6話 客観的コンプレックス【3】


「行ってくるね。おにぃ」


「あぁ、気をつけてな」


 俺はいつものようにかえでを学校近くまで送る。


 今は12月下旬、期末テストも終わってもうすぐ冬休みだ。


 楽しみなことを考えると、今日の6限の持久走もまだ頑張れそうな気がしないでもなくもなくもない。


 ただ一つ言えることは、ベンチウォーマーを着た体育教師への殺意は変わらん絶対に。


 急がないとまた階段が遅刻ギリギリの社会不適合者で溢れかえってしまう。


 いつものようにちょっとした考え事をしながら、俺も足早に中学校へと向かった。



「おっ、10分前」


 ここ一週間、放課後は楓のいる小学校までダッシュで向かっているのが効いてるのか、日に日に小学校から中学校まで着くのが速くなっていた。


 そして、下駄箱前に見えるは杉原すぎはら


 そのまま早足で杉原の前まで来て声をかけた。


「おっす杉原!今日の持久そ…じゃなくて日本史なんだけど」


「―――――」


 言ってる間に、杉原はスーと横を通り抜けて、俺の勢いを乗せた挨拶は見事に空を切る。


 あれ?普通に無視されたくね?


 確かにクラスも違うし放課後ぐらいしか付き合いがなかったから、ここ一週間は全然話せてなかったが…


 眉間にしわをよせながら教室まで向かう。


 まぁ顔も下に向けてたし、気づかなかっただけだよな。



 ひたすらに憂鬱ゆううつだった6限の持久走も終え、やっと一日の授業が終わる。


 1・2限目の持久走も外が冷え切ってて嫌になるが、この時間の持久走は日がとっくにのぼってて地味に暖かいから終盤は体が熱くてまじ死ぬ。


 そして俺は「あっづっ!」と言って途中でベンチウォーマーを脱いだ体育教師の顔を忘れることはない。


 だがここでばててもいられない、今日も楓の待つ小学校までダッシュだ。


 急いで更衣室で着替えを終え、鞄を取りに教室に戻ると、もう担任の先生が教卓の前に居座っていた。


「浅岡か、悪いけど今日の放課後は先生ときてくれ」


「え…?えっと、すぐ終わりそうですか?」


「少し長くなるかもな。だからもう妹さんの学校に、今日は先に帰るよう伝えてほしいと連絡を入れた」


「は?!あいつ一人で帰らせるとかなんの意味も…」


「いいからお前は俺とくるんだよっ!!」


 棘を含んだ怒号が先生と二人の教室に響きわたる。


 まったく意味がわからない…


 だがここで食い下がったら、さらに面倒なことになりかねない。


 今は事情を話す気もないらしい。


 はやる気持ちを落ち着かせるように、一つ呼吸をする。


「…わかりました」


 そう言って、大人しく自分の席に着いた。


 しばらくすると、クラスの男女も着替えを終えて談笑しながら教室に入ってくる。


 ホームルームもとどこおることなく終わり、やっとの放課後。


 そこから先生と一緒に一階まで足を運ぶ。


 前を歩く先生の背中からは、ひしひしと緊迫感が伝わってくる。


 こっちはたしか職員室と


「ここだ、入れ」


 生徒指導室。


 言われるがまま中へ入る。


 そして、俺はすぐに目を見開いた。


「杉原…!」


 驚くべきはその痛めつけられた顔だ。


 その頬は腫れていて、顔のいたるところに擦り傷のようなものがあった。


 あまりの惨状に言葉を失う。


 服の下にも同じような傷を負っていることだろう。


「そこに座れ」


 応接のソファが向かい合って二つ置いてあり、手前のに座るよう先生は顎で指した。


 ゆっくりとした足取りでソファまで向かい、脱力感に身をゆだねるように腰を落とす。


 そして先生は俺の正面、杉原の隣りに座った。


「お…い…」


 震える声で呼びかけても、杉原はずっと黙ったまま。


 顔はこっちに向いていても、目はずっと伏せられている。


 すると、先生は張り詰めた沈黙を破るように口を開いた。


「浅岡お前、8月末に杉原が不良三人に、廃校舎のトイレで絡まれていたところを庇ったらしいな」


「はい…」


 見過ごす自分が見過ごせなくて庇った。


「そして最近までは一緒に帰宅していた。また杉原がそいつらから被害にあわないように」


「はい…」


 あれから杉原は安心したような笑顔を浮かべていた。


「そうか…。杉原はな、ここ数日の放課後、その不良共に暴行されている」


「っ…!」


 やっぱりだ、それをどうにかするためにこうやって呼び出されて。


「なぁ浅岡」


「はい」


とりあえず今は先生にも協力をお願いして


「なんで…」






「なんで助けてやらなかった」






 は






「お前が傍にいてやれば、こんなことにならなかったんじゃないのか…?」





 いや





「お前の妹は顔や服が汚される程度のイジメだ」





 ちが





「だが杉原を見てみろ。ボロボロの体に怯え切った表情、精神的にも杉原が深く傷ついているのがわかるだろっ…!!」





 なにを





「なにか気づけたこと、してやれたことがあったんじゃないのか…?!」




