7話 バカばっか

 そこからは早かった。


 いじめられていた楓、いじめていた楓の同級生にも怪我は確認されなかった。


 その際、周辺に目撃者もいなかったため暴行行為は事件化せず、俺も楓の同級生も警察のお世話になることはなかった。 


 しかし、父親はレッテルをはられるのは御免だと言った。


 きっと離婚の口実になるいい機会だと思ったのだろう。


 そのまま両親は離婚し、俺たちが高校に進学する頃には、母は俺と楓を引き取り少し離れた場所に引っ越した。


 あれから見える景気も、人間関係も大きく変わった。


 俺や楓もその環境に感化されながらも、反省して、踏襲して変わっていった。


 けれど三年経っても変わらない、変えられないものもあった。


 そこに行くべきだとわかっていても、いつまでも足が抜けない。


 いつもそんな自分に言い訳をして、いつもそんな自分を許して。


 だからこうやって思い返すことにも意味なんてない。


 だって、わかりきってるから。


 人はいつかは慣れる。


 慣れた人間はなぜこんなことをしているのか、なぜこんなことをされているのかさえ意識しなくなる。


 それは優しさも例外じゃない。


 だから知らず知らずのうちに求めてしまう。


 杉原が俺を責めたのもきっと、その優しさに慣れてしまったからだ。


 人を大切にすること 人を大切にしないこと。


 これらは表裏一体だ。


 わかっていた。


 それでも人を助けようとした俺は、そこに足を踏み込んでしまった。


 だから


 間違った。




 ――――――――――




 今、何限目だ…?


 目を開けると、六限目の授業はもう終わりに差し掛かっていた。


 六限目は眠いの通り越して、全身が倦怠感でいっぱいになるな。


 それこそ寝てた方がましなんじゃないかと思うくらいに、授業の内容が頭に入らない。


 ちゃっかり寝てたわけだけど。


 窓から外を眺めてみると、空はまだ雲で覆われていた。


 行きは雨が降ることはなかったが、今日は早いとこ帰った方がよさそうな気がする。


 ホームルームも終わって、放課後。


 友達と今日の出来事を話したり、帰りに寄る店の話をしたり、今日までの課題を一人机の上でしたり。


 みんなまだらになってやりたいことをして、教室が穏やかな喧噪に包み込まれる、そんな時間だ。


 俺もそれにのっとって、そそくさと教室を出ようとした時。


「おい、浅岡」


 やっぱり呼び止められたか…


 担任の坂本先生は、どこか浮かない表情をしていた。


 初めて見た気がするな、この人のこんな顔。


 俺は軽く頭だけ下げて、教室を後にした。


 きっとこのせいだ。


 人助けが~なんて話しをされたから、あの時の出来事を鮮明に思い出したんだ。


 んなことよりバイトだな、少し離れた所ならバレないだろ。


 あれやこれや考えながら一階に下りたところで、見覚えのある姿が目に入った。


「あれは…」


 たしか多花栗たかりつ、だよな。上着あんな着崩すのあいつぐらだろうし。


 お助け部に一人所属していた威圧感のある女子生徒だ。


 というか職員室横の看板前で何してんだ。


 勘ぐるような目で見ていると、向こうもこっちに気づいた。


 というかなにこっちくるんですけど…


「手伝って」


「…は?」


「このプリント。学校のそこらに貼ってんの、ほら早く」


「嫌でs…っておおいっ!」


 多花栗は俺にそのプリントの半分を押し付けると、横を通り抜けて二階に上がっていく。


 20枚ぐらいあるんですけど…


「って、これ」


 そのプリントの内容を見て思わず目を丸くする。


 お助け部 なにか悩み事や手伝ってほしいことがあればC棟四階、上がって右端の教室までと記されている。


 多花栗はお助け部の部員なのだから、こういった活動は当然といえば当然だ。


 だが半ぐれのヤンキーみたいな雰囲気してるこいつが、部員として殊勝なことをしてるんだ、驚きもする。


 部外者の俺に仕事を押し付ける最低なやつだけど。


 なんでここまで頑張ろうとすんだよ


「はよー、おは朝」


 その場でじっとしていると、階段の上から催促する声がかかった。


 こいつおは朝卒業してねぇし。


 ここで無視して帰るのも面倒…いや怖い。


 大きくため息をついて、重い足取りで下りてきた階段を再び上る。


 帰るまでに雨が降りませんよーに…



 ◇◇◇



 C棟の三階で貼り紙作業をしていたところに、ジャンパーに両手をつっこんだ多花栗がやってきた。


「おっ、あと2枚じゃん」


「…よくここで作業してるってわかったな」


「まぁあたしはA棟で作業してたしなんとなくここかなーって」


「そうか…」


 えこっわ野生の勘?あと2枚さぼろうと思ったけど俺もう一生逃げられないじゃん名前だけでも覚えられてなくてよかったおは朝ありがとーーーう!!!!!


