を乗せた自転車はものすごい速さで坂を下っていく。


 こういう時、どんな顔すればいいのかわからないの


 男としての矜持が吹き抜ける風に乗って流されていく。


 にしてもこいつ身体能力高すぎんだろ…


 余計なことを考えている間にも、自転車は勢いをつけながら、ぐんぐんと前へ進む。


 ついには一台の車が、坂を下り終えた赤信号の前で停車しているのが見えた。


「おおっ先生の車だ!運よく信号で止まってんぞ!!」


「でもっ、きつい!かもっ…!」


 言ってる間に青になってしまった。およそ30メートルを切っている。


 しかし相手は自動車、このままじゃ到底追い付けそうもない。


 やっぱりここは声をあげるしか…


 でもさっきみたいにただ声を大にするだけじゃだめだ。


 多花栗の体力の限界も近い。


 おそらくこれが最後のチャンス。


 鞄から教科書を取り出し、それをサイレンのように筒状に丸め口を当てる。


 ありったけを絞りだせ、今の俺にできる全てっ!!!



「あーそこの黒の軽の車!!ちょぉぉーーーっと左に寄せて止まってもらえるかなーー?!?!」



「あんたなに言って…」


 すると坂本先生の車は、素早い挙動で指示通りにスッと左に寄せて止まった。


「えぇ…」


「よっしゃ止めてくれ多花栗!!」


 俺は自転車から降りて、かけ足で車の元へ向かう。



 ◇◇◇



「あのなぁお前ら。二人乗りは立派な道路交通法違反なんはわかっとるよな」


「「はい」」


 あれから俺は坂本先生と学校へ戻り、お助け部の入部手続きを終えた。


 今はそのC棟四階にあるお助け部の部室で、多花栗と正座で説教を受けている。


「後あの悪質な呼び止め方。ネズミ捕りかと思ってビビり散らかしたわ」


「「すみませんでした」」


「はぁ…今回は大サービスで見逃す。浅岡に伝えそびれてた私にも責任はあるしな。だがその分、お助け部で成果を残してもらう。ええな?」


「「はいっ!」」


 一区切りついたところで、俺は坂本先生の顔色を伺いながらも、おそるおそる尋ねた。


「ところでよかったんですか先生、そのー用事…?」


「あぁ。めいっ子が熱だしたから様子見るように言われてたんやけどな。さっき連絡したら、もう他の親戚が面倒みてくれとったから問題ない」


「そうでしたか、すみませんでした。報告するのが遅くなってしまって…そんで…こんなことになって…」


「全くやな。と言いたいところやけど、まぁ浅岡のことや。なんか思うところがあったんやろ?」


「はい…」


「なにはともあれよく決断してくれたよ。ほんまに」


 なぜか坂本先生は安堵したように、柔らかい笑みを浮かべる。


 説教も終わると、多花栗は立ち上がって。


「改めて、ようこそお助け部へ。えっと浅岡…なに?」


浅岡沙星あさおかさとしな。そういや俺も多花栗の下の名前聞いてねぇな」


 俺も同じように立ち上がって多花栗に聞き返す。


友莉ゆり多花栗友莉たかりつゆり。言ってもすぐ忘れそうだねあんた」


「どの口が言ってんだよ…」


「自己紹介も済んだようやし、二人とも早く帰るように。部活動は明日からやぞ」


 もう6時過ぎか


 外も暗くなり始め、部活動に勤しんでる生徒も片づけを始める時間だ。


 先生はもう少し部室に残ると言うので、俺と多花栗は先生にさよならを言って、階段を下って行く。


 校内に人の気配は無く、二人の足音だけが薄暗い校内にカツカツと響く。


「ありがとうな。多花栗」


「なにが?」


「なんつーか色々」


「ははっ、なんそれ」


 そこから言葉を交わすことはなかった。


 俺たちは駐輪場について自転車にまたがると、多花栗を先頭に裏門から出る。


 横を往来する車のライトはくっきりとしていて、いつもの下校時刻からどれだけ経ったのかを教えてくれる。


 しばらくして、多花栗は右の交差点前で止まった。


 俺はそこを左に曲がって、坂を下りて真っすぐだ。


 このまま何も言わず帰ってもいいけど…まぁ一応な


「…んじゃ俺、こっちだから」


「あーそうなんだ。じゃあ…はい」


 すると多花栗は右の手の平を俺に向ける。


「なにしてんの?ミット打ち?」


「してなかったっしょ。ハイタッチ。」


「いや…してたら怖いだろ」


「はぁ~食えないなー浅岡。二人で頑張って先生の車止めたじゃん、その時してなかったでしょ。だから、ほら」


「ほらって…」


 多花栗はじっとこっちを見つめたままだ


「……っはぁ、んじゃいくぞ」


 パン、と空気のはじける音が、車の走行音の中でもはっきりと響いた。


 同時に多花栗の待つ信号が青に変わる。


「じゃ、また明日ね」


「あぁ、またな」


 道路を渡って真っすぐに自転車を走らせる多花栗の背中を見つめる。


 本当に変わったやつだ、調子が狂うというか。


 けど、あいつのおかげなのだろう。


 前より少しは変われた気がするのは。


 俺も止まっていた足を動かして、勢いをつけて坂を下って行く。


 今日の二人乗りが頭によぎる。


 雨上がりの風は冷たいけど、今だけは心地がよかった。



 ◇◇◇


 靴を脱いで、明かりのつ点いたリビングのドアを開ける。


「ただいま、洗剤ここ置いとくぞ」


「おかえりー。今日遅かったね、あと雨降らなかったでしょ」


 とっくに家に帰っていたかえではテレビを見てくつろいでいた。


「知ってたのかよ。だからあの時なんか言いかけたのか」


「雨降らないって言って降ったらなんか嫌だし」


 まぁ、数分だけ通り雨は降ったけど…


「そういえば最近バイト行ってないよね。どこか体の調子でも悪いの?」


「あー…その。実はあのバイトやめちゃって…」


「えっそうなの?!他に魅力的なバイトでも見つかった?」


「いや、言い方が悪かった。えーっと少し複雑なんだけどさ…」


「うん」


「俺の高校が原則バイト禁止になってさ…先生に勧められた部活に入部することにしたんだよ。そこで活動することで食券が楓の分も二食分もらえてな。んでその入部手続きの時わかったんだが援助金も少しもらえるとかで…」


「何そのダブルでおいしい最高の部活!なにするところなの?!」


「えっと…」


「うんうん!」


「人助け…なんだけど」


 言うと楓は固まってしまった。


「えっと、楓?」


「おにぃが…」


 すると、楓はぷいと顔をテレビの方へ向けた。


「へ、へーまぁ日々精進するよう、、に」


「上司かよ」


 楓の声は少し震えていた。


 あの一件から色々迷惑かけたよな。


 それでも今は


「ありがとう。楓」


「は…なんか、意味わかんない…でも、うん。応援してるから」


 この選択が間違いなのかはわからない。


 それでも、俺はまたそこに足を踏み入れる。


 だから


 今度は正しかったって、そう思えるように。

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