 なんでお前が、そんな悔しそうな顔で怒ってんだ


 なんで教師であるお前が、俺だけに気づけなかった責任を押し付けてんだ


 口だけが微かに動くだけで声にならない


 目の前がどこか歪むようで


 先生の言葉も耳には入らない


 俺は救いを求めるように、わずかに肩を震わせている杉原に顔を向けた。



「…なんでだよ…浅岡」



 途切れてしまいそうな声で杉原は言った。


 今までにないほど衝撃的で、心臓が止まるような


 頭の中を鈍器で殴られたような感覚だけが残った




 気づけば、楓の小学校の前まで来ていた。


 4時20分、もう小学校の下校時刻から一時間は経っている。


 「そりゃ、帰ってるよな…」


 ぼやけきった意識の中、家まで足を動かす。


 すると、冷たい何かが肌にあたった。


 次第に目の前に広がるコンクリートに、黒く丸い模様が点々と彩られていく。


 鞄の中に折りたたみ傘を入れてきたことを思い出すも、雨に降られたまま再び歩き始めた。


 誰が見ているわけでもないのに、こうすることで少し許されたような気持ちになれる。


 そのまま歩いていると前から一人、着の身着のままの女の子が息を荒げて走ってくるのが見えた。


「なんだあいつ…?」


 全身黒い服で上着も来ていない、生地も真冬だってのに少し薄い。


「おい」


 すれ違いざまに、その女の子に声をかけた。


「えっ?あ、あのごめんなさい、今急いでて…ってわっ!」


 鞄から取り出した黒の折りたたみ傘をそいつに放り投げる。


「やる」


「でも、あなたもこれがないと…」


「いいから…」


「いや、だって」


「いいからっ!!!」


「――――――」


「頼む…」


「――――ありがとう」


 そう言い残すと、女の子は傘を握りしめ、また雨の中走り出した。


 俺も少ししてから、二度止めた足でゆっくりと歩き始める。



 全部、俺が悪い


 何もしてこなかった


 何もできなかった


 けど


 本当にそうなのか


 十分にやったんじゃないのか


 でも、俺はこうやって…


 まだ雨が降り止まない、その道中だった。


 確かに聞いたことのある声が耳に入った。


 あの時の公園からだ。


 俺はゆっくりと公園が見える場所まで歩いて向かう。


 そこには、いつかの光景が再現されていた。


 あの三人と楓だ。


 心が急速に冷え切っていくのを感じる。


「どいつもこいつも…」


 乾いた口から言葉がこぼれた直後。


 あいつが楓をドンと突き飛ばす。


 楓の倒れた勢いで泥水が勢いよく跳ねる。


 三人は傘をさしながら、楽しそうに、本当に楽しそうに笑っていた。


「おぉーい、なに転んでんだよ。ほら早く立てって」


 そう言って、力なく横に倒れている楓の片腕を、無理やりに掴んで上に持ち上げた。


 心の中で細くなった何かが、切れるような音がする。


 気づいた時にはもう走り出していた。


「ほらきたぞ!!」


「はい俺一番~」


「おぉい待てって!」


 向こうも見張りがいるから、すぐにこっちに気づく。


 一番に走り出したやつ、あいつだ。


「おにぃ…!ダメっ…!!」


 うれいな表情で声を絞り出す楓と、何か硬いものを踏んだ感覚。


 それを気にも留めず前を走り抜ける。


 残る二人も追い抜いて、俺は後ろからそいつの襟元をがっと掴んだ。


 そして勢いをつけたまま後ろに引いて投げ飛ばす。


 そいつは雨でぬかるんだ地面を滑るようにして倒れ込んだ。


「ご、ごめ…」


 なに言ってんだこいつ


「ほら、早く立てよ」


「い…――」


「立てっつってんだろっ!!」


 俺はただ遊ぶように背中からそいつを蹴りつづける。


 悪い


 全部こいつが悪い


 俺は間違ったことなんか何一つしてないだろ


 俺が杉原に何かしたか


 俺はただ楓を助けたかっただけだ


 そうだ


 だから今もこうしてこいつを痛めつけている


 あぁ気づいてたよ、杉原の様子がおかしかったこと


 あいつが最近、体育をジャージ姿で見学してたのも窓から見えてた


 でもそれがなんだ


 誰にだって、自分の中に人間の優先順位があるだろ


 その中で俺は友達より家族が大切だっただけだ


 それなのになんで俺がこんな


 俺は、俺は、俺は、俺は、俺はっ…!!!


 大きく足を振りかぶったその時。




「――――ねがいもうやめておにぃっ!!!」




 今まで聞いたことのない程に大きく、そして悲しそうな声。


 その声に俺ははっとして、足元に目を落とした。


「ごめんなさい…、ごめんなさい…」


 そいつは横になったまま体をちじこませて、両手で頭を押さえながら、ただただその一言を口に出している。


 同じ…いや、それ以上に酷い。


 ゆっくりと後ろを振り返る。


 そこには涙を流す楓の姿と


 二つに割れてしまったピンクの髪留めがあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る