「校内は済んだし、後は中庭と体育館のとこに貼ろうか。浅岡」


 終わり


「はい、行きましょう…」


 名前覚えてたのかよ、こいつにとっておは朝はあだ名感覚なのか…?


 階段の方へ向かう多花栗の後ろをついて歩く。


 互いに無言になるのも嫌だったから、昨日から気になっていたことを尋ねることにした。


「なぁ、一つ聞いていいか」


「ん?」


「なんでお助け部にこだわるんだ。あの部に所属してる以上、財政難なのはわかるけど、秘密裏にバイトすることぐらいできるだろ」


「そうなんだけど…」


 そこから多花栗は一度口を閉じた。


 放課後に入ってとっくに一時間は経過している。廊下に響く声は一つもなくて二人の足音がやけに大きく聞こえる。


「…あたし、バイトが校則で禁止になる前は、コンビニでバイトしてたんだけど。そこで一緒に入ってる、学校は違うけど同期の可愛い女の子がいてさ。シフトも同じでよく二人で帰ってたし、ほんとに仲よかったんだよ。でもその子、よくうちのコンビニに来るいかにもサラリーマンって感じの男の人に変に絡まれてて」


「―――――」


「んである日、その子が用事かなんかで先にバイトあがった夜。出てすぐのコンビニの駐車場でそのサラリーマンがその子に話しかけてるのが見えて。でもって、嫌がってんのに思いっきり腕とかつかんでどっか連れてこうとしてたからさ。ダッシュでそこまで行ってそいつぶん殴ったわけ」


「いやぶん殴ったってそれ…」


「そ。例の暴行事件、私」


 そこまでの驚きはなかった。


 なんというか、こいつならやるときはやりそうだ。


 多花栗は依然と落ち着いた様子で話を続けた。


「だから事件の張本人のあたしが万一バイトやってんのばれたら、退学させられるなんてことになりかねないし。んなことより、そうなった後でここの学校の規則が前より厳しくなったりしたら、またみんなに迷惑かけることになるでしょ」


 見たときから、何考えてるかわかんないやつだと思ってたが。


「意外と義理堅いな、お前」


「は?まぁ勝手に思っとけば。あたしはあたしのやりたいことやってるだけだし。あとお前じゃなくて多花栗だから」


 おは朝言っといて勝手なやつだな。


 中庭にも貼り終えて、俺たちは体育館へと向かった。


 やりたいことを、か…


「よし、ラストだね」


 俺は体育館を出てすぐの看板に、最後の一枚を貼り付る作業に入る。


「ありがとうね、手伝ってくれて」


「はいはい、よく言うよな押しつけといて」


 こっちは雨が降る前に早く帰りたいってのに。


 すると多花栗は俺の横顔を少し驚いたような表情で見つめていたが、気にせず作業を進めることにした。


 ここでつっこんだら、また変なことに巻き込まれそうだ。


「ほら、終わったぞ」


 全ての貼り紙作業を終えて、多花栗に視線を向ける。


「よし、んじゃ帰りますか」


 そう言うと、多花栗は体育館裏を通って、駐輪場に向かって歩き出す。


 どうしようかとも迷ったが、こっちも自転車通学なので俺もその後ろに続くことにした。


「あー疲れた。明日もこんな地味~な活動しないといけないのか…」


 ただ、落ち着かない気分だった。


「なぁ…もうひとつ聞いていいか」


「うん、いいけど」


 多花栗も足を止めて、俺の方に振り返る。


「後悔、してないのか」


「なにを?」


「…殴ったこと」


「してない。結果的に浅岡とかには迷惑かけちゃったけど、あれはきっと…間違ってなかった」


 多花栗は少し言葉を詰まらせたものの、その声色はあまりにもはっきりとしていて。


「…んで…」


「ん?」


「なんだよ、それ…人が助かったからよかったって。おかげでバイト禁止になったんだぞ。結局救われたのは、お前一人の思想だとかプライドだけなんじゃねぇのかよ」


 雨が降ってきた。それもかなり強い。


 平らなコンクリートにぶつかって跳ね返った雨粒が制服に染みる。


 こいつのことなんか無視して、さっさと帰っておけば良かった。


 すると多花栗は重苦しい表情を浮かべて。


「そう…なんだろうね。殴ったところで、あいつはまたストーカーを続けるかもしれない。バイトも禁止になって、教室のみんながあたしを憎んだ目で見てるんじゃないかって、ちょっと塞ぎこんでる時もあった」


 言うと、表情を一変させて、迷いを断ち切るように強く訴えかけてくる。


「けどやっぱ、あの時助けなかったら、なんてきっとなかったっ!」


 …んだそれ


「そのくらいあの友達が大切だった」


 こいつは…


「それからのことなんて考える余裕がないくらいに。本当にただそれだ…」


「だからその考えなしの結果がこれだっ!みんなが迷惑こうむって、間違ってないって言えんのかよ?!」


 俺の目はずっと三年前の浅岡沙星あさおかさとししか映していなかった。


 楓を免罪符にして、自分のやること全てをただ肯定しようとした。


 独善で浅ましい一人よがり、そんな自分に酔っている人間だ。


「…俺は、お前とは違う。お前らみたいに強くなんてなれない…」


 あぁ、そうだ。


 俺が助けたやつなんて一人もいなかった。


 俺にできたことなんて何一つなかった。


 だから俺はずっと…


「…でもさ」


「――――――」


「言ってもらったんだよ、『ありがとう』って」


 その言葉を聞いて、あの日の楓を思い出す。


 あぁ、言っていた。


 俺に向けてその言葉を。


 俺はそれを受け止めることができなくて、自分を必死に否定していた。


 そんな言葉、俺が貰う資格なんて何一つないのに。


 多花栗の自信に満ちた視線が、俺を真正面から刺す。


「その言葉だけは絶対になかったことにならない。あたしたちの行いの結果全部がそれだよ、相手が誰かにして欲しかったこと助けてほしかったことをしてあげた、その誰かにあげる言葉。だからそこに後悔する理由なんていっこもない」


「んな誰かの肩もってどうなるんだよっ?!そんなの相手にとっては都合がいいだけ…」


「じゃあなんであの時あんな嬉しそうな顔したんだよ!!!」



 何の話だ…?


 いや、決まってる。


 張り紙作業を終えて、多花栗にありがとうって言われた時だ。


 自分に気づかないふりをしたあの時だ。


「あの顔を見たとき、びっくりした。あたしが助けてもらったのかわからなくなるくらい、顔がほころんでたから」


「―――――」


「思い込んでたんだよ。きっとそうなるんだって。まだなんにもしてないのに」


「いいのかよ…そんなんで、してからじゃ取り返しが…」


 ゆっくりと顔を上げる。


 っていねぇし


「おぉー晴れた晴れた」


 多花栗は体育館の屋根から出て空を見上げている。


 いつの間にか雨はやんでいた。


 俺も影になっている軒下から出て空を見上げる。


 日差しが入って雲の間からみえる光が眩しい。


 暖かな光の中で、多花栗はくるりとこっちを振り返る。



「ははっ、通り雨だ」



 多花栗は、笑った。


 子供みたいに無邪気でゆるみきった笑顔。


 深い黒の髪は少し雨にさらされていて、所々に輝きを含んでいる。


「いや、バカだろっ」


 ついつられて笑ってしまった


 晴れたからって嬉しそうに笑う多花栗

 

 こいつを見てると本当にあほらしくなってくる


 ひとりでずっと思い詰めてた自分も


 多花栗の笑顔に見とれてしまった自分も


 きっとまだ、納得できたわけじゃないけど


「あれ虹じゃね…?ねぇやばくない?!」


 …負けた

 

 こいつになら騙されてもいいって、思ってしまった


「ちょい、どこ行くん」


「お助け部の入部手続きだよ、職員室にいる坂本先生に」


「おおっ!!って、ええぇっ?!」


「なんだよ、ちょっと気が変わったんだよ」


「いやそれもなんだけど。お助け部の入部手続きの締め切りって…」


「だから今日までだろ」


「今日は坂本先生5時半には帰るって…」


 スマホを取り出して、時間を確認してみる。


 時刻は5時30分。


 う~んこのっ!!!


「っつおおいぃ駐車場までダッシュだ多花栗!!」


「なんであたしまで?!てかやっと名前呼んだし」


 晴れた空の下、水がたまった地面を踏みしめて前へ走る。


 前とは違う


 暖かな季節の中で、何かが変わっていく予感だけがあった。